259.ウィルの変化
久々に戻った自分の部屋。
ディックには「ちょっといじらせてもらった」と言われていたが、部屋に入っても一見変わった様子はなかった。
ポストの中身は机の上に置かれていて、たぶん留守と外部の人間に知られないように抜いて、置いてくれたのだろう。
リディアは、冷蔵庫のドアと、トイレのドアにつけられたセンサーに肩を軽く落とした。
(高齢者の見守り安心サービスじゃないんだから)
一定時間のトイレや冷蔵庫の利用がないと、通報が行く器機だ。一人暮らしの高齢者の居宅などにつけられる。
周辺に見張りがつけられている様子はなかった。リディアが拒否するとわかっているからだろう。
もしかしたら、リディアが気づかないように見張りをつけられているかもしれない。
理由は、リディアへの過度な心配か、兄の警戒か。
どちらとでもとれる。
(でも、心配しすぎ!)
リディアは、服を脱ぎ捨てて下着姿だけになりベッドに潜り込んだ。
***
それから死んだように眠り続けた。
喉が乾いていたが、それよりも睡眠。ふと目が覚め、トイレに行き、また寝るとカーテンからは朝か夕方か、わからない光が差し込んでいて、水を飲んでまた寝る。
正直、どのくらい寝たのかはわからなかった。
が、うるさい呼び鈴の音で睡眠を妨げられた。
ピンポンピンポンピンポンという音とドンドン叩く音。新聞かなにかの団体の勧誘か、最初は無視していたが、聞きなれた声に意識を浮上させる。
『リディア、リディア!! 倒れてねーだろーな!?』
そして、ドアノブがガチャッと開く音に慌てて飛び起きる。
(やば、鍵……)
『っ、なんで開いてンだよ』
鍵をかけた覚えがない。
一気に目が覚めて、廊下に出て玄関まで飛び出したところで、ドアが開き、外の光と共に影が入り込む。
「リディア……!?っ、ばっ」
「……!」
「なんて格好してって……」
顔を赤くして怒鳴りかけて、あ、という口のまま、ドアノブに鍵をかけるウィル。
「見ないでよ!!」
そのすきにリディアは部屋にかけ戻り、脱いだ時のシャツを手にして固まる。
ボタンが多すぎる。
トレーナー的な簡単にかぶれるもの、いや、それじゃ下半身が隠れない。何もできていないままなのに、ウィルが入ってくる。
「なんで鍵かけてねーんだよ、キーファがロック強化しても意味ね―し!」
「ちょっと!! 後ろ向いてて」
リディアが叫ぶと、ウィルが大人しく後ろを向く。
ああもう、こういう時にかぎって丁度いい服がない。
「いいよ、別に服着なくて。ていうか、リディアって裸族?」
「なにそれ」
「家では服着ない主義」
「着ています。たまたま!」
クローゼットからジーパンを出し、先程のシャツを羽織る。
ボタンを止めて気がついた、シャツは白、下着は黒だから透ける。
仕方ないからカーディガンを羽織る。
「……てか、やっぱ黒なんだなー」
「もう黙って!」
(……私、シャワー浴びてない!)
「……今日何日?」
ウィルが振り向く。いきなり真顔だ。
「何日だと思う?」
リディアは黙って、それから口を開いた。
「師団のメディカルセンターを出たのが……あれ?」
「今日は金曜。リディアが火曜日の朝に退院して、部屋を出入りしている様子がないって聞いたから来た」
「……」
「寝たいだけ寝かせろっていうからさ。でも、そろそろ限界だろ。まずは、ゼリー飲料飲んでよ。それから果物持ってきた。台所かせよ、その間にシャワー浴びたいなら浴びれば」
リディアは頷いてまずはゼリー飲料の冷たいパックを受け取った。
シャワーから出て、新しい下着――紺の下地に白い花刺繍のレースの上下揃いのもの、に履き替えて、ジーパンとざっくり編みのニットシャツを着る。
部屋に戻ると、ウィルがテーブルの上に林檎と洋梨を剥いて皿に載せたところだった。
「水分取れよ。脱水になる」
「うん」
水道をひねって水を飲んで、再度向き直って座る。そしてウィルが剥いてくれた果物を口にする。
「上手ね」
意外だった。
「俺んち父子家庭だからさ。んで、父親はあれだろ、学会やフィールドワークで飛び回ってるしさ。小さい頃は家政婦がいたけど、家事は俺の役目。ま、最近は互いに食事は外が多いけどさ」
「苦労したのね。……美味しい」
チャスも、キーファも、それからウィルも。みんなそれぞれ家庭での問題を乗り越えてきた。
いや、まだ家族としてのあり方を模索している最中なのかも。
「あ、離婚じゃねーよ、死別。俺としては再婚していい相手見つけてくれたらって思ってんだけど、なんか俺が一人前になるまでは、ていうのがあるのか。つか、俺が最近まで荒れてたからだと思うんだけどさ」
