風のセレナーデ ~獅子の王2~

M.FUKUSHIMA

第1話 出会い

 その日の帰りは、いつもの通勤路を通らなかった。毎月買っている雑誌がそろそろ発売されてると思い、行きつけの本屋に寄ったのだが、結局まだ入荷されていなかった。

 おっと、自己紹介がまだだったな。俺の名は成田怜王なりたれお。この町で市役所の職員なんぞやっている。ごく平凡な職業で、ごく平凡に生きているわけだが、平凡でないところがひとつある。前世はギリシア神話に出てくるネメアの獅子だ。獅子座の由来となったライオンだと言えば、星占いにはまっている女子には通じるかな? で、ちょっとばかり過去の能力を引き継いでしまっている。怪力とか、敏捷性とか、五感の鋭さとか。

 まあそれはともかく、仕事帰りのひと時をあれこれ考えつつ歩いていたら、中学校の前に差し掛かった。そこで門を登ろうとする怪しい人影が目に入った。時間は午後9時。当然中学生がいるはずのない時間だ。一応中学校は市の管轄なんで、部署が違うとはいえ、見逃したら職業倫理にもとるだろう。

 俺はそろそろと近づいていった。

「この学校に何か用ですか?」

 人影は慌ててよじ登るのをやめ、こちらを見た。夜目の効く俺にはすでに分かっていたが、相手は俺よりちょっと下くらいの女性だった。

「ご、ごめんなさい。つい懐かしくて入りたくなっちゃって・・・」

「ここの卒業生ですか? 気持ちは分からなくはないですが、こんな夜中に勝手に入られては困りますね。たまたま通りがかっただけですが、私は一応、市の職員なので、ちょっとほっとけませんね」

 俺はポケットから職員証を出して見せた。彼女はしげしげとそれを見て、納得したようだった。しかし、あきらめなかった。

「ちょっとだけ入らせてもらえませんか?」

 俺は言葉に詰まった。ちょっとくらい入れてやってもいいかなという気持ちも正直ある。しかし、形式的に考えれば、当然アウトだ。彼女は俺の言葉を待ってこちらをじっと見つめていた。

 次に口を開いたのは彼女の方だった。

「ああ、もう。なんか自信なくなっちゃったな。すいません、成田さんでしたっけ。私のこと知りませんか?」

 俺はますます言葉に詰まった。長い髪を茶色く染めた結構綺麗な子だ。見たことがあるような気もするが、正直ピンとこない。

「あの、お知り合いでしたっけ?」

 記憶をしばらく辿ったあと、ようやくそれを言えた。

 彼女はため息をついた。

「去年の年末は紅白出たし、この前発売したCDは初週で一位だったし、少しは私も知られてきたのかなと思ってたんだけど・・・」

 それを聞いてようやく思い当たることがあった。

「そうか、確か同僚がこの町出身のアイドルが明日凱旋ライブをやるっていってたな。それが君か! ごめん。アイドルとかすごく疎いんだ」

 彼女は嘗めるように俺をみてから、

「おじさんなら知らないかもしれないけど、あなた、私とそれほど変わらなそうなんだけどな。もっともっと頑張らないといけないってことか」

と言った。

 彼女は心底落胆しているようだ。なんか気持ちが同情モードに入っていった。彼女の名前はえーと、あいつはなんて言ってたかな。

「そうだ、エアリっていったっけ? ごめんごめん。いや、俺なんか世間知らずだから、あんまり基準にしない方がいいよ」

「でも、そういう人にも私のこと知ってもらいたいな」

 このことについて弁解は無理なようだ。話題を強引に変えることにする。

「ところで、ここが君の通った学校なの?」

 彼女は改めて学校の方に目をやった。かすかな微笑みを浮かべて・・・。

「ええ、そう。だから、懐かしくてちょっと入りたくなっちゃって。卒業してから来ていないから・・・」

 うう、もう。俺の負けだ。

「ちょっとだけなら入っていいよ。その代わり、俺が監督する」

「わぁ、ありがとう」

 彼女はとびきりの笑顔を見せた。こちらもついついその笑顔につられる。ファンはこの笑顔にやられたか・・・。

 彼女が再び登ろうとするので止めた。

「ミニスカートで昇るのなし」

「ちょっと向こうを向いててもらえば・・・」

「そういう問題じゃない」

 俺はそのまま彼女を抱え上げた。俗に言うお姫様抱っこだが、別に他意はない。彼女が口を開こうとするのを遮るように、門を一跳びで越えた。そのまま素早く彼女を下ろす。彼女はしばらく何が起こったか理解できないようだった。

「いったいどうやって・・・」

 ようやくそう言ったが、俺はそれを聞き流した。

「校舎には近づくなよ。たぶんセキュリティーが入ってるから」

 彼女はまだ俺に向かって何か言いたそうだったが、思い直して学校の方に向き直った。表情がはっきりと変わっていく。嬉しそうだ。そのままゆっくりと歩きだしたので、俺もそっとついていった。

