百夜をゆく

イヲ

ひとびとは神を捨てた

 私は信仰を捨てた。


 信仰も、私を捨てた、というのは言い過ぎかもしれないが、実際、そうだった。






 夢を見たことがある。


 海のそばで、シルクのマントをはおっている、女。


 潮風にゆれる、マント。


 黒いマントの裏地は、うつくしいミッドナイト・ブルーをしていた。








「あなたはだれ?」


「わたし? わたしは――誰なのでしょうね。たとえていうのならば、あなたの心。あなたの精神。あなたの夢。あるいは――あなたの信仰心」








 私は、はっとした。


 顔がない。


 髪の毛は私と同じブロンドだが、顔は――凹凸のない、仮面をかぶっているような姿をしている。




「信仰は私を捨てた。そうでしょう」


「……そうね。あなたは私の一部なのはよく分かったわ」


「そしてあなたも、信仰を捨てた。裏切られ、裏切ったの」




 彼女は指を、つい、と向こう側に突き出ている崖へむけた。


 私は、嗚、とおもい、顔をおおい、砂場にくずれおちた。


 あそこは、私の家があった場所。


 赤い実の成る、木が植えてあり、白く、清い花が咲く、庭であった。


 ステンドグラスの窓辺に、信仰の標がある。


 私はそこで本を読むことを日課としていた。




 けれどある日、隣人が私たち家族の家に火をつけた。


 理由は単純だった。


 信仰のちがいだった。


 私たちが信ずる信仰を、彼ら、あるいは彼女たちは異教徒として排除しようとしたのだ。


 母が死んだ。


 父が死んだ。


 妹が死んだ。


 家族が死んだ。


 私以外、みな、死んだ。




 私はその時、家に飾る花を摘みに、外へ出かけていた。


 そのために助かった。


 私は憎んだ。


 信仰は、憎まぬ、と言う。


 私は憎む、と言う。


 その時点で、私は信仰を捨てたのだ。


 そして、きづいた。


 私たち家族こそが、「ちがうものを信仰していた」ということに。


 ふつうではない。


 ふつうのヒトではない。


 指をさされ、石を投げつけられることもしばしばあった。


 それはなぜだろうと、ただ私は不可思議であった。


 どうして、ひどいことを言うのだろう。どうして、ひどいことをするのだろう。


 私たちは、その時点で信仰に捨てられていたのだ。


 もともと信仰などなかった。


 幻――ただのファントム・ペインを慰むるものだった。


 私たち家族は、痛みをかかえていた。


 悩み、苦しんでいた。


 けれど、信仰があったから助けられていた。憎まずにいた。


 それこそが私たちの存在理由レゾンデートルだったのに。




「ああ、嗚、私は……生き残ったせいで、痛みと苦しみを植え付けられた。信仰を捨てた罰だわ……。いえ、違う。それこそが、ヒトとして、生きているあかしだったのよ……。信仰を捨てたときから、私は……もう」




 きづくと、手には剣が握られていた。


 赤さびにまみれた、剣。


 よく見ると、それは血であった。




 私は顔をあげた。


 凹凸のない顔が、私をみおろしていた。




「私をその剣で貫いて、あがなって」


「罪など、どこにもないわ」


「私はあなたの罪であり、罰である。心の片隅に、あるはず。信仰を捨てた罪悪感を。信仰に捨てられた憎しみ。それをあがなわずにどうするの」


「……私は……」


「私を貫くことによって、あなたが罪にとらわれることはないわ。だって、これは夢だもの」


「………」




 私は、そっと剣の柄をもち、彼女に刃をむけた。


 そして、私は――。




 私は、手をよごした。




 私は、私をあがなったのだ。




 そのために、私は罪びととなった。




 あがなったがために、罪をおったのだ。




 それでよい。




 私の身は私だけのものだから。




 私の罪も罰も、私の心も夢も、すべて私のものだ。




 誰もあがなえない。




 あがなうことなどできないのだ。








 それが私の、誇りだ。

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