301.take me far away to your side


 共をつけずに現れたフランチェスカの姿に、扉に控える兵たちが驚く。


「アレクシス殿下に二人きりで話があります――下がりなさい」

「ですが、まだ時間では――」


 フランチェスカの笑みにあるのは、可憐だが泰然としていて何も写していない瞳だ。何度も見てきたあの表情を、間違えることはない。


 リディアがただ黙って微笑むと、彼らは恐縮して扉を叩こうとする。


 首をふって押し止めると、彼らは黙って開けて、そして数歩下がる。

 リディアはそこに踏み入れた。


***


 続きの控えの間に入ると、そこにも兵が控えていた。彼もまたフランチェスカの笑みに黙らされて扉を開く。


 リディアは、笑みを浮かべたまま手の中に、隠したものを握りしめる。

 それは、白木蓮の最後の欠片、茶色く変色した一枚の花弁だった。


 キーファとの命の交換のエクスチェンジを願った時、白木蓮は言った。


 呪いを身に引き受けるのは、リディア自身の能力だと。


 扉が開かれる、ゆったりと彼女特有の歩みでリディアは足を踏み入れた。


 扉が開かれて、執務机についていた兄――アレクシスは訝しげな表情の顔をあげて、それが王女だと気づき、立ち上がる。


「フランチェスカ……?」


 兄でさえ彼女をないがしろにはできない。二人の様子を見ていると、兄は彼女を立てているようにも見えたのだ。


「まだ時間では……? どうかなされたのか?」


 そして机をまわり、数歩こちらへと歩み寄り、立ち止まる。


 リディアも裾をほとんど揺らさずにそこで立ち止まり、兄と対峙した。


 変身薬は、ハイディーに教えてもらったもの。


 けれどそれよりも、強力な変身の魔法があった。

 ワレリー団長の息子のアーベルという天才に教わった、自分の内部の六属性に働きかけて身体組成を変えるもの。



『ただ身体に負担を与えるから、リディアはやらないでね』と言われていた。一つ術式を間違えれば、身体が壊れてしまうこともあるからと。


 フランチェスカはアレクシスを見上げる。


 この魔法は、兄でさえも見破れないはずだ。


「お伝えしたいことがあって、参りました」


 彼女の声、彼女の話し方、すべてリディアの中に刷り込まれている。彼女は長手袋に包まれた手を差し出す。彼女の手の角度も高さも同じだ。間違えてはいない。


 アレクシスは、その優美な手を取る。


 リディアは全身を貫く痛みに耐えて笑ってみせた。すでに、白木蓮の呪いを身に引き受け終えていた。

 