「エアリって変わった名前だね。本名なのかい?」

 なんとなくそう聞いた。

「ええ。絵画の絵にアジアの亜と理科の理。キラキラネームってやつね。苗字は平凡。鈴木だから」

「なるほど」

 グラウンド、というか、陸上のトラックの方がいいか。そこにつくと彼女は止まった。

「私、陸上部だったのよ。短距離の選手・・・」

 必ずしも俺に向かっていった言葉ではなかったようなので、俺は黙っていた。

 しかし、彼女はこちらを向いた。

「ねえ、競走しない?」

 いたずらっ子みたいな笑顔だった。

 うーん、本気を出したらあっさり勝ってしまうが、一応こちらは男だし、ぎりぎり勝つくらいのペースで走ればごまかせるか。

「いいよ」

「ようし。ここから向こうのラインまでね。たぶん100メートルだと思う」

 彼女は足元のラインに合わせてクラウチングスタートの姿勢をとった。俺は立ったままだ。

「合図は私が。位置について、よーい、ドン」

 スタートは純粋に彼女の方が速かった。彼女のペースを見極めつつ、ちょっとだけ速く走って30メートルくらいのところで追い抜いた。そのまま彼女の気配を探りつつ走り、僅差でゴールラインを超えた。

 振り返って彼女を見ると、ひどく不機嫌そうな顔をしていた。

「どうかした?」

 不機嫌な理由がわからなかったので聞いてみた。

「負けるのはしかたないけど、手加減してたでしょう。そういうのなんかむかつく〜」

 俺は思わず吹き出した。

「ブライド高いなー。獅子座か?」

「そうだけど、あなたも獅子座なの?」

「それもあるけど、獅子座の総本山みたいなものさ」

 彼女はわけがわからないといった顔をした。俺はもと来たスタートラインの方に振り返り、今度は全力で走った。スタートラインを越えると、そのまま向きを変えて同じスピードで戻った。

 目を丸くした彼女が俺を迎えた。

「オリンピック級というか、すでに人間業じゃない気がするんだけど」

 随分控えめな表現だ。

「こういう事情だから手加減したんだよ。俺が人間離れしてるってのは内緒だぞ。俺もエアリと一晩過ごしたなんて、呟かないから」

 ここでいう呟くはもちろんSNSでの話だ。

「お互いに秘密を知られたってことね。なんか映画みたいでおもしろ〜い。いいわ、黙っててあげる」

 彼女は笑ったが、その後ふっと顔が曇った。しばらく黙り込んだあと、突然告白を始めた。

「私ね・・・。中学の時いじめられてたの」

 俺は無言で先を促した。

「卒業して東京へ出て、そこでスカウトされたの。ずっとここに戻ってくるのに抵抗があったけど、いつまでもそれじゃいけないと思って、今回はあえてここでライブすることに決めたの」

 そんないきさつがあったわけか。この学校に入ってくるのも、実は複雑な気持ちを抱えていたわけだ。

「だけど、こんなことってよくあることなんでしょうね」

「ああ、そうだな」

 厳しいようだが、あくまでも冷静に同意した。人間はもともと、他人と自分の関係を認識しながら生きている。その認識は大人でも時々歪むことがある。相手を敵と認識してしまったら、相手に対してどんな酷いことでもできる。ましてや、そうした認識する能力が成長過程の子供では、歪むことはあって当然。そういう中でいじめは起きる。子供の中ではいじめはあって当たり前くらいの感覚でいた方がいい。以前子供の女神アルテミスと、いじめか絡んだ事件で出会ったことがある。その時彼女がそう言っていた。俺も同感だ。

 彼女は続けた。

「だけど、私の人生は目の前にある一つしかないの。それが毎日地獄だった。本気で何度も死のうとしたわ。でも死ねなかった。死ねないまま、ただここを離れることしかできなかった」

 彼女の口か嗚咽が漏れだした。俺はじばらくそっと泣かせておいた。

 少し落ち着いたと感じたところで、声をかけた。

「そのころ出会えてたら、なにかできることがあったのかもしれないけどなぁ」

 自然と、悔しい気持ちが込み上げてきて、声にその感情が乗っていた。

「今となっては、俺の人間離れした力もなんの役にも立たない。時は戻せないからな」

 エアリが俺の顔を見つめていた。

「だけどこれだけは言える。君に会えて本当に良かった。生きていてくれてありがとう」

 自分にできる限りの笑顔を作ったつもりだったが、悔しさの余韻もあったし、成功した自信はない。また、彼女が俺の言葉と表情をどう受け取ったかも分からない。彼女がすぐに俯いてしまったから・・・。

 しばらく沈黙が流れ、やがて彼女の方が口を開いた。

「もう帰るわ」

 俯いたままで、感情を抑えた声だった。

「明日のためにも少しは休まなくちゃ」

 そのまま校門へと歩き出したので、俺は無言でついていった。

 門の前で彼女は立ち止まると、俺の方を見て、

「お願いできる?」

 と言った。彼女の意図を理解した俺は、頷くと彼女を再び抱き上げ、一跳びで門を越えた。

「今日はありがとう」

 俺が下ろすと、彼女は深々と頭を下げた。

「いや、大したことしてない。あ、悪いけど教育委員会にはちょっと断っとくよ。防犯カメラに撮られてるかもしれないし」

「わかったわ」

 無表情に彼女は言った。

「ほんとは明日のライブに招待したいところだけど、さすがに今からじゃ難しいわね。ごめんなさい」

 俺は手を振るジェスチャーをした。

「いや、いいって。ライブなんて、きっと俺なんか浮いちゃうだろうし。

 あ、ごめん。見たくないってわけじゃあなくって」

 ようやく彼女はかすかな微笑みを浮かべた。

「分かっているわ。でも、今後は少しは私のこと、気にかけてね」

「そりゃあもちろん」

「約束よ。それじゃあね」

 そう言って彼女は今日一番の笑顔を浮かべた。その後踵を返し、二度と振り返らずに去っていった。俺は彼女の姿が消えるまで見送ってから、家路についた。

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