276.引き出せない本性


 ウィルは飛んできた火球を見定める。三つほどで、かなり鈍い。

 防ぐまでもない、よければいいだけ。後方からも同じように飛んできている。だが、ウィルの左右が空いていて簡単に避けることができてしまう。


(――挟み撃ちに、なってねえよ)


 左手側は森、見通しが悪いからそちらの方に逃げるか。だが、そちらに待ち伏せされていたら――。

 ウィルは、自身の姿がさらされる遮蔽物のない右の平野へと飛び込んだ。前後の火球が衝突し合うのは必至。


 余計な波及を受ける前に、ウィルはさっと腕を一振り。

 その動きに同期して宙に描かれた炎の軌跡が、火球すべてを飲み込んだ。


「――ウィル・ダーリング!」


 呼び声とともに、現れたのは火属性魔法領域の五人。


 ウィルも見知った顔が何人かいる。ウィルが領域を選択しないと聞いて、微妙な顔をしていたやつら。

 ウィルも「仕方ねーよ」と済ませていたし、恨みはない。


 が、専門領域にいながら、明らかに精度も威力も勝るウィルの魔法を見て、顔を強張らせ、悔しさと信じられないという怒りを滲ませる顔を見ていると、なんとも言えない感情が胸に宿る。


「――気にすんなよ」と、慰めを言われたのを思い出す。


 今そのセリフを返したら、相手はどう思うだろうな、なんて思ったけど。

 そんなことしても仕方ねーし。


「――お前、魔法解禁になったんだな」

「まあな」

「でも、火系魔法は専攻してないだろ」

「――喋りにきたのか? 今、試験中だろ」


 そっけなく言えば、全員がお決まりのように真横に列を作ってロッドを構える。そう言えばそんなのあったな。


 構える高さは皆、まちまち。どこ狙ってんだよ。しかも手が震えている奴らもいる。ロッドを安定させて持てていない。つまり魔法はぶれる。


 おまけに人数揃えてるのに、全員並んで正面対決じゃ意味ねーし。

 そう思いながら、まあいいかと思い直す。

 試験中だ、教えてやるつもりはない。


 全員が請願詞を唱え、高まる属性魔力を感じて、ウィルは判断する。


(――正直、避けられるレベルだ)


 全員分合わせても、自分を傷つけることはできない、命中してもだ。


(受け流すか消滅させるか……どっちみち、相手は倒さなきゃいけねーし)


 こんなところで魔力を消耗させている場合じゃない。


 ウィルは、ひょろひょろと蛇行しながら向かってくる五つの火球を見つめ、そして真っ直ぐに腕を伸ばし、手のひらを垂直にして、相手に向ける。


 姿勢を正す、背筋は伸ばす。呼吸を整えることで、血液の循環を十分に身体に回す。それにより魔力の循環をよくする。


 相手が何かの攻撃かと、慌ててロッドを構える。


 そして、ウィルの身体ボディの正面に再度かざす。

 姿勢が及び腰のものは明らかに火球が小さい。魔力が集めきれていない。


 (……遅えんだよ)


 むしろ、到達時間が予想以上に遅すぎて、間を測るのに苦労する。


 焦らない、それも大事だ。


 ウィルは正面に並ぶ火球を見つめ、そして手のひらをゆっくり閉じて掻き集める。火ではなく、六属性を自分に寄せるのだ。


 ふっと火球すべてが消えた。


(――やっぱリディアみたいには、いかねー)


