134.傷痕


 背後からの声にリディアはホッとしたような、少し嫌な予感に微妙な笑みを見せ振り返る。


 そうだ、ディックにも醜態を見せた。彼は兄のような家族だけどねえ。


 彼はリディアの顔を両手で挟んで覗き込む。

 微妙な表情を見せるリディアの顔をじっと見つめる。

 

「落ち着いたか?」

「――ん」

「安心しろ。お前のあの声、関係者全員に忘れるように通達しといた」

「……」


 通達って――脅しだよね、ごめんなさい、関わったいろんな人たち。


 元仲間はともかく、通信員とかに申し訳ない。


大事おおごとにしないで。早く忘れて欲しい」

「だから忘れさせたって」

「――うう」


「そうだ、さっきの続きだけどな――」

「――へいき、へいき、へいき」


 リディアは予感して、彼の言葉を遮る。なのに――。


「――どこまでされた?」

「……う」


 黙り込むリデイアに、ディックはいきなり険しい顔をして、なんかどこかの部屋に連れて行こうとするから、リディアは全力で叫んだ。


「なになになに!?」

「言えねーなら見せろ」

「……いい、いい、いいってば!!」


 ディックに下心がないのは知ってる。知ってるけど!!


「医務室だよ!!――お前に、下手なことするかよ」


 そうだよね、そうだよね。ちょっとホッとした、怖がってごめん。


 そのセリフは、女として見ていないというよりも、大事にしているから、という意味が込められていた。


 でも――


「一人で行ける! 付き添いいらない!! それに団長のとこ行くから!! 呼ばれてるから!」


 彼は手を離してじっと見下ろして、リディアの頭に手をおいた。


「こういうの自分は平気と思ってもショックはあとから来るんだよ。怖くて嫌な思いをしたんだ、抑え込むな。ちゃんと診察受けて、カウンセリングも受けろ」

「……うん」






 リディアが部屋をノックして、部屋の主の応えに入ると、彼は空中に立体映像を写し、指を滑らせて、何かを見ているところだった。


「――通信システムを調べろ?」

「ええ。今回借りた機器と、師団のほうの回線をもう一度調べてみて。何かの干渉があったら困るから」


 ディアンは、どういうことだ、とは聞かなかった。

 画面を閉じて、リディアに目を向けて、いつもどおりの無表情で頷いた。


 通信が不安定だったこともそうだが、キーファが持っていた衛星電話が鳴らなかったことが腑に落ちない。

 

 実習前に動作を確かめたし、あらゆる通信網が遮断された時の予備だったのだ、それが使えないなんてありえない。

 

 ケイが禁止区域に行ったこと、個人端末を立ち上げてSNSに投稿していたこと、マーレンが魔力増強薬を使っていたこと、衛星電話が使えなかったこと、色々なことが同時進行で、なにか気持ち悪い。

 

 魔法師団のシステムは、常に高度で、最先端をいっているから守りも固い。

 けれどそれに干渉がなされたら、大変なことになる。王の私設部隊とはいえ、重要案件をいくつも抱える最強の防衛部隊であり、連盟国間の任務をも、いくつも受け持っているのだ。

 

 とはいえ、彼に懸念を示せば後は終わり。団の専門家が調べ尽くしてくれるだろう。


「学生の魔力増強薬使用に関しての対処は、大学に任せる。ただし報告をしてくれ」

「はい」


 魔法師団では、魔力増強薬の使用は許可されている。

 ただし特殊な状況下においてに限定されているし、非常に扱いはデリケートなもの。


 ただ学生は大学の所属のため、大学の処分にまかせるということだろう。

 

