第30目 一匹のダイスと二つのダイス

 ふたりは、いつかの公園に移動していた。


「懐かしいな」


「懐かしむほど昔じゃないですし、まだ終わっていないですよ」


「だから、終わらせにきたんだろ?」


「ええ、そうです」


 三儀は、むしろあのときの恥ずかしい記憶は早く忘れてしまいたいと思っていた。

 だがそれでも、今の転人のように、いらないものだと切り捨て去りたくはないと願っていた。


 だからこそ三儀は、今の転人を、全力で否定したかった。


 今の転人を作り出してしまったのは、私の父と、この私自身だ。

 その責は負わねばならない。

 そして、これ以上私たちにかかわらないように――かかわらなくてもいいように、解放してあげなければならない。

 それができるのは、この世界で唯一、ダイスダウンだけだ。


 ダイスダウンは絶対の掟だ。

 勝敗の結果には、誰であろうと従わなければならない。

 それが、この世界のルールだ。


「あなたには絶望しました。まったく使えない人ですよ。忘れたんですか、あなたは私に協力すると約束してくれたんですよ。

 だというのにあなたと来たら、勝手につっ走って、勝手に闘って、勝手に負けて、勝手に諦めて。ここまで愚かだとは思ってもみませんでした。絶望が失望に取って代わるまで、そう時間はかかりませんでしたよ」


