【番外編2】 何度も告げて1
黒煙で空が見えない。
焼け焦げた大地は、赤黒い血溜まりと肉片に満ちていた。髪や肉が焼ける臭気は独特で、いつも吐き気を催す。だが、ディアンの胸には不穏なものが立ち込めていた。焦燥だけがこみ上げる。
踏み出す足が、周りの死体の残骸をかき分ける。獣のように鋭く厳しい目を走らせ、何ものも見逃すまいと必死で見渡す。
(……どこだ、どこだ、どこだ)
建造物が消えた平野は見通しがいい。すべての動植物は焼き払われた。たまたま消失を免れた立ち木が、焼け焦げた残骸を晒している。
その前に、血に塗れた金髪を見つけた。
ドクンと心臓が強く鼓動した。早鐘を打っているのか、それとも止めているのか、わからない。
何が起こっている。
足が勝手に動く、視線が外せない。
嘘だと、全身全霊で否定する。
いつの間にか膝を地面に付き、迷わずその肢体を持ち上げる。
翠の瞳は淀んでいた、瞬きのしない瞳は明らかにこと切れていた。
サラリと揺れるはずの髪は黒い血の塊が絡まり、残りのものは焼けてパラパラと落ちていく。黒い煤で汚れた頬をなぞる。
(これは……なんだ)
その躰は、腰から下がなかった。
ちぎれたのか、焼けたのか。足は、どこに行った?
「り……でぃあ?」
お前、腹はどうした? 膨らみが目立ち始め、嬉しそうになでていたそれは、どこに消えた。
死体なんて見慣れていた。自分が山を築き、それを踏みしめていたはず。
なのに、たった一人のもので時が止まる。
「うそ、だろ……」
何が、どうしたのか。何が起こったのか。
「おい、うそ、だろ?」
誰が喋ってるんだ? 耳に響く声は誰のものだ?
魔法が、出てこない。この身体の下を戻すための魔法が、でてこない。
敵はどこだ? 誰がやった?
「俺、なのか?」
なぜお前がここにいるんだ? なんで敵地の中でお前が倒れているんだ?
――全てが死体だった。
(リディア、リディア……りでぃあ?)
膨らみが目立ち始めていた腹があった。
自分の、自分たちのはじめての子、だった。
嬉しそうに、「子どもができたよ」と告げてきたリディアの、はにかんだような笑いだけが思い浮かぶ。
「なあ。リディア? うそ、だろ? おまえが、なんで……」
身体を揺らすと、もう片方の手がぽろり、と取れた。首ががくんと揺れてディアンの膝から転がる。
「う……わ、あああああああああっっっ――――」
雄叫びは、あたりじゅうに響き、それは黒と赤で覆い尽くされた天を穿った。
***
――目が覚める。そこは暗闇だった。
「……ディアン?」
伺うような声は、小さく案じるものだった。飛び起きたディアンは、何が起こっているのかわからなかった。目覚めてもしばらく自失していたのは、初めてだった。
ディアンの横には、馴染みの気配があった。
消えたと思っていたもの。魔力と気配と、匂いに、現実が戻ってくる。
「大丈夫? うなされてたみたいだけど」
暗闇の中で同じように身を起こす人影が身動ぎして、ベッドサイドの灯りをつけようとした手を遮る。その細い躰を抱きしめる。
額に滲む汗が頬を伝い落ちた。リディアの身体を抱きしめて、膨らみ始めた腹部に頭を寄せると、確かな鼓動が伝わってくる。その中で、もにょっと動く気配に安堵し、胸にこみ上げてきたものを堪える。
「先輩……」
リディアの手が、頭の上をさまよった後、そっとディアンの肩に置かれる。そして両手で抱きしめてきた。
***
「――リディ?」
シリルに問いかけるように名を呼ばれて、リディアは意識を戻した。深めの椅子は向かい合うというよりも、斜めに寄せ合うように配置されている。
薄暗く、ランプの灯りだけを各テーブルに配置した店内は、ほぼ人がいない。いても、スペースを広く取り、会話も聞こえないようになっている。
ゆったりとした雰囲気で、禁煙。だいぶお腹が大きくなってきているリディアでも、座り心地の良いクッションは腰への負担がない。
「なんかあったのか?」
「……ううん」
昨晩というか、日が変わった時間なので今日に当たるのだが、ディアンの様子を思い出してリディアは少し考え込むように返事をした。
昨晩の彼の様子を話すつもりはなかったが、シリルは何かを感じ取っているようだった。
「――強いやつほど、失えないもの大きさに気づいて初めて自分の弱さに気づくってな」
「どういうこと?」
「そうして初めて大物になるってことさ」
シリルは遠い目をして、グラスを揺らす。
彼女は自分の経験を話してくれることがない。自分語りはしない。でも押し付けがましくもなく、彼女なりの助言をくれる、話すと安心する。
それはたくさんの経験を積んできたことからの、相手を尊重した包容力があるからだろうか。
「リディ、あんたはボスの近くにいても平気か?」
「うん?」
リディアが質問の意図を捉えかねて疑問符を交えながら返事をすると、シリルは息を吐き出した。
「私らは正直、恐ろしいよ。この頃のボスは怖いくらいに魔力が高くて。アノ人、魔力値が底なしじゃねーの?」
「確かに魔力が更に上がっているとは思うけど……」
「獣の中には、つがいが子を宿すと、やたらに力をまして凶暴になるやつもいるだろ」
メスが子どもを宿すとそのメスや巣に近づくものを敵とみなし、やたらと攻撃的になる動物もいる。
「ボスはどちらかというと獣に近いからな。しかもいつも以上に神経を尖らせて、警戒心が強くなってピリピリしてる」
でも、とシリルは続けた。リディアを見て口端をつり上げる。
「リディア。アンタ、ボスといても平気だろ。そもそも寝れるってのが凄いよ」
シリルのいう、それは隣で“おやすみなさい”のことだろうか。とっさに反応に困った。そんなリディアに補足するように続ける。
「ボスの魔力を受け入れるって並じゃねーよ。でもリディ、最初から気にしてないだろ」
「……えーとね」
「リディの感応系つー体質もあるかもしれないけどな。いくら昔なじみだからっても、ボスの隣で平気でいられるって、とんでもないよ」
「でも、……。気遣ってくれるし、怖いって思ったことないよ」
「ま、うちらに当たっても、リディに優しいなら許してやるよ――なあ?」
最後の語尾はリディアに当てたものじゃない。振り向くと、気まずそうに後ろに佇むディアンがいた。
「――別に許してもらおうなんて思っちゃいない」
「だったら、その尖らせた魔力をもう少し収めてほしいね」
シリルが皮肉げに笑って、ディアンを言い負かす。彼が何かを言う前に、シリルはディアンに伝票を渡す。
ディアンは仕方なさそうに無言で息をついて、目を向けた店員にそれを軽く上げる。
「リディア、帰るぞ」
「たまには、シリルと飲んでいけばいいのに。せっかく来たのに」
「……いーんだよ」
少しだけ気まずそうな表情で短く返すディアンに、シリルがニヤニヤと笑って、座ったまま手を振る。
「リディ。おまえを、ほっとけなくて仕方がないんだよ。好きにさせてやんな」
「シリルは?」
「私はもう少しここで飲んでくよ。ボスが、全部持ってくれるしな、だろ?」
ディアンは無言だった。なんとなく気にして二人に交互に目をやるが、ディアンは無言で、シリルは笑って手をふるだけだった。
「またな、リディ」
「じゃあね、シリル」
リディアはそう言って手を振り返した。
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