 それよりも。


「あの……」


 リディアは、ディアンから向けられた瞳に口ごもる。


 魔獣に囚われていた時に、ディアンに感覚を共有させたこと、彼に助けてもらったこと、あの会話ですべて終わりにされた、たぶんした。


 けど――リディアは言うべきセリフもないのに、口を開いたことを後悔した。


「……なんでも、ない」


 どんなふうに思っただろうか。


 ――まだ乗り越えていない自分を。


 平気と言い放ち、苦手な虫だとわかって向かったのに、結局対処できなかった。


 全然、乗り越えられていない。

 あの人のことになると、リディアは怯える子どもに戻ってしまう。


 ディアンの瞳は、今は薄暗い執務室の中で深く沈んだ黒だった。

 リディアをどんな思いで見つめているのだろう。


「お前、メディカルチェック受けたか?」

「え、私?」

「魔獣に囚われていたんだ、当たり前だ」


 リディアが首を否定して振ると、彼は椅子から立ち上がり机を回ってくるとリディアの左腕を掴む。


「せ、先輩?」

「触手に狙われると概ね女の場合は太刀打ちできない。特殊な麻痺毒を使われ、精神と共に肉体の働きも鈍くなる。お前が不覚をとったのは、お前のせいだけじゃないから、気にするな」


 ディアンの言葉とは別に、左腕が熱くなり、彼のかけた魔法術式が服越しに淡い燐光を放つ。 


 ああそうか。

 リディアの呪いが進行していないか、彼の封じの魔法が効いているか、彼は確かめているのか。


「腕、痛いか?」

「痛くないよ」


 呪いは進行していない。直接確認はしていないが、たぶん問題ない。

 そう応えると彼はリディアの瞳をじっと見る。


「そうじゃない。赤くなってるだろ」


 触手に囚われていた両手両足は、赤紫の索条痕が残されていた。

 皮膚が擦り切れてヒリヒリする。


 彼の親指が手首の痕をなぞるから、少しだけ体が震えた。

 たぶんそれは、触手の感触よりも、リディアを動揺させた。


「痕になる前に、ちゃんと手当を受けろ」


 リディアは素直にうん、と頭を動かした。

 ゆっくりと余韻を残すように外れた手。


 話は終わったのだとリディアは自分の腕を引き寄せて、その痕を無意識になぞりかけて、慌てて手を外す。


 背を向けると、彼も机に戻る。


「――リディア」


 ドアノブに手をかける寸前にかかる声に、リディアは振り向く。

 彼が直前で呼び止めるなんて珍しい。


 だから警戒すべきだったのに。


「お前、本当に――何も――されていないな」


 リディアは声を、息を、つまらせて黙ってしまう。その沈黙に彼が僅かに身を乗り出すから、慌てて頷いて、うつむいていた。

 

 顔が熱い。

 

 ディアンは感覚を共有したはず、だから知ってるはず。

 勿論、されていない、でも色々――知られた。


「――遅くなって悪かった。……嫌な思いをさせたな」


 そんなの、ディアンが謝罪することじゃない。

 リディアが自分で対応できなかっただけだ。


 僅かに苦渋の滲む声、同情じゃない。彼の後悔だ。

 それに、僅かに間があった。

 

 多分ディアンは、他の言い方も考えたのだろう。

 触手のこと、虫のこと……兄のこと、それらの記憶を全部見たのだろうから。

 

 曖昧だけど、全部含んでいる言葉。

 助けに入るのが遅れて悪かった、記憶を呼び起こさせて悪かった。


 でも、そんなこと気にしないで。

 

 心配されると、胸が痛い。

 彼に、自分のことを気にかけられたくない。 

 

 彼の心を、自分のことで占めたくない。


「……だいじょうぶ、だよ」


 リディアは消え入りそうな声で、背中を向けて返す。


「――もし。まだ夢を見そうなら、迷わずに来い」


 だから、その付け足しも反則だ。


 昔、夢を見て怯えていたリディアを知っているから、彼は言うのだ。

 ちっとも成長していない。


 聞かなくても、自覚してしまう。


 リディアは頭を動かすだけで返事をして、ドアを閉めた。



(……来いだなんて――)



 ――ディアンは、どういうつもりで言ったのだろう。


 リディアがもしまだ夢を見ると――彼のもとに行ったら、どうするのだろうか。



 そう思って、リディアは目を閉じる。



 だからこそ絶対に、――彼のところには、行けない。


 リディアは、そう思った。

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