やらかしメイドの由々しき敗北
エノコモモ
主従関係
その日、エリ・サカキはやらかした。
元々、城付きのメイドという職業にあるまじく、ドジというか間抜けというか、まあしくじりがちな性質は兼ね備えていたのだ。主人の所持品でいちばん高価な茶器を割ってしまったり、古株の家庭教師のカツラを暴いてしまったり、よりによって致命的な点を突く傾向はあった。
それでも大事に発展しなかったのは、自身のこの罪深い性質から、幼少の頃より鍛えられた弁解術ーーーと彼女は呼んでいるが、つまるところ全力の言い訳と全力の謝罪に寄る。
「……」
ところがそんな彼女の磨きあげられた職人技でも、今回の不始末に関しては無かったことにはできないと警鐘が鳴っていた。これを由々しき失態と言わずして、何と言えば良いのだろうか。
「これは…困りました…」
呆然と呟く彼女の足下。豪華絢爛な絨毯の上に転がっているのは、壺と人間。
この日、エリは国の公子を殺めてしまった。
「主…我が主よ…!わたくしの懺悔をどうか…お聞きください…」
床に膝をつき、エリが固く結んだ両手を胸の前に掲げる。
(ああ、主は今日も美しい)
目線の先にはこの公国の第2公女であり、彼女の主人であるシャーロット・バレンシア。陶磁器のような肌、艶めく金髪と輝く碧眼はまるで上質な人形のよう。
そんな彼女は、ティーカップを口に運ぶ手をゆるりと止めた。自身の従者を視界に捉え、桃色に色付く唇を開ける。
「エリ…」
次の瞬間、彼女はその白く長い指先で、思い切りエリの頬をつねり上げた。
「いひゃひゃひゃ!いひゃい!痛いですシャーロット様ぁ!」
「今度は何をやらかしたわけ?」
普段の行いのせいかよく伸びるその頬をぐいぐいと引っ張った後、シャーロットが眉間に皺を寄せる。
美人が怒ると怖いと言うのは本当だ。恐れおののきながら深々と頭を下げて、エリは大きな声で報告した。
「シャーロット様の弟君でありますローレンス様を…お殺しあそばせてしまいました!」
「っ……!?」
初めて聞く単語に一瞬詰まって、それからシャーロットは自身の従者に引いた目を向ける。このドジだけは天下一品のメイドは、いつかやらかすとは思っていたが。
「アンタ…いよいよ殺人まで…」
「違うのです!違うのですシャーロット様!」
エリはぶんぶんと、その黒髪を振り乱す勢いで首を振る。そして半泣きになりながら主人を見上げた。
「いつもの通りお部屋を掃除しておりましたら…メイド長より、装飾の壺を動かすから手伝ってほしいとの申し出がありまして」
「壺…。またアンタにそんなダイナマイトみたいなもの…」
大陸から輸入されたと言う壺は、一面緋色の珍しい逸品であった。大きさも重さも値段も一級品のそれを両手で抱え、エリはメイド長と別れひとりきりで引っ越し先である図書室へと向かったのだ。
「するとそちらには既にローレンス様がいらっしゃいまして、わたくしご挨拶しなければと慌てて頭を下げたのです」
「うん…で?」
壺、ドジ、そして高い身分の男。もう何か事件が起きそうな布陣である。大いにその傾向がある。料理に例えるならば、全ての材料が揃い、後は調理するだけの状態だ。
「壺はお辞儀をするわたくしと共に傾き…そしてローレンス様の額部分に直撃致しました!」
「ああ…」
想像通りの結末に、シャーロットが頭を抱えた。エリは白いハンカチを目に当て、涙を堪えながら続ける。
「そのままにしておくわけにも参りませんから…現場の後片付けを行い、凶器の壺とローレンス様の御遺体を地面に埋めて差し上げようと思ったのです」
「証拠隠滅を図るな」
「そうしてカーテンやシーツで作りましたロープにて御遺体を吊るし、2階から庭にそっと下ろしました。そして埋葬しようと、用具室に道具を取りに行ったのです」
