第3話 そして
結局翌日はライブ会場に行ってみた。もちろんチケットはないから入れないが、なんとなく彼女の近くにいたい気分だった。ライブをやっている間、会場の周辺でブラブラしている。残念ながら、俺の耳でも中の音楽は聞こえなかった。実のところ会場は市が運営しているのだが、こっそり入れてもらえるほどには顔が広くない。まぁ、実際そんなことをしてるのかどうかも知らないけどね。でも、実際の体験はできなくとも、昨日会った彼女がここでライブをしていることを想像すると、感慨深いものがある。なかなか田舎ではないことだからな。
やがてライブは終わったらしく、人の群れが会場からあふれてきた。結果的に人の流れに逆らう感じで、会場の方を見ながら佇んでいた。
不意に頭の中に声が飛び込んできた。
(マスター! よかった。近くにいて)
かなり切羽詰まっていそうな、叫ぶような声だった。
(タマか?)
(そうです。すぐに来てください)
タマというのは、俺の使い魔だ。もっとも、こちらに用がなければ好き勝手に普通の猫をやっている。・・・はずだ。
(何かあったのか?)
(たぶん、英雄です)
(英雄?)
少し前、俺は女神アルテミスから英雄、つまり神の血をひく者たちが悪さをしたら止めるように仰せつかっていた。もっとも、別に言うとおりにするいわれはないのだが。
(どういうことだ?)
(実はこの建物の近くで、思いつめた様子の女性に出会ったのです。催眠術を使って事情を聴きだすと、)
ここで俺はタマの話を遮った。
(催眠術だって? そんなものまで使えるのか。器用な奴だな)
(ただの催眠術ではなく魔法を併用したものです。普通の人間ならまず逆らえませんよ)
と自慢そうに言った。
(おっと、無駄話してる場合じゃない。その人はここの建物で芸を披露している女性と昔確執があったようでした)
もって回ったような表現だが、中世から生きている由緒正しい魔女の使い魔だからしかたないのかもな。
(どうやらそのことについて相手に謝罪したいと思っていたようですが、チケットもないので入ることが出来ない。どうしたものかと思い悩んでいたようです。そこで、私が一肌脱ごうと思ったわけです)
おせっかいなと思ったが、口は挟まなかった。
(私は持てる力を駆使して、彼女をこっそりと相手の歌手ののもとに導きました。女性は謝罪したのですが、相手は受け入れず、いきなり風を起こして女性を吹き飛ばしました)
(なんだって?!)
「相手の歌手」って、エアリのことか?
(私が連れて行った女性は血まみれになってますが、生きてはいます。しかし、風邪を起こした方の英雄と思われる女性が、猛烈な風の繭の中に閉じ込められて、いや、閉じこもったのかもしれません)
(すぐ行く。どこだ?)
俺は眼鏡を外して走り出した。楽屋のイメージが送られてきた。行き方は知っている。全速力、は出さず、そこそこのスピードで走る。とはいえ100メートル10秒は切るし、人の間を縫ってそのスピードだ。
本来なら、楽屋に行くまでに誰かに止められると思われるのだが、あっさりと楽屋の近くまで行き着いた。その代わり楽屋の前には人だかりができている。部外者を止めるべき警備員なども、みんなここに集まってしまっているのだろう。
「通してくれ」
大声をあげながら強引に人を押しのけ楽屋の中へ入っていった。
中には奇妙な風景が展開していた。20人ほどの人が取り巻く中、立ちふさがってたのは一匹のトラ猫。タマだ。トラの奥には吹きすさぶ風。それが奇妙に球体を描くように吹いている。風の繭、タマがそう表現したものだろう。部屋の隅に倒れた女性がいたが、誰も助けようとはしない。
冷静にすべきことを考えた。まずは倒れた女性のところに向かった。血まみれで全身に傷がある。タマがこちらを見た気配があった。
(命に別状はないはずです。傷はそれほど深いものはありません。何しろ数が多いので見かけはひどいですが)
俺は居合わせた人の中から制服を着た警備員の肩を叩いた。
「救急車は呼びましたか?」
「ああ。ただ、血まみれだったので動かさない方がいいかと思って。それより、あれはなんだ? エアリさんが中にいるのにあの猫が邪魔をして・・・」
「入らない方がいいのかも・・・」