 ここに来る前の浮梨の影響か、そこにあるはずのトゲが、言葉の微妙なやわらかさに包まれていた。

 それは、心の縛りが少しほどけたからなのだが、三儀はそんなことを意識することもなく、転人に言葉を投げかけていた。


 もちろん転人もそんなことに気がつくこともなく、そもそも言葉を受け取ろうともせずに、三儀を見ようともしていない。


「絶望でも失望でも、なんでもしてもらって結構だ。俺が俺自身に絶望して、失望しているところだからな」


 恥ずかしげもなく、そんなことまで言う始末だった。


「いいから、早く始めよう。そのためにここに来たんだろ」


「そうですね。しかし、転人さん。あなたのダイスはどうしたんですか? ドッグちゃんはどこにいるのですか?」


「それならここに……」


 転人はポケットに手をつっこみ、中からダイスを取り出そうとする。

 しかし、そこにあるのはほこりと糸くずだけで、四角い感触はどこにもなかった。


「ないな。どこいった」


 転人は焦る様子もなく、探せるところをゆっくりと、ため息混じりに探している。

 そんな転人に、三儀は「やっぱり」とつぶやき、転人と同じように息を吐く。


「転人さんはいったいなにをしているんですか。ドッグちゃんなら、あなたの目の前にずっといるじゃないですか」


「え?」


 転人は三儀に目を向けた。

 『DOG』は、三儀の足もとにずっと立っていて、三儀と同じようにずっと転人を見ていた。

 いつからそこにいたのかは、転人にはわからなかったが、それすらも、どうでもよいことだと思っていた。


「なんだ、そこにいたのか、なら声をかけてくれればよかったのに」


「だから、教えてあげたじゃないですか」


「いやそういうことじゃ」


 転人は、三儀にではなく『DOG』に文句を言ったのだが、『DOG』と会話ができることを知っているのは、そういえば自分だけだったのだと思い直した。


「それで、いつの間にそこにいたんだよ」


 転人は心の中でそう言ったが、『DOG』からの返答はなく、『DOG』はただ変わらずに転人を見ているだけだった。


「……なんとか言えよ」


 …………。


 『DOG』は転人に応えない。

 応えない以前の問題で、転人には、自身の声が『DOG』に届いていないように感じた。

 『DOG』とつながっているという感覚がない。


 ……まあいいか。


 転人はそれ以上深くは考えず、『DOG』に話しかけるのもやめた。

 代わりに右手を差し出し、手のひらを上に向ける。

 それはつまり「戻ってこい」という意思表示だった。

 『DOG』はそれを見ても動こうとはせず、むしろ転人から遠ざかるように三儀のほうへと動き、転人に向かって威嚇を始めた。


「なんだよ、嫌なのかよ、それじゃダイスダウンできないだろ」


 転人は、今度はしっかりと、口に出して『DOG』に声をかけた。

 その声は物理的な波として『DOG』に届いているはずで、それは『DOG』のそばにいる三儀を見れば明らかだった。


 三儀は、転人の言葉を聞いて、呆れた顔に冷たさと鋭さを掛け合わせたような、微妙な表情を転人に向ける。

 そして『DOG』に目線を合わせるためにかがんだ。


「今の転人さんを嫌がるのはわかります。でもだからこそ、転人さんのために、転人さんのダイスになって私と闘ってほしいんです」


 三儀は『DOG』に対しても、他に人間にするのと同じく、丁寧に頭をさげた。

 それを見た『DOG』は、くぅん、と小さく鳴いたあとに、力強く頭を縦にふった。


「ありがとう」


 三儀は『DOG』の頭をなでる。

 『DOG』は三儀になでられて、嬉しそうな顔をする。

 お互いに目配せをしてから、三儀は転人に向き直り、『DOG』はサイコロに形を変えて、転人の右手に乗る。


 転人は、ふぅと、わざとらしくまた溜息を吐く。


「……では、始めましょう」


「ちょっと待った」


「なんですか」


「玉子のダイスはどうするんだ? “役目負いキャスティング”できなきゃ、そもそも勝負にならない」


 転人の言う「勝負にならない」とは、“役目負いキャスティング”できなければ、自分が必ず負ける、という意味なのだろうか。

 『DOG』を使えば、転人はダイスダウンで勝てる、かもしれない。

 しかしそれは、“役目負いキャスティング”での強さ故だ。

 ただのダイスダウン出目勝負で、転人はいまだに一以外の目を出せずにいる。

 “役目負いキャスティング”ができなければ、正真正銘しょうしんしょうめいの『負け犬DOG』として、引導を渡されるまでもなく、負ける。

 つまり、勝負にならない。


 もしかしたら、今の転人は、そのほうが手っ取り早いとまで考えているのかもしれなかった。


「心配無用です。しっかりと“役目負いキャスティング”できるダイスを使います」


 しかし、もちろん三儀は、転人の言葉を字面どおりに素直に受け取っていた。


「しかし、そちらはあの『DOG』です。こちらがどんなダイスを使ったとしても、それこそ勝負にならないでしょう」


 そして、三儀の「勝負にならない」も、もちろん『DOG』には勝てないという、そのままの意味だった。


「ですので、一つ、のんでいただきたい条件があります」


 だからこそ三儀は、『DOG』と勝負するための秘策ひさくを持ってきていた。

 そのための理論武装と準備をしてきた。

 それをこれから披露するつもりでいた。


「わかった」


 だが、転人の了承は、早かった。


「……なんて?」


 三儀は、その言葉に反応できずに、思わず聞き返していた。


「だから、わかったって言ったんだ。条件をのむから、早くやろう」


「でも、まだ条件の説明を……」


「そんなものはいらない。勝負はするつもりだが、闘うつもりはない。条件なんてどうでもいい。俺は、引導を受け取りにここまで来たんだ」


「……そうですか、わかりました。では、私はこれを使わせていただきます」


 三儀の広げた手には、見たことのあるダイスが乗っていた。

 転人が、『DOG』の強さを自分の強さだと勘違いしないように、日々の修練として相手取ってきたダイス『ROCK』だった。


 無骨で大きくて岩のようなダイス『ROCK』は、知ってのとおり、願石のダイスだ。

 三儀は、願石からそれを借り受けてきたようだった。

 しかし、さすがは願石のダイスだけあって、大きさが規格外だ。

 三儀の小さな手では、きっと持て余してしまうだろう。

 持つのがやっとで、つかむのが精一杯で、降るどころではないはずだ。

 だが、当の三儀には、それを危惧きぐする様子はない。


 ないどころではなかった。


 あろうことか、彼女の『ROCK』の乗ったその手の上には、もう一つ、見たことのないダイスが乗っていた。

 そのダイスは、うまく言葉に変換できない、妙な気配をまとっていた。

 三儀は、その二つのダイスを手に乗せて、転人に対して宣言した。


「私は“これら”を使って、転人さんに勝ちます」


 二つのダイスを使う。

 それが三儀の、転人に勝つ秘策だった。


「二つのダイスを使う……? そもそも一つだってあつかえるのか?」


「わかりません。ただ、これぐらいのことをしないと、転人さんと『DOG』には勝てません」


 出目は小さいほうを採用しますのでご安心ください、と三儀はつけ加えた。

 それこそどうだっていいことだと、転人は思う。


 ダイスダウンを始めるため、三儀と転人は距離を取り、ダイスを降れるだけの空間をあけた。

 お互いに向き合って、ダイスをかまえる。

 特に合図はしなかった。

 それでもふたりのかけ声は同時だった。


「「ダイスダウン」」

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