第30話悪夢にうなされて
しずくは子供のころの夢を見ていた。
母親がホットケーキを作ろうと,台所に立っている。
「ねえねえ,ママ,まだできないの?」
と由紀が甘えた声を出して母のスカートの裾を引っ張る。
やがて飽きたのか, どこかへ駆けて行った。
「焼けたらわたしにもちょうだいね」
としずくが言うと,母親がくるりと振り返って
鬼のような形相でにらみつけ,
「おまえの分はないよ!」
と言い捨ててまた材料を混ぜ始めた。
「ちょっと,ひどいじゃないの!何で私の分だけないの!
えこひいきしないでよ!」
と負けじとしずくは言い返す。
するといきなり, 母は
「こいつかわいくない!」
と叫んでふくらし粉を一つかみ手に取ると,
しずくの顔めがけてバッと投げつけた。
しずくは泣くまいとつとめたが,粉が目に入ってしまい,
耐え切れず涙をこぼした。すると母がケラケラと声を立てて笑い始めた。
「ママはどうしてわたしのことをそんなにいじめるの!」
と泣きながらしずくが尋ねると,
「あんたは私に似てないから嫌い!」
と母が言い捨てたのでしずくは唖然とした。
続けて, 母は
「由紀は私に似ているからかわいいけど」
と言うやいなや,くるりと背を向けてホットケーキを焼き始めた。
(そんな理由で今までこんなに苦しめられていたのか。)
と思うと, 腹立たしかった。自分に落ち度がない理由で
責められるのは納得できなかった。
幼い頃から由紀とけんかをすると,必ず自分だけが叱られたことを
しずくは思い出し, 激しい怒りが心の中で燃え上がった。
「この恨みをいつか晴らしてやる!」
そう心の中でつぶやいたが, 悲しみをこらえきれずに
しずくは激しく泣き出した。
次の瞬間,夢から覚めたしずくはがばと跳ね起きた。
しずくは夢の中だけでなく,実際に自分が涙をぽろぽろこぼしながら声を出して
泣いていることに気づいた。夢の中の悲しい気分が尾を引いて胸が苦しかった。
自分が薄緑色のカーテンに囲まれた保健室のベッドで眠っていることに気づいて
しずくは泣き止もうと焦ったがなかなか気持ちが落ち着かなかった。
すると,カーテンの向こうから誰かが
「どうしたの?大丈夫だよ。」
とやさしく声をかけてくれた。それは
しずくの気持ちを和ませた。声の主が小宮梓だということを
思い出すまで少し間があった。保健室にはベッドが4つあるが
それぞれカーテンで仕切られているので隣のベッドに誰が寝ているか
わからなかったのも無理はない。
しずくは途端に恥ずかしくなって縮こまった。
「あああ, こんなみっともないところを見られて恥ずかしい。
小宮さんは私のことを軽蔑するだろうな」
としずくは思った。
「山野さん, 具合でも悪いの?」
と小宮が尋ねた。その声に少しも意地の悪さがこもっていないので
しずくは救われたような気持ちになった。
「ううん,大丈夫。ちょっと怖い夢を見てうなされてただけ」
としずくはいうと,体をまた横たえた。
「自習室に閉じ込められてその後,
具合が悪いから保健室に行って熱を測ったら,
38.0℃もあったので,寝てなさいっていわれたの」
としずくが言った。
「ひどい目にあったんだね。」
と小宮は驚いて言った。
(この日、小宮梓は貧血で倒れて担ぎこまれていた)
しずくは自習室に閉じ込められていたときの恐怖を
詳しく語り聞かせた。その後,小宮は自分の家の飼い猫の話をして聞かせた。
「こないだテレビの陰にタオルが落ちてたから
取ろうとしたら,なんとうちの猫だったの。でっかい灰色の雄猫
なんだけど,ふかふかだからタオルと見間違えたみたい。
後で家族みんなで大笑いしたわ」
と言った。猫が好きなしずくはもっと猫の話をしてくれとせがんだ。
次から次へと小宮が語るエピソードを聞いてしずくは笑い転げた。
あんまりにぎやかに談笑していたので,保健室の教師に注意された位であった。
やがて鐘が鳴った。次の授業に出るため小宮は教室に帰って行った。
尚もベッドに残っていたしずくは,この学校に入ってきて以来初めての
幸福な気持ちで目をつむったのだった。
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