ユウシャと呼ばれて

ハムヤク クウ

黒い手帳

 ここはモンスターと人間が住む世界にある、クリシュ村。俺たちは今までモンスターに襲われることなくスローライフを過ごして来たのだが……。


 私たちが拾った手帳にはこう書かれて終わっていた。

 黒い革の手帳に黒いペンが刺さっている。これはどう見ても私たちの周囲の環境とはかけ離れたものだ。


「やっぱりここは異世界だよな……?」


 幼馴染のアキラがつぶやくように述べる。

 高校を卒業したというのに、まだ野球部の頃と同じように短髪で髪は黒色のままだ。まだ高校の部活の感覚が抜けていないのだろう。そんな子供の時と変わらない彼の姿が私は好きなのだけれどね。


「ってことは、魔法が使えるのか!?」

「どうやって?」

「どうやってって……こう、体の細胞を……脳が……電気が走って……」

「無理やり難しい言葉を使おうとしなくていいぞ、松兵衛まつべえ

「あはは、悪いな。分かんねえや!」


 このなんとも頭の悪そうな言葉を述べているのが同じく幼馴染の松本、私たちは松兵衛と呼んでいる。短い髪を赤がかった茶色に染めて、ラグビー部で鍛えた筋骨きんこつが盛り上がっているのが服の上からでも分かる。


 元々はうっかり八兵衛からもじってうっかり松兵衛と呼んでいたのだが、最近ではうっかりすることもうっかり忘れることがあるので松兵衛となった。まつべえでもマツベエでもなく、漢字発音での松兵衛なのを間違えてはいけない。


「どうしてこんなところに来ちゃったんだろうね」


 私は辺りを改めて見渡す。細い木もあれば太い木もある。縦に長く伸びる木もあれば、大きく横に広がった木もある。

 なんだかそれは都会に集まった様々な個性を持った人間をそのまま木に置き換えたかのようで、雑多な種類の木がこの場所では支配していた。


「どうしてこんなところに来たって、それはアスカが今日の運勢が最悪だったからじゃないか?」

「もう! そんなことで異世界に飛んじゃう訳ないじゃん!」


 もっとも、そんなことで異世界に飛ばないという訳もないのだが。

 私、アスカは悩み事に巻き込まれるタイプというか、困りごとに引き寄せられるというか。今は異世界転移に巻き込まれた最中だ。といっても、トラックにはねられ異世界転生というものではなかっただけ、ましだろうか。


 これでも私は自分の容姿のことを気に入っている。長い髪は手入れすることを欠かしていないし、カーキ色に透明感を加えた髪の色は私の大人びた体格によく似合うと美容院の人におすすめされたものだ。

 この容姿を手放してなるものか。アキラと恋人になるまでは。


「とにかく歩き回ってみようよ。何か見つかるかもしれない」

「そうやって向こう見ずに動き回ろうとするから、変なことに巻き込まれるんじゃないのか?」


 なんだかアキラに馬鹿にされたような気がする。このままでは私もうっかり明日兵衛あすべえなどと呼ばれかねない。

 しかし、この場所に留まっても何の進展もないのは事実だ。あるのは広がる樹海と日本語が書かれた黒い手帳。それによるとどこかに穏やかに暮らせそうな村があるらしいということだ。まあ、モンスターなるものがいるということも……。


 その時近くで腰ほどの高さのある森の草木がこすれる音が聞こえてきたと同時にその姿を現した。


「ユウシャだ! ユウシャだ!」


 顔の半分ほどある大きな耳を吊り上げ、二足歩行の生き物二体が私たちを見てぴょんぴょんと跳ねている。一方はピンク、もう一方は青い色の体をしており、長い手足をばたつかせていた。


 これが手帳に書いてあったモンスターなのだろうか。しかしなぜか日本語が通じるそれに対して若干の警戒心を抱きつつも、この見知らぬ土地で迷子になっている私たちにとっては都合がいいのも事実だ。