ウィルが腕を組んで軽く唸る。本気で悩んでいる感じでもなくサラリと言う。
「そうね。お父様はお父様の考えがあるとは思うけど、応援してあげるのはいいことね」
「ま。家に帰ってこないことがほとんどだからさ、それでいいっていう相手を見つけるのも大変かもしんねーけどさ」
「研究実績も魔法陣学会での評価も高いものね。魔法省や魔法師団との研究も盛んだし。お忙しいとは思うけど、お人柄も魅力的だから」
もったいないよね、と客観的に同意したつもりなのに。
「は? アンタやっぱり親父好き?」
「お父様? ちがうわよ」
「じゃなくて、あの年代がいいのかってこと!? おかしくね? 俺がこんなにアプローチしてんのに」
リディアは黙る。どうしてこういう話になった。
ウィルもそう思ったみたいで、あー、と言い髪をかきあげる。
「ごめん。病み上がりだし、アンタを責めるつもりなかった」
「うん」
「ていうか、痩せたよな、さっきも……」
「思い出さなくていいし、女性に言うことじゃないでしょ!」
リディアが睨むとウィルは、赤くなるどころかふてぶてしく笑う。
「太らなきゃ、なんねーよな。ちゃんと食えよ」
「……ところで、お父様にお礼を言わないと。キーファと一緒に魔法陣を考えてくれたんでしょ?」
ウィルがキーファにつなぎをとったのだろうか。
私的なトラブルだったが、どんなふうにお礼を伝えたらいいのだろう。メッセージよりも、いつか直接会ってお話したい。
「ていうかさ、親父とキーファの親も知り合いつーか、友人だったんだってさ。しかも同じ大学の同じゼミ」
「そうなの!? 有名人同士だから、お知り合いだとは思っていたけど……」
魔法師という狭い世界だから、一緒に仕事をすることもあるだろうとは思っていたけれど。
「なら言えってんだよ。キーファもあんま親と話してなかった時期があったから、知らなかったってさ。親同士が親友だったとかってありかよ。ま、親同士だから、どうでもいいけどさ」
リディアは苦笑しながら、果物を食べ終える。ウィルにも勧めたけど、あげたもんだから、と遠慮された。
「ほんと美味しい」
甘味とシャリシャリした感触が喉を通る。
感慨深く食べていたら、ウィルが頬杖をつきながら、じっと見ていた。
「なあに?」
「いや、俺リディアのこと好きだなーって」
そのしみじみという口調と、見つめる眼差しが優しくてリディアは顔を俯けた。
「ウィル、あのね」
「答えなくていいよ。ただ思っただけ」
いつもみたいにぐいぐい押してくるわけじゃなくて、穏やかに言われるとどうしたらいいのかわからない。断ろうとしても、それを求められていないと言われると。
「好きだなって思うのって瞬間だろ。常にそう思っているわけじゃない」
そうなの?
「ただリディアに関しては、そう思う時って、色々でさ。弱っているときも、こうやって可愛く食べているときもそう思う。頼りなさそうな時もそう思うのかも」
「そう言われても」
「聞き流していーよ。でもさ――今、アンタのこと好きな男を部屋にあげているって自覚ある?」
リディアはこわばらせそうになった顔に気づいて、一度深呼吸してウィルを見返す。
「今までも部屋にあげていたでしょ」
「キーファと一緒にな」
今度こそ顔をこわばらせたリディアにウィルは笑う。その笑みは穏やかだった。
「何もしねーって。けどさ男一人も男二人も結構やばい状況なんだよな」
「――何もさせやしないわ」
硬い顔のままのリディアをウィルはしっかり見据える。
「キーファはしないと思う。俺もアンタに嫌われたくないからしない。でも、男って隙があるとやれるかもって思うんだよ」
「……そんな隙見せない。手を出させるつもりはない」
「俺は、リディアに部屋にあげてもらえるほど距離が近づけたのはすげー嬉しい。まだ好きになってもらえてないけど。嫌われてないのはわかるから」
忠告なのか、それとも狙われてると暗に言われているのか。
けれどウィルの話の方向が見えない。
「何が言いたいの?」
「俺の気持ち。すげー好きってこと」
リディアは言葉に詰まった。ケンカ腰でいたのに、優しい目で言われると反応に困る。
そして顔が赤くなってくる。いつものウィルと違い過ぎる。ぐいぐい来れば、押し返すのに。
「ちょっと、どういう反応したらいいのかわからないのだけど」
「いいって。そう思っただけだから」
ウィルはリディアの部屋でくつろいで、あぐらを組んで背を前後に揺らす。
「――ところで聞きたいことあんだけど」
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