第22目 それは、まぎれもなく、巻菜だった

 ふーちゃんは、追志のダイスであり、彼女の友だちである。

 さっきは流れをくんで無視をした転人だったが、その心では『DOG』のことを思い浮かべていた。


「追志さん」


「なんでしょう?」


「その、ふーちゃんのことなんですけど」


 その胸にふーちゃんを抱きながら、追志は転人を見る。


「ふーちゃんと会話はできるんですか? 言葉が無理でも、たとえば仕草とかで。お互いの意志の疎通そつうは可能なんですか?」


 転人は「できる」という答えを期待していたのだが、


「無理ですよ」


 追志は、事もなげにそう言い放った。

 その声は悲しそうでも残念そうでもなく、当たり前のことだといった感じだった。


「ふーちゃんはあくまでダイスで、ダイスはあくまで機械ですから。機械に意志は生まれません。AIと交流して機械と会話ができたとか意志疎通ができたと考えるのでしたら、可能ともいえるのかも知れませんが、それ以上ではありませんね」


「……そうですか」


「なんですか、意外そうな顔をして。もしかして『できますよ』とでも言うと思っていたんですか?」


 追志は、願石をにらんでいたときのように、転人を見ていた目を細めて、にひひ、と笑う。


「私はこれでも『首刎役』員長ですから、あま幻想げんそうははね飛ばしてますよ」


 そこは理工系学校の代表生徒というべきか。


「そうだとしても、ふーちゃんは友だちなんですけどね」


 ねー、と追志はぎゅーっとふーちゃんを抱きしめた。


 もしかしたら転人の抱いた疑問は、追志にとって、もう通ってきた道なのかもしれなかった。通ってきた道で、目指している道なのかもしれなかった。


「そういえば廻さんのダイスも、ふーちゃんのように生きものの姿になるんでしたっけ」


「ええ。犬の姿になります」


「へぇ」


 追志は興味津々きょうみしんしんだという目を転人に向けた。

 その目は「見せて見せて」と如実にょじつに転人へとせまっていた。

 ふーちゃんのことを教えてもらったお礼という意味もこめて、転人は『DOG』を取り出して地面へと降った。

 降られながら『DOG』は犬の姿へと変化する。

 最初の“役目負いキャスティング”と同じく、原寸大げんすんだいの犬になった。


「これが俺のダイスです。名前はその……ドッグと言います」


「それは、そのダイスの名称がということですか?」


 追志の横にいた送が、わざわざそう聞いてきた。


 そう思いますよね。

 間違いではないけれど、この場合はそうではなかった。


「……このダイスの名前でもあり、この犬の名前でもあります」


「ふぁ……いのりちゃんよりもヒドいのがいた」


 送の表情は見えなかったが、軽蔑けいべつ眼差まなざしをひしひしと感じる。


「ヨミちゃんはひどいなぁ」


 そうだそうだ。


「ふーちゃんはまともだよ。ドッグはヒドいけど」


 味方なんていなかった。

 犬にドッグと名づけるのは……ヒドいと認めざるを得なかったが。


「こんにちは、ドッグちゃん」


 追志は、目線を合わせるためにかがんでから、ドッグの頭をなでる。


〈おい転人。こやつは誰だ、なぜ我の頭をなでているのだ〉


「彼女は追志いのりという女の子だ。なでているのは、お前が犬だからだ」


 という感じの現状説明を、転人は心の中で『DOG』に語りかけた。


 ここ数日の願石との特訓で、転人は『DOG』との新たな交信こうしん手段しゅだん会得えとくしていた。

 『DOG』に向けて、心の中で伝えたいことを言葉にすればいい。

 それだけのことで、転人は『DOG』と“意志疎通”ができるのだった。


 追志は、『DOG』の頭をなで、身体をなで、しっぽをなでた。

 ドッグの仕草を事細かに観察をして、そして、不思議そうに、


「ドッグちゃんって、本当にダイスなんですか?」


 まるで本当に生きてるみたい。

 そう言ったのだった。



 ◇◆◇◆◇◆



 「それじゃまたね」と追志と送は、NOQS本社に併設されているダイスの研究施設へと向かっていった。

 ふたりはダイスの共同研究をしていて、そのデータについての意見交換をしに行くとのことだった。

 さっき送がいなかったのは、そこへの入室許可を得るために手続きをしていたかららしい。