 松兵衛は眉をひそめながらも、不思議生物に目を輝かせている。アキラは完全に体を後退させており、警戒態勢をとっている。


「ね、ねえ。私たちの言葉が分かる?」

「――おい、アスカ。なに話しかけてるんだよ! こいつらがモンスターだったらどうするんだ!」

「ユウシャ、ユウシャ。困ってる?」

「アキラ、心配しすぎだ。こいつら俺らのこと助けてくれるみたいだぜ?」

「それに、こっちの言葉も通じてる……のかな」


 二体の生物はヒレのような足を器用に使って地面を跳ねて進んでゆく。


「こっち。ユウシャ、こっち。私たちの村、クリシュ村があるよ」


 私はアキラと松兵衛の顔色を伺う。アキラだけはしょうがないなというように肩をすくめ、私たちは先を進む彼らを急ぎ足で追いかけるのであった。



◆◆◆



 チロチロチロ。脇道に小川が流れている。限りなく透明に近い小川には鯉のような魚たちが簡単に透けて見えた。

 日本語を話す不思議な生物に案内され、クリシュ村についた私たちは説明された一本道を進んでいる。どうやらこの先に村長がいると言うので会いに行ってほしいとのことだ。


「大口を開けた化物だったらどうする?」

「異様に露出の高いセクシー美女かもしれないだろ?」


 アキラと松兵衛が自分の妄想を語っている。アキラは相変わらず最悪に備えていて、松兵衛は何も変わらず馬鹿一直線だ。


「ごめんね。私が話しかけちゃったばっかりに」

「いや、しょうがない。他に手掛かりがないんだから」


 辺りは森の木にホタルのような明かりがポワッとともっていたり、木をくり抜き中を住処にしているなど一応の文化は存在しているみたいだ。


 しばらく私たちは歩いていると、川辺で糸を垂らしているカエルのような姿をした生物が胡坐あぐらをかいて座っているのが見えた。

 声をかけあぐねいている二人をよそに、私は積極的に声をかけてゆく。


「あの……あなたがこの村の村長さんですか?」

「なんだ、お前ら?」

「私たちこの村の人に誘われてやって来たんです。村長さんは今何をやってるんですか?」

「ユウシャを待っているんだよ。この村にはユウシャが必要だからね」

「それ俺たちのことだ! 俺たち勇者だって言われて来たぞ!」


 松兵衛がここぞとばかりに声を張り上げる。その顔はこれからやってくるかもしれない冒険物語に思いを馳せている感じだ。

 村長は今だ水面をじっと見て、垂らした糸を前後左右に揺らしている。


「そうか、お前らはユウシャなのか」

「なあ、お前らの言う勇者ってなんなんだ? 俺たちに一体何をさせようとしている? どうしてこんな手帳が、森ばかりのこの世界に落ちているんだ?」


 アキラが黒い手帳を差し出し、いぶかし気に質問をした。

 確かに魔法も使えない私たちを勇者扱いしているここの住民は、何を私たちに求めているのだろう。

 村長はアキラの差し出した手帳を見やると、静かに口を開く。


「その手帳は一番初めにこの世界に来たニンゲンたちのものだ。私もよく覚えているよ」

「私たちの他にも日本人がここに来たの?」

「ああ、彼らは私たちに言葉を文化を教えてくれた。そのおかげで村がここまで形になったと言ってもいい。本当に色々なことを教えてくれた。そして彼らはユウシャとなったのだ」

「何があったの?」

「なんということでもない。この世界では普通に行われていることさ。彼らはユウシャとなって死んだのだ」

「ってことはやっぱ、この世界にはモンスターとか魔王とかいうのがいて、そいつらと戦ってその人たちは死んだって言うのか?」

「その話か。その話はよく彼らから聞いたよ。マオウを倒すために自己犠牲をいとわない存在、それが勇者というものだろ?」

「じゃあ、俺たちに魔王を倒してほしいって、そういうことなのか?」


 アキラが確信に迫る質問をぶつける。魔王と戦うだなんて私たちに出来るのだろうか。

 村長は相変わらず水面に視線を向けている。どうやら垂らした糸の先についた釣鐘を泳いでいる魚に引っ掛けたいようだ。


「いいや、この世界にマオウなんてものはいないよ」

「だったらお前たちは俺たちに勇者として何をさせたいんだよ!」

「――ちょっと待て。今、ユウシャが来る」


 私たち以外に他の人間がいるのだろうか。村長の言葉に私たちは周りを見渡すが、私たちを案内してくれたのと同じ形をした生物ばかりで、人間らしい影は一つもない。


 村長は少し唸り声を上げると、ピンと張った糸を大きく持ち上げ魚を釣り上げた。今日のご飯にでもするのだろうか。

 村長は隣に置いてあった刃物を握り、釣ったばかりの魚に突き立てる。魚はエラから頭を斬り落とすと綺麗に身がはがれる。


「よしよし、生きの良いユウシャが釣れた。今日はごちそうだな」

「え? 勇者って魚のことなの?」

「いや、違う。さっきも言っただろう。ユウシャってのは自分の身を犠牲にして他者を生かそうとする存在だ。私たちにとっては身を捧げる獲物のことをそう言うんだ」


 気が付くと周りにいた不思議生物たちがじりじりと距離を詰めてきていた。口を大きく開け、ドロリとよだれが垂れている。

 私は地面に置かれた魚に目を移した。その魚はもうすでに息絶えている。


                 (了)

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