第16話犯人への憎しみ
夢の中でしずくはあの事故が起きた場所に立っていた。
自分の立っている地点から2メートルほど先にある停留所にバスが止まった。
ドアが開いて12歳くらいの色が白く栗色の髪の
小柄な少女がバスから降りてきた。
(あの子は誰だろう。どこかで会ったことがあるような気がする。)
しずくは少女の顔に見覚えがあったが,それが誰なのか思い出せなかった。
少女は止まっているバスの前で立ち止まり誰かを待っている様子だ。
険しい目つきでバスの方に視線を送っている。
少女がかなりいらだっているのがしずくにははっきりわかった。
バスの中から2,3歳ほど年下だと思われる黒い髪の少女が
あわてた様子で降りてきた。
それが誰であるかしずくにはすぐわかった。
「由紀!由紀じゃないの!」
としずくは叫んで駆け寄った。
しかし妹はこちらの声が聞こえない様子で目の前を素通りしていった。
「おねえちゃん,待って」
と叫んでさきほどの少女を追いかけたが少女は
振り返りもせずに横断歩道を小走りになって渡っているところだった。
闇にくっきりと浮かぶ白い顔には意地が悪い薄笑いを浮かべており
しずくはその顔に激しい憎しみを覚えた。
次の瞬間,
「お姉ちゃん,待って!」
と言いながら由紀は道路に飛び出した。
「あぶない!」
としずくが叫ぶ間もなく,バスの影から現れた
軽自動車に由紀の体がぶつかる,ゴツンという鈍い音が響いた。
由紀の小さな体ははねとばされ空高く舞い上がった。
車は少しもスピードを緩めずに突風のように走り去った。
はねとばされた由紀の体はアスファルトの路面に叩き付けられて
辺りに血が飛び散った。
「由紀~!」
としずくは絶叫したが何台もの車が由紀の体を轢いて
通り過ぎ,無惨にもバラバラになっていくのを
目の当たりにしなければならなかった。
「ああ,あのときと同じだ。」
としずくは思った。そこで目が覚めた。
目を覚ましたしずくは,自分がぐったりと疲れ果てていることに気付いた。
ビデオテープを巻き戻して再生しているかのように
夢の中であの事故がフラッシュバックした衝撃は病気で
弱っているしずくにとって強すぎた。
しずくは自らが傍観者になって過去の体験を眺めていたことに
空恐ろしさを覚えた。それと同時に,いやな薄笑いを浮かべて
妹を置き去りにした少女が自分自身であることに気付いて愕然とした。
(せっかく忘れかけていたのに。)
しずくはしばらくぼんやりとして身動きが取れないでいた。
コツコツと時計の音が静かな部屋に響いていた。
しずくは窓の外をぼんやりと眺めた。自宅は
道路に面しているので車が後から後からたくさん通り過ぎていくのが見えた。
「そういえば,しずくを最初に跳ね飛ばした車はまだ捕まっていないんだったな。
あの後警察にいろいろ事情聴取されたけど。
人一人殺しておいて反省もせずにのうのうと生きているなんて許せない。
誰だかわかったら絶対復讐してやるのに。くやしい」
しずくの心にはひき逃げ犯人への憎しみがわきあがってきた。
「たとえ捕まっても死刑にはならない。
なんとかして見つけ出してこの手でそいつの息の根を止めてやりたいものだ。」
としずくは思った。
(あの事故はうちのすぐ近くで起きた。もしかしたら犯人は近所に住んでいて
気付かない内にすれ違っているかもしれない。
でもどうすれば見つけ出せるというのだろう・・・?)
しばらく身動き一つせずしずくは考え込んでいたが,
時計を見ると午前9時になっていたので驚いた。
(もうこんな時間!夕べ目覚ましかけなかったから起きられなかったんだ
今まで遅刻したことなんて全然なかったのに。ついてない)
母はいつも朝の7時半に家を出て出勤していたのでとっくにいなかった。
父は8時ころに出かける習慣だった。
つまり家の中にはしずく一人が取り残されていたのだった。
自然と夕べの口論が思い出され,胸が締め付けられるような
圧迫感を覚えた。
(母さんは心の中でずっとわたしのことを責め続けていたんだ。
妹を守ることができなかったわたしのことを・・・
わたしなんか生きている価値もない。
今この瞬間に死んでしまえたらいいのに)
しずくは自分が救いようがないほど孤独であると感じた。
今日も学校を休むつもりだったが一日中静まりかえった家の中に一人でいる
ことに耐えられそうもなかった。学校に行っても一日中誰とも言葉を交わさず
一言もしゃべらない日が多いがそれでも
人がまわりにいることは慰めになるだろう。
「よし,学校に行こう。今からだと一時間目には間に合わないだろうけど
ずる休みするよりはずっといいや。」
としずくは心に決め,支度を始めたのだった。
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