「……」
鮮やかな手口を告白されて、シャーロットはお腹いっぱいである。そんな主人の様子などお構い無しに、エリは先を続ける。自身の犯した犯罪の自供を。
そしてシャベルで穴を掘り、ローレンスの身体を地面に埋めかけた時のことである。
「すると…何ということでしょう!」
エリはその黒い瞳を見開いて、愕然とした表情で続けた。
「突然ローレンス様が目を開け、不死身のゾンビのごとく起き上がったではありませんか!」
「生きてただけじゃねーか!」
盛大な突っ込みを入れた後、肩で息をするシャーロットをエリがぱたぱたと扇ぐ。それに慌てて咳払いをする。公女であるにも関わらず、少々汚い言葉遣いをしてしまった。
「…それで、どうしたの?」
「はい…。突然のことに驚かれたのでしょう。あの方は暫し瞠目されておりました」
「そりゃあ…。殺されかけて埋められそうになったね」
「ですのでわたくし…」
半分埋まった状態で覚醒したローレンスは、呆然とエリを見ていた。鮮やかな花緑青の瞳と視線がかち合う。その瞬間エリは動いた。
『ローレンス様。このような場所でお休みになっていては、お風邪を召しますわ』
コツンと彼の眉間に人差し指を当てる。エリは最上の微笑みを残し、その場を去った。
「アンタすごいわね…」
「ですが、慌てていたせいで凶器はそのまま、ローレンス様も冷静になれば状況を完全に把握する筈です…。そして事実が露呈した後は、私の打ち首獄門は避けられません…」
さめざめと咽び泣き始めるエリを見ながら、シャーロットがため息をついた。
「で。どうするの」
エリを拾って早1年、バレンシア公国第2公女は粘り強い性格だった。決して悪意のある行動ではないことや、エリの必死な謝罪に押される形で何かと便宜を図ってきた。そして何より少し面白かったのだ。カツラを暴かれた家庭教師はシャーロットが嫌う男で、あの事件によりかなりの溜飲が下がった。だがしかしさすがに殺人未遂はヤベェと、彼女の頭は警鐘を鳴らしている。
「ええ…。わたくしも、無罪放免とはいかないことは認識しているのです」
事の重大性は誰よりも分かっているのだろう。普段底抜けに明るいエリの顔にも、暗い影が落ちている。
「ローレンス様がいらっしゃる限り…わたくしの罪が消えることはありません…」
「そうね…。ここは自首するのがいちばんかもね…」
第2公女はやはり粘り強い性格であった。ローレンスは生きていたことだし、隠蔽工作は別として、殺人未遂に関してこのメイドに悪意がないことは重々把握している。多少の便宜を図ることもやぶさかではない、そう考えていた。
そんな人情に厚い主人を前に、エリは静かに頷く。そして真っ直ぐな瞳でシャーロットを見上げ、言った。
「と言うわけで、事実が露見する前に、ローレンス様にトドメを刺しに行く予定でおります」
「……」
シャーロットが静かに眉尻を下げる。そしてこのメイドに対しずっと思っていたことを、だがしかし公女足るものこんな不謹慎なことは言ってはいけないのだと、ずっと心にしまっていた言葉を静かに口にした。
「アンタ…1回打ち首になった方が良いんじゃない?」
「ギデオン…。俺の懺悔を、どうか聞いてはくれないか」
救護室にて、バレンシア公国第3公子、ローレンス・バレンシアは静かに口を開いた。
「…懺悔?」
彼の言葉に、ギデオンが顔を上げる。
この友人が普段堅物で寡黙な男であることは嫌と言うほど知っている。未だに何を考えているのか分からないことも多い。だが今日の友人の様子がどこかおかしいことは、火を見るより明らかであった。
「ああ…」