俺は繭の方に近寄った。タマは道を開けた。眼鏡を取り出してつるの部分を繭に押し込んでみる。スパッと先端が切り取られた。鎌鼬ってとこだな。
俺は部屋の人たちに見せた。
「危険だ。近づかない方がいい」
くそ、後で新しい眼鏡買わないとな。
入り口付近の人垣が割れ、救急隊員が入ってきた。けが人はもう大丈夫だろう。眼鏡をしまい、俺は繭の中へ飛び込んだ。
飛び込むにあたって、体の表面に獅子のオーラをまとった。ネメアの獅子の生まれ変わりの俺の体はどんな武器もとおらない。体は十分に耐えられるだろうが、服は別だ。裸で帰るはめにはなりたくない。獅子のオーラは生まれ変わって得た新しい能力だ。半物理的なバリアーになる。
若干の圧力は感じたが、体が切り刻まれることもなく、繭の中へ入ることができた。中心部には風がなく、エアリがうずくまっていた。
肩に手をかけると、振り向いて驚きの顔を見せた。
「どうして・・・、どうやってここに・・・」
「まぁ、いろいろ秘密があるんでね」
一応、笑顔を浮かべてみせた。効果のほどは相変わらず自信がない。
驚きがピークを過ぎると、現状を思い出したらしい。
「私、大変なことをしてしまった。人を殺してしまった・・・」
ああ、そういうことか。外の女性が死んだと思ってるんだ。
「大丈夫。彼女は無事だ。傷は多いが、深いものはなかったみたいだ。救急隊員が連れて行ったよ」
「本当?」
俺は頷いた。目に見えて彼女は安堵していた。
「よかったー」
一瞬明るい顔を見せたが、曇らせて俯いてしまった。
「でも、彼女を傷つけてしまった」
「きっと、許してくれるさ」
「許してくれるわけない」
叫ぶように言って俺の方を見た。
「彼女が昔私をいじめた相手なのよ。今日は謝りにきてくれたんだけど、私は許せなかった。自分を傷つけた相手を、そんな簡単に許せるわけがない。私だって許せなかったんだから、彼女も許してくれるわけがない」
あえて言葉を返さず、じっと彼女を見つめた。彼女は眼を逸らせた。
「人を傷つけることがこんなに辛いことだと思わなかった・・・」
「そうだな」
彼女の気持ちに共感しながら言った。
「だけど、それに気づけない時もある。だからいじめはなくならない。彼女は遅くなったけど、人を傷つけることの辛さに気づいたんだ。だから謝りに来た。許されないことも覚悟して。君もそうすべきじゃないのかな? 少なくとも彼女よりずっと早く気づいたんだし」
彼女は再び俺の方に顔を向けた。表情は決して明るくはなかったが、目には光が戻っていた。
「そうね。謝ってくる。たとえ許してもらえなくても。でも今なら、私は彼女のことは許せる気がする」
俺は頷いた。
「そうだな」
風の繭は掻き消えた。
「風・・・、止まった」
彼女が不思議そうに言った。繭は無意識に作っていたのだろうか?
彼女が立ち上がろうとするのに俺は手を貸した。部屋の中にどよめきが起こった。
「話は後だ。けが人は?」
さっき話しかけた警備員が口を開いた。
「救急車が連れて行った。たぶん、救急センターだろう」
エアリの方を見るとエアリも俺を見ていた。そして力強く頷いた。
「行って、謝ってくる」
俺も頷くと、彼女の手を放して入り口の方へ促した。彼女は促されるまま入口へ向かって歩いて行った。心の中にはいろいろ疑問はあったのだろうが、周りの誰もが彼女を引き留めなかった。
入り口を出る瞬間、彼女は立ち止まって振り向いた。
「私も言っておくね。生きていてよかった。あなたに会えて、本当によかった」
俺だけに向けられた最高の笑顔。彼女のファンが知ったら、俺を殺しに来るかも。まぁ、返り討ちにしてやるが。
「身に余る誉め言葉だよ。ありがとう」
俺の返事を聞くと彼女は部屋を出て行った。
芸能界というところが、決してイジメのある学校より上等なところだとは思わない。しかしそこに彼女は居場所を見いだしたのだ。とやかくいうのは野暮だろう。ただ、彼女が今の居場所に疲れて帰ってきたら、心地よく迎え入れられるような町にしていけたらと、たまには自治体職員らしいことも考えてみる。
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