 その瞬間、彼がほんの少し怪訝そうに表情を変えた。


 フランチェスカの真白の肌が、一瞬で黒い瘤を持つ痣で覆われていく。

 目の中に赤と黒いものが散る、地面にぽたり、と血が落ちた。


 すでに自分は、死への黄泉路を渡りかけている。


 兄が瞬時に動く、その手を逃さぬようにリディアは強く掴んだ。追い詰められた手負いの獣は信じられないほどの力を出すという、それを信じた。


 けれど、そうだったかはわからない。


 ただ渾身の力で隠し持っていた刃を右手で振り上げ、彼に突き立てる。


 赤黒い刀身はリディアの血。

 抜き取った血液で、作った刃だった。


 血液は凝固作用がある。だがそれで形を保てるほどではない。含む微量な金属元素とディアンからもらったペンダントの自分の識別プレートから、金属魔法で作り上げた抜き身。


 呪いはリディアの魔力――血液に張り付いているとディアンが言っていたのだ。

 自分の中にある呪いを接触させるだけでは足りない、血液を彼に触れさせる。


 リディアの振りかざした刃を、兄が左の掌で受け止める。掌に付き立てられたまま、彼は拳を握りしめそれ以上の動きを封じる。


 そしてリディアの右手首を掴んでねじり下ろした。


 やはり、そんなに甘くはない。


 けれど、その刃は彼にすでに突き立てられた。握りしめた拳が黒く変色して行くのが見えた。


「――おしまいです。この呪いは、もうすでにあなたの身を侵している」


 視界が揺れる、左右に上下に揺れるのはリディアが揺れているからだろう。兄は、リディアの黒と赤に満たされた視野の中にいた。


「私はお兄様の人形です、でも……ごほっ」


 リディアは一つ咳をした。


 リディアは空いた左手で左の襟を引きちぎるように、デコルテを晒す。針でひっかくように肌に描いた呪詛を急速に展開させる魔法術式だ。


 リディアの周囲にまとわり付いていた呪いが、急速に部屋中に満ちる。


「――地獄まで共に行きましょう」


 兄の顔が憤怒に満ちて、それから歪む。


「お前が、俺に敵うと思ったのか」


 掴まれた右手は凄まじい力で握りしめられていて、抗おうとしても、かなわない。そのまま進みよる彼と身体が密着する。


「どれだけ、呪いについて俺が調べたと思う」


 左手に突き立てられた刃を、彼はまだ握りしめたままだ。

 兄は自由な右手だけでリディアを拘束し、顔を直前まで近づける。


 リディアを覗き込む眼差しは、強い。それに、心が動揺した。


 なぜか――。


 戸惑いを覚え、抗う動きを止めたリディアの前で、展開していた呪いが――逆行する。


 彼が、刃を突き立てられた掌を広げる。


 彼の手の中の呪いは収束し、そして消えた。


 ――不意に彼がリディアを離す。


 よろけた足でリディアが一歩下がると、彼は刃を忌々し気に手で勢いよく引き抜く。彼が捨てたその刃は、血を撒き散らしながら床に転がった。


 そして彼はリディアに目を向ける。その視線の強さ、けれど混じる痛ましさ。


「――この、馬鹿」


 リディアは目を見開いた。何かを言おうとして、何も言えない。


 逃げるように引いていた身体を逃さぬように、不意に強く腕が引き寄せられ、胸に顔が当たる。


 ――その胸の感触は、確かに知っていた。

 その暖かさも、その口調も確かに聞き覚えがある。その声も。


「勝手に、あいつと心中なんてするな」


 伸ばされた左手がリディアの頭を、彼の胸に押さえつける。


 その手、その胸に触れた途端に、リディアの頭は真っ白になった。

 彼の降ろされた左手からは血が滴っている。


 そして目の端に映るだらりと力が抜けた自分の手も、白くなっていく。


 リディアの肌を覆う闇、全身を覆う瘤も、黒い痣も消えていく。まるで何かが吸い取られていくかのようだった。それどころか、フランチェスカに化けた自分の変身も解けていく。


 そしてリディアの全身から痛みが取れて、顔を上げたリディアの視界にはアレクシスではなく、黒い髪、黒い瞳の――ディアンがいた。


 声は出せなかった。

 呆然として、そしてただ目を見開いて見つめるしかない。


「無茶しやがって……」

「ど……う」


 叱る口調なのに、頭を引き寄せたままの手が優しい。


「俺が助けに来ないとでも思ったのか?」


 リディアは、何が起こっているのかまだ信じられず、意味もなく首をふった。


 それは嫌だとも信じられないとでも、それともダメだとも言っているかのようだった。


「あんな事言われたまま、黙って引き下がれるか」


 リディアの目から何かが溢れてくる。


 もう二度と助けを望まないと誓ったのに。自分で、一人で生きていくと、二度と会わないと決めたのに。


 まるで自分で築き上げたつぎはぎだらけのガラスの心が、ひび割れて崩れて落ちていくようだった。


「人の答えを聞く前に、勝手に終わらせるな」

「だって、だって……」


 膝が崩れてずるずると地面に座り込んでしまいそう。

 なのに彼の手は力の入らないリディアの身体を支えても、揺るがない。


 リディアは、いやいやと首をふった。涙が止まらない。


「だめだよ、だめ。帰ってよ」

「……」

「兄を、殺すの。私が倒さないと、グライスランドが……」

「リディア」


 彼が言い聞かせるように穏やかな声を出すから、リディアは彼を見上げた。ひどい顔をしているのがわかる。

 でも彼はただ優しい瞳だった。


「先輩を、殺したくない。殺させたくない、だから……」

「辛かったな」


 その一言で、涙がまた止まらなくなる。首をまたふる。


「ごめんなさい、ごめんなさい……ごめん」


 カーシュのこと。グレイスランド侵攻、全てリディアが関わってのことだ。


「だから私が、殺すの、そうしなきゃ……」

「お前がすることじゃない」


 彼の両手がリディアの頬をはさむ。彼の右手からまだ血が流れていて、リディアの涙と混じり合う。


 覗き込んでくる目は、どうしてそんなに優しいのか。

 彼の部下を殺したのに。


「カーシュは生きている」


 涙を頬に伝わせたままのリディアに、ディアンは告げる。


「やばくなったら仮死状態になるように薬を仕込ませていた。目の組織再生も、キーファの魔法で、なんとかなりつつある。やつは、お前を恨んでいない」

「でも、でも!!」


「リディア――俺は、お前に約束を守れない」


 リディアの頬を伝う涙が、彼の手の甲に伝っていく。


 混乱する。

 ディアンの言葉が頭の中に響く、頭の中では理解できない。でも覗き込むその目は、リディアから目を逸らさない。


「手順を踏むといった。お前が後悔しないように。でも――果たせない」


 彼は一区切りつけた。


「――さらうぞ」


 すべての言葉が消えていく。頭の中が雪で覆われたように真白になる。


 耐えなきゃとか、なんとかするとか。シルビス人であるとか。

 そんなものが全部消えていって。


「返事は――リディア」


 リディアは、頷いていた。


「……さらって」


 その答えに、言葉はなかった。

 強く引き寄せられ、目を閉じたリディアに唇が重ねられた。


 頭の隅に、よぎるのは。

 シルビスのこと、兄の、王女の、母の、父の姿が浮かんで全部消える。


(――さよなら)


 もう、戻らない。



*take me far away to your side

(どこまでも、あなたのそばに連れて行って)




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