そう覚悟を決めたように呟くローレンスの頭には、包帯。発見された時、彼は庭で土遊びをしていた上に頭に怪我を負ったようだと聞いている。25歳になったばかりだと言うのにそのような奇行に走った挙げ句、ここへ来て懺悔である。古い友人であるとは言え、多少の恐怖を抱いてしまっても仕方のない話なのだ。
そうして訝しげな目を向けるギデオンに、ローレンスは息を吐いて、突然饒舌に語りだした。
「俺は正直に言って、オペラを馬鹿にしていた。君の趣味だから付き合ってはいたが、かなり面倒だと思っていた自分の心に嘘は付けない」
「…え?」
一体何の話だろうか。突然の告白に悲哀と疑問に襲われる彼を前に、ローレンスはずけずけと続ける。
「勘違いしないでくれ。歌や役者を馬鹿にしている訳ではない。彼らの技術は本当に素晴らしい。だがなんというか…登場人物はほんの少し失恋しただけですぐ死ぬだろう…?それを見る度に呆れ果てた想いを抱えていただけなんだ。何と紙のような柔な心なんだと。それを見て咽び鳴く君には少し引いていたけれど」
「…僕の心を傷付けてまで言いたいことはなんだい?」
普段喋らないぶん、一度口を開けば正直なことだ。少々ロマンチストな性質を持つギデオンの心に、鋭い刃を突き立ててくる。
(分かってたさ…。ローレンス。君が他人にも自分にも、色恋沙汰に関してはとんと興味のない男だってことは)
よく言えば現実的、悪く言えば朴念仁なのだ彼は。そんな彼をどうにか変えようと、ギデオンの趣味でもある観劇に誘ったりと甲斐甲斐しく世話を働いたものだったが、どうやら徒労に終わったようだ。
ところが度が過ぎるほど理論的な筈のローレンスは、ぐっと目を瞑り、現実離れした言葉を口にした。
「俺はまるで…オペラのような恋をしたんだ」
「……へ?」
ギデオンがぽかんと口を開ける。ローレンス青年の恋物語、その開幕のベルが鳴った。
序幕はそう、ローレンスが図書室に居たことから始まる。読んでいた書物は外国の経済に関するものであったか。今日も今日とて勉学に励む彼の背後で、扉が開いた。
『失礼しま…ろっ、ローレンス様!』
『ん…?』
振り返ったローレンスが見た光景は、まるで一枚の絵画のようであった。
一点の混じり気もない純粋な黒色の瞳と髪。白と黒のメイド服がよく似合う清楚な出で立ち。
直後に緋色の何かが視界を支配したが、彼は察した。自分は女神を見たのだと。そう、彼はまるで、オペラの主役のような恋の始まりを体験したのだ。
「彼女を見た瞬間、雷に打たれたかのような衝撃が走り…まるで空を飛ぶような感覚に陥ったんだ!」
そこからローレンスの記憶は飛んでいる。実際、物理的な衝撃は受けたし、物理的に空も飛んだ。だがしかし頭に鈍器を打ち付けられた挙げ句に、遺体として窓から下ろされた事など、気絶していた彼が知るよしもないのだ。
「恋をすると意識が飛ぶというのは本当だな…。俺の記憶は次の瞬間、彼女と庭に居たところから始まるんだ」
一体どういう経緯でそうなったのかーーー。それは甚だ疑問ではあったが、全く恋とは恐ろしい。
『ローレンス様。このような場所でお休みになっていては、お風邪を召しますわ』
額にこつんと当てられた指、美しい天女の微笑み。その瞬間、ローレンスは何もかもがどうでも良くなってしまった。恋は、半分土に埋められた自身の身体や額の痛みでさえも、意識の端に追いやった。
「ローレンス…!」
何かがおかしい。普通ならばそう判断する内容ではあったが、それを聞いていたギデオンは顔を輝かせた。
「嬉しいよ!君が恋をするなんて!いつになったら社交界デビューを果たしてくれるのか、ずっと気を揉んでいたんだから!」
「ああ。心配させてすまなかった」
ギデオンは少々ロマンチストで大の恋愛譚好きで、そして心は誰よりも乙女だった。
(まるでオペラの脇役になった気分だ…!)