 リディアはすべて流れるような動作だった。

 まだ全然敵わない、畜生と思いながら、リディアがするように、火属性と風属性を集めたその指を鳴らす。


 途端に、ぽかんとしている生徒たちの真上で、火球を集めた塊が、爆発する。


「うわ」「ひわあああ」「ひゃああ」


 全員が頭を押さえて、地面にしゃがみこみ、鳴き声や叫び声をあげて大騒ぎをする。相手を見ない、次の攻撃に備えない、隙だらけ。


 ――当たり前だ、相手は戦闘行為なんてしたこともない。


 ウィルは手をおろした。次の反撃はないだろう。

 一塊になっていたのがあっちの敗因だ。


 あっけなく全員が炎に巻き込まれて、LOSTと表示がされた。



***



 ――闇が支配する空間で、ウィルは灼熱の中にいた。火は燃えてはいない。ただ耐えきれないほどの熱が空間を流れていた。まるで地球の深部に溜まるマグマのようだ。


 それらは血管のように地中に網の目として張り巡らされ、炎の属性に力を与えていた。張り巡らされたそれは、アロガンスの血脈のように拍動する。


 彼が身動ぎすれば、地面は揺れる。彼が怒れば、拍動が乱れ地上に炎が吹き出す。


 彼が存在するのは、目が慣れることがない永遠の暗黒の中。


 闇に溶け込み、実態は相変わらず見せない。竜のような怪異をさらし、会話を交わしたこともあるが、ウィルにまだ本体を見せない。


 ウィルはアロガンスの熱に、炎に耐える訓練をしていた。己の主である獣の炎に耐えられないようでは、話にならない。


 最初はヤツの炎に一瞬でも耐えられなかった。

 今でも、ほんの数分程度。そして、ウィルは、耐えかねて片膝をついた。


「――そこまでだ」


 熱の中でも、全く辛さも温度も感じさせない声が淡々と響く。ただ傍観しているように見えた存在、ディアンが余裕の態度で闇から現れる。


 この灼熱の地獄の中で、いつもの通り身体を覆い尽くす黒い戦闘服。まるで闇を凝縮したような存在。


 その頭上で、不意に大きなまなこが開かれる。暗闇に現れたかぎ爪を持つ前足が、小さな虫を叩き潰そうと、渾身の力で重しのように勢いよく降ろされる。


 ディアンはただ手の平を頭上にかざすだけ。まるで蝿でも払うような仕草だった。


 凄まじい金属音が響く。軋む音、獣の唸り声、そして怨嗟の声。巨大な楔が六方向から現れて、奴を地面に縫い付けた。


 凄まじい雄叫びをあげて、暴れていたアロガンスが動きを絡め取られる。


「ぐっ……!! がっほっ」


 主とつながっているウィルにも、当然その衝撃の余波が来る。これまでとは比べ物にならない痛みが全身を走る。あまりのことに息がつまり、腹を押さえてうずくまる。


(なんつー……クソッタレ)


 アロガンスがディアンに向かい吠え立てる。


“――貴様、一度ならずとも何度でも”


「調子に乗るな。ケモノ風情が」


“――殺してやる。食い潰してやるぞ、この小僧がっ”


「不可能なことを叫ぶのは無駄だ」


 ウィルはよろめきながら、立ち上がる。頭をふって、ダメージを振り払う。


 アロガンスとの対峙を見守り、見届けるのがディアンの役目。リディアは導いてくれ、と言っていたが、ディアンにそんな気はない。


 だが、アロガンスを抑えるのは協力してくれている。


(俺が抑えきれてねーからだけど)


 ウィルは、額の汗を拭う。全身が濡れている。


 アロガンスは全貌を見せない。本来は地中に広がるという巨体だ。ウィルなど、まさに虫けら。だが、奴は自分と契約を結んだのだ。


(……繋がっているんだ)


 制御できていないから、アロガンスは気に食わない。そしてアロガンスの力を引き出せない。


 なによりも来たるべき時に、使いこなすどころか抑えきれない。


 ディアンにいつまでも頼ることはできないし、したくない。

 ウィルは楔に囚われた、巨大ではあるが可視化された闇の塊を見上げた。


「なあ……拘束外してくれよ」

「ダメだ」


 ディアンに却下される。アロガンスはディアンに向けて唸りを上げる。場が炎に包まれていた。ディアンは全く気にする様子もなく、炎の中に平然と佇んでいる。


(こんなんじゃ、ダメだろ)


 なんのために、こいつと契約を結んだんだ。


 ――自分の炎を制御するため、こいつの炎を利用するため。リディアを、その時に守るため。


(こんなんじゃ、全然ダメだ)


 ふうぅっとため息をついて、そして目を閉じる。


 リディアはなんと言った? 自分の中の魔力の源泉に潜り込む。荒れている波、その波を宥める。そして、うちから波を起こす。


 同じだ。


 全部、俺の中にある。制御できないのは、俺の問題だ。

 ディアンを無視して、アロガンスに話しかける。


「なあ――はずしてみせろよ」


 唸り声。


「お前こんなのはずせないやつじゃないだろ」


 “――小僧――”


「俺の力を利用すんだろ? いつまでそこにいるつもりなんだよ。お前はなんなんだ?」


 “――貴様、偉そうな口を――”


 闇が炎に塗りつぶされる。ウィルの中の魔力が持っていかれる、足が砕けそうだ。だが耐える、肝心な時に魔力が足りなくて呼び出せないなんて事になってたまるか。


 アロガンスと同調する。怒りが空間に満ちていた。


(一本……)


 わずかにアロガンスが引っ張る後方で、きしむ鎖にひびが入る。


 ディアンがわずかに動いた、がそれきりだ。


 また一本、今度は前方できしむ、少しずつひびが入る。そしてあちこちで、軋み、ピシ、ピシッと音がする。


 ウィルの身体から陽炎が立ち上っていた。汗が蒸発したせいかもしれない。熱い熱くてたまらない。けれど、それ以上に高揚感がある。あと少し、あと少しで自由になれる。



「――やれよ、アロガンス!!」

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