115.うさたんと魔獣


 “勝手に学生の保護者リディアが禁止区域に侵入してしまった作戦”として、ケイの代わりにリディアが囮になるといったら、団員の元仲間はその提案に難色を示した。


「リディは、今はうちのメンバーじゃないだろ? 却下」


 ディックは、都合よくその時々で、リディアをまだ仲間にしたり、もう仲間じゃないと言い放ったりする。


「捕まっているのは私の生徒だし、私が助けに行くのは当然。それに魔法師は、民間人が魔獣に襲われていたら助ける義務がある。私は魔法師なので助けなきゃ」

「その軽装で行くのか? 危ねえなあ」


 現地の人間から古着を少々の硬貨で譲ってもらい着替えると、更に皆は微妙な顔をした。

 基本的に、自分たちが前線にいたい人達なのだ。

 

 リディアはひらひらと手を振る。重装備では、民間人に見えない。


 そしてディアンは、着替えたリディアの前に立ちマジマジと見下ろした。


「何?」


 その物思いに沈んだ瞳はなんだろう。


「お前、念話の最大距離はどれくらいだ」

「数百メートル圏内ぐらいかな」

「魔力派のスキャンと同調は?」

「五メートル以内?」


 ディアンがわずかに眉をしかめた。

 何? あまり彼の望ましくない回答らしい。

 さっきのように探るくらいならば遠方でも可能だけど、ちゃんとしたスキャンはそれぐらいだ。


「一度治癒した相手ならば、数十メートルは可能かも」

「魔力派ネットワークを介して、在中する相手にダイレクトコネクト後、同調すれば距離は稼げるか?」

「え、それって侵入だよね」


 念話は、風魔法の応用だが、あらかじめ両者が決められた魔力派に調整し、相手と合致させて会話をする。けれど距離が離れるほど風魔法も効かず、魔力派も合わせにくく難しい。


 一方魔力派ネットワークは、ディアンが考案して彼の先導で開発した最近のもの。団員は全員繋げるが、このネットワークは各自の魔力の置き場所、心の中から繋いでいるのだ。 

 そこから介入して心=魔力の置き場所に同調するのは、場合によっては、精神へのレイプに近い。


「補助する。今、俺と繋げ」


 魔力派ネットワークを介して同調し、スキャンすれば距離があっても安定性があり理論上は可能だが、そんなことしたことない。

 それに魔力派ネットワークから同調するとなると、その基盤となる魔力を読み取らなきゃいけないが、そんな怖いことできない。


 だってその基盤は団長の魔力で構成されているのだ。


 彼自身、自分の魔力の在り処は強固な要塞並にブロックしていて、それをもとに作られたネットワークのプロテクトは盤石だ。

 

 けれど、ディアンがリディアの侵入を許可し補助するということは、ネットワークの基盤を読み取るどころか、ディアンの魔力の在り処にも触れられるということ。


(こわい……)


 そんな怖いこと、ちょぅと遠慮したい。


 リディアの微妙な表情には頓着せず、ディアンが急かすからリディアはまず、魔力派ネットワークに入る。

 すぐにディアンが感じられるから、その誘導に従い彼の魔力の源へと導かれていく。


(これ、すごいことだ)


 魔力の置き場所は、誰にも明かさないのが普通。

 

 リディアも遠慮を持ってその場所へは侵入せずに、ディアンが構成している魔力派ネットワーク上で同調して、彼の脳へ直接話しかける。


“これでいい?”

“上出来だ。覚えておけ”。


 目を開ければ、ディアンの読めない瞳が見下ろしていた。

 いいや、わずか昏い陰りが見える。彼は、何を気にかけているのだろうか?


「相手は“虫”だ――行けるか?」


 ああ、やっぱり。リディアの数ある弱点の一つだ。


 無理といえば、ディアンはそうかと頷いて別の案を立てるだろう。

 きっとそのことを責めもしない。


「――行く。生徒を助ける」


 彼は、顎を上下させて無言で返事をした。あとは何があっても、なんとかしてくれるだろう。


 ちなみに彼は責任者として、リディアが領域への侵入後に、『民間人が二人も入ってしまったから、もう魔獣を倒すしかない。突入する』と、魔法師団の突入を力尽くで推し進める予定だ。

 そのために残っている。

 

 部族の民を刺激しないように丁寧に交渉してきたのに、最後にこんな手荒で雑な方針を取らせてしまったことを申し訳なく思う。

 

 スルタンも絡んでいる、かなり複雑な交渉だ。

 魔獣を倒せても、後に禍根を残せば、この後の団長としての立場に影響が出ると思うのに、ディアンは何も言わない。

 リディアは謝罪を口にすることさえ許されない。これは彼の領分だ。



 だから、自分は自分のするべきことをする。


 リディアは、自分の魔力を高めて、見えない蜘蛛の糸に流し込む。

 リディアの魔力は、淡い金色の光だ、まるで春の陽光だといわれたことがある。


 この辺り一帯に張り巡らせた見えない糸は、粘着性が高く、魔力を持つ人間どころか、魔力を帯びた剣も、弾丸も絡みとってしまい、一度張り付いたら抜け出せないのだ。


 リディアが捕えられた糸に触れて、魔力を伝導し糸の在処を示す。


 それはまるで金色のハンモックのようだった。自分でやっておきながら、蜘蛛の糸の広範囲さに驚く。


 だが、それは一瞬。そんなに長くできるものではないが、監視している彼等にはこれで十分だろう。


 リディアは達成感を胸に満たし、安堵の息を漏らすが蜘蛛の興味は惹いてしまったみたいだ。


 ゆらりゆらりと、糸をハンモックのように揺らし、獲物をロックオンしながら、じらすように魔獣はやってくる。


 声にならない声で、胸中でリディアが叫んでいると、巨大蜘蛛は、とうとう目の前に現れてリディアを見定めた。


 のっそりと、乗り上がってきようとする。


「ひっ……」


 ち、近づかないで。


 ――目が、目が、目がっ、六つもある。


 黒くて丸い大きな目。

 つぶらな瞳なのに、なぜ不気味?


 かわいくない、かわいくない。


 感情が見えないから、かわいくないのだろうか。


 そして毛が……足だけでなく、全身に毛が生えている。

 なんで虫のくせに産毛みたいのが、みっしり生えてんのよ!! 


 黄色と黒の危険色のしましま模様は気持ち悪い。


 伸ばした足にもみっしりと剛毛が生えていた。


 吐きそう、泣きそう、もう無理。


(――これは動物、毛が生えているから動物)


 そう例えば、うさぎたん。毛がはえていれば、うさたんと同じ。

 

 ちがう、うさたんは剛毛じゃない!


 同じ――わけがない!


 顔を反らす。駄目だ、直視できない。


(――来るな、来るな、くるな――来るな!! 来ないで、お願いっっ)


 先程のケイと同じことを叫んでいると頭の隅では理解していたが、止められない。


 蜘蛛の足がリディアの肩を押さえつけて、顔が近づく。


「ひ……っ、やだ、やだぁ」


 蜘蛛が無表情で、カポッと口を開けた。

 もう終わりだ。


 終わった、人生終わった。

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