 ふたりの研究は“多額たがくの現金を特定の確率かくりつ生成せいせいさせるダイス”についてだとかなんとか。

 転人にはよくわからない研究だった。


 受付に取り残された転人と願石は、ソファに座り、歓迎式の開始を待つことにした。

 転人の横には、犬の姿のままの『DOG』がいる。


〈どうした、我をサイコロに戻さないのか?〉


「犬のままのほうが、お前も過ごしやすいんじゃないかと思ってな」


 それはただの方便で、追志のふーちゃんを見て、“こういうのもありかもしれない”と思ってみただけだった。


〈サイコロのままでも動けないことはないが、ふむ、言われてみればこの姿のほうがいろいろと便利なのかもしれぬな。サイコロがふよふよと動くよりも、この世に認知されている生きものとして行動していたほうが、幾分いくぶんか安全だ。それに、犬として振る舞っておけば、ある程度の狼藉ろうぜきは見逃してもらえるかもしれぬしな〉


 よからぬことを考える犬だった。


「本当にお前はナニモノなんだよ」


〈我にもわからぬ。ダイスであること以外は、なにもな〉


「ダイスであることはわかってるんだな」


〈それは、転人が人間であることを自覚しているのか、ということと同義であるな。転人が人間であるのかどうかを悩むのだとしたら、我も同じように、自身がダイスであるのかどうかを悩もうではないか〉


「俺は人間だよ」


〈ならば、我はダイスだ〉


 とりあえずは、そういうことになった。


「お前がダイスでよかったよ。ダイスダウンで勝てるようになったのは、お前のおかげだ」


〈さっきからなんなのだ。ここにきて緊張でもしているのか?〉


「そうじゃないよ。ただお前でも、俺の呪いはひっくり返せないんだなと思って」


〈呪い?〉


 転人が呪いだと思っている、絶対に一しか出せない運の悪さのことだった。

 『DOG』を使い始めてからも、その呪いは一度たりともくつがえせてはいなかった。


「お前は、世界をひっくり返すダイスじゃなかったのか?」


〈それこそ、我にはわからぬことだな。それに……もしそれをひっくり返せたとしたら、その呪いは果たしてどこに返っていくのだろうな〉


「それは……世界にでも返っていくんじゃないか?」


〈そうなると、ダイスダウンは、もうできなくなるやもしれぬな〉


 全員が一しか出せなくなれば、もう勝負は成り立たないだろう。


〈ダイスダウンだけでなく、“役目負いキャスティング”すらできなくなるかもしれぬ〉


 『DOG』が犬の形をとれなくなり、追志のダイス『FUGU』がふーちゃんになれなくなる。

 追志の悲しむ姿を、勝手に想像してしまう。


〈だからその呪いは、大人しく転人が負っていればよいのだ〉


「そうか、俺は世界を救っていたのか」


〈転人よ、胸を張ってよいのだぞ〉


 俺は生きているだけで、世界を救っているらしい。

 少しだけ、胸が軽くなった気がした。


 ……そんなわけがあるか。

 誰がそんな戯言ざれごとだまされるか。

 呪いをひっくり返せない言い訳を、そんな言葉で茶化されてたまるか。


 つまりは『DOG』をもってしても、この呪いは消せないということだった。

 残念ではあったが、しかし、負け続けの闘いを勝ちに変えることはできている。

 それだけで十分だ。

 転人の世界は、『DOG』と出会ってから十分にひっくり返っていた。


 そんなことを考えていたとき、


〈ぐるるるるるる――〉


 突然、『DOG』がうなり声をあげた。


「どうした」


 さっきまでの軽口がどこへいったのか、『DOG』はけわしい顔つきで、ガラスのドアの向こう側をにらみつけていた。

 本当の犬にでもなったのか?

 そう思いながらも、転人は自然と『DOG』の目の先を追う。

 自身の目で、そこにいるものを確かに見る。

 そこには、光を背に受けて立つ、一人の人間がいた。

 最初は、三儀がいるのかと思った。

 だが、徐々に目が慣れていき、その黒い姿に色がつき、手が、足が、最後に顔が綺麗に彩られたとき――


 転人は、跳ねるように立ちあがっていた。


 思い切り足を踏みこみ、ガラスのドアを抜けて、その人間へと向かって走り始めていた。


 そこにいたのは、まぎれもなく、巻菜だった。

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