親友と恋バナをしているという事実にときめきを抱きつつ、そっと先を促す。
「で、その噂の女神は誰だい?」
「そのことなんだが…どうも、シャーロット姉上のお抱えのメイドのようなんだ。名をエリと言うらしい」
(エリ…?)
第2公女の元には何か様子のおかしいメイドが1人いたはずだが、まさかそれでないだろうと、そっとその疑惑を心にしまう。今は堅物なこの友人が、初恋を迎えたことを祝福すべきだ。
「で、どうするんだ?」
「そうだな…。まずは姉上に直談判して、彼女をメイドとして俺の傍に置いてもらえないか要請するつもりだ。そうやって物理的な距離を近くして、心の距離も少しずつ…縮めていけたらと思う…」
言いながら、ローレンスの口元が緩む。彼女が常に自分の傍に居てくれたら、それを想像するだけで彼の心は浮き足立ってしまう。恋とは何と幸福に満ちたものであることか。ローレンスは自身に舞い降りた新しい情動に戸惑いつつ、その心地好さに目を閉じた。
(エリ…必ず君の心を撃ち抜いてみせる…!)
ローレンスの頭の中で、ロマンスの幕が開いた。
そして、その要請を受けたシャーロット側には激震が走っていた。
「私の身柄を確保したいということですか…!?」
黒い虹彩を見開いて、エリが驚愕の表情で受け止める。
(何と迅速な対応…!わたくしがローレンス様を始末する前に動かれるだなんて…!)
そう震える彼女の手には巨大な鞄。開け口から刃や縄のようなものが覗いている。それをシャーロットは見なかったことにして、先を続けた。
「いや、なんかお抱えのメイドになってほしいってことだったわよ」
「はっ…!?なんと…!?」
自分を殺そうとした相手を、牢獄にぶちこむとか首を掻き切るでもなく、メイドとしてそばに置く。一瞬彼は馬鹿野郎なのかと思いかけるが、すぐにその想いを打ち消した。
「これはローレンス様による宣戦布告…!お前はいつでも打ち首にできるんだぞという脅しに他なりません…!私を飼い殺しにするおつもりなのですね…!」
ローレンスを始末せんとするこちらの動きを察知し先手を打たれたのだ、エリはそう判断した。このままエリを処刑するよりも、弱味を握り奴隷にする方が利用価値がある、そういった策略なのだと。
(なんという知能犯…!恐ろしいお人です)
ただ純粋な恋心から発生した要請であるとは、エリは知るよしもない。彼の冷徹さに身震いしつつ、だがしかしそのような運命を黙って受け入れる女でもなかった。
「我がサカキ家の家訓は、『敗北者には死あるのみ』…」
彼女の祖先は言っている。勝者になれと。代々武術の達人を輩出してきた名門、
「やられる前にやれ!こうなったら事件が露呈する前にもう一度ローレンス様を殺します!」
「人の弟を何度も殺すな」
シャーロットの言葉も無視して、エリはぐっと拳を握る。胸に掲げたのは確かな誓い、頭を占めたのは明確な殺意。
「ローレンス様…必ず貴方の心臓を撃ち抜いてみせます!」
エリの頭の中で、戦いのゴングが鳴った。
バレンシア公国。沿岸部に位置する、人口5万人ほどの小規模の国である。主要産業は農業。セドリック・バレンシア公を元首に据えた都市国家である。敷地面積の大半が手付かずの大自然に囲まれ、それを体現するかのように、国民性は穏和で懐が深いことが特徴だ。
そんなのどかな国の城内で、まさか食うか食われるか一触即発の主従関係が始まったとは、城の者はおろか、当のローレンスでさえ気が付いてはいなかったのである。
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