99.対マーレン


「くそ! みんな邪魔なんだよ。すべて、すべてが!! 全部消えちまえっ」

「――マーレン・ハーイェク・バルディア、いい加減にしなさい」


 リディアは逃げてきた生徒を風のシールドで囲い、建造物の奥へと避難させた。


 そして風魔法で効果をかけて、マーレンに呼びかける声を響かせた。

 キーファは、振り向かずにマーレンに対峙したまま。


「コリンズ。後は私に任せて。あなたは皆を守って安全な場所に待機して」


 呼びかけられたキーファは、リディアを見て頷いて身を翻した。


(高い魔力が大気中に漏れている。でも、なぜこんなに殺気に満ちているの?)


 嵐の中で刃が踊っている。


 リディアは自分の身体に一枚の薄い衣のように風の防御膜を張った。

 特殊加工された魔法師団の外套と合わせればかなり攻撃は防げるが、それでも彼の魔力のほうが強い、気を抜けば傷を負わせられてしまうだろう。


 “――リディ。助けはいるか?”

 “ディック、ありがと。逃した生徒の方をお願い、こっちは大丈夫”


 そばに控えているディックに念話で返す。


(生徒相手なんだから、私がなんとかしなきゃね)


 とにかく満ちているのは怒り。生徒には、そのうち感情コントロールを教えなくてはと思っていたけど、彼の場合は今、矯正するしかないだろう。


(マーレンの怒りの閾値が低いのは、気になっていたけど――)


 それって、つまり。


 リディアは刃がダンスをする強風の吹き荒れる中、ゆっくりと彼に向かい歩んでいく。


「来んなよ!」

「そうは言ってもね」


 唸り声をあげるマーレンは顔をゆがめていて、苦しそうだ。

 リディアは、動けず身をくねらせているコカトリスの尾の蛇に対して、片手を上げる。


(ウィルの落とし穴に落ちたのは、特殊だったみたい)


 これらは典型的なコカトリスだ。

 けれど中級でそれなりに強い。それを一人でほぼ倒してしまったマーレンの能力の高さに舌を巻く。


 怨嗟の眼差しを投げかける絶命しきれていないコカトリスの尾――蛇が、リディアの周囲に転がっている。


 指を鳴らすと倒れ付しているすべての蛇の頭部が破裂した。

 あまり綺麗な方法ではないが、徹底的に潰しておかないと安心できない。


「見せつけかよ」

「魔獣はね、止めをさしておかないと、後でどんな反撃をしてくるかわからないのよ」


 これで倒した、そう思っていると、いきなり切り落とした首が飛んできて噛み付くこともある。今回は、口内から体内に風を大量に突っ込んだのだ、容量を越えて爆発。


 切断面から再生することもあるから、微塵にしたほうがいい。


 リディアが実習に介入した理由は、コカトリスが大量に現れたことに対して学生には荷が重いと判断してのことだが、今はマーレンをなんとかすることが第一優先。

 彼は、実習継続が不可能だ。


 さて、とマーレンに向き直る。 


 どんどん風が強くなり、飛んでくる刃もまるで嵐の中の木の葉のよう。少しだけ風の流れを逸らせばいいのだけど、逸らされた風がまた別の風に押されて、刃の飛んでくる方向の予測が難しい。 


「くそくそくそ――」


 まるで、地団駄踏んで泣いている、子どもみたいだ。

 これだけ強大な魔力を扱うには、精神力の訓練が必要だ。こんな精神状態で魔法をコントロールできるわけがない。


 彼はこのままでは――壊れてしまう。


「ねえ、ハーイェク。どうしたの?」

「うるせえ!」

「――うまくやれていたでしょ? 何が――」

「煩いっ」


 彼の投げてきた火球。リディアの真横をすり抜けた後、背後で爆発する。


「つ」


 前のめりになり、片膝を着いたリディアは顔をしかめた。

 金属入りの刃が外套に食い込む。


 ハッとマーレンが身をすくめる。おずおずとリディアを伺うように手を差し出しかけて、けれどいきなり顔を歪めて、また魔力を凝集させる。


「アンタは俺をわかっちゃいない!! 俺を――認めろっ」


 彼の周囲に無数の火球が飛び交う。

 その中に、金属魔法をリディアは感じ取る。


 複合魔法――風、火、金のトリプルだ。


 学生なのに使いこなせているのが驚きだが、もともとマーレンは魔力が高いし、王族としても訓練を受けている可能性が高い。

 ただ、重要な精神コントロールが全くできないのが、不思議だ。彼に魔法を教育した誰かはその必要性を重んじなかったのだろうか。


 火球はリディアとマーレンの周囲を、嵐の中の木の葉のように不規則に吹き荒れる。

 目標を定める必要がない、何かに追突しただけで辺りには金属刃入りの爆炎を撒き散らすことができる。


 リディアは覚悟を決めた。


 今は――


(――速攻で片をつける)


 リディアはいきなり走り出す、ぎょっとした顔のマーレンが迫る。

 いいや、迫っているのはリディアだ。体重の軽さを利用して、風で加速をつけたリディアの速攻は定評がある。

 

 火球を飛ばして来るが、間に合わない。


 リディアは彼の腕を掴み、己に引き寄せると同時に、地面へと身体を投げ飛ばす。ぐはっと、息を吐く胸。そのまま首を片手で抑え込む。体重をかけて乗り上がる。

 

 至近距離で覗き込んだ彼の紫の瞳には、恐怖に揺れる迷いと、すがりつくような寂しさ――。


(――何?)


 だが頭上で、つまりマーレンを抑え込むリディアの背後で膨大な熱量を感じた。彼の特大の火球が後から迫る。


 彼の瞳には、恐怖と怯え、そして混乱が見えた。


「……逃げて、くれ」


 彼の微かな声がリディアの耳を捉える。 


(――間に合わない)


 避けたら彼が――爆炎の餌食になる。


 リディアは、マーレンの腕を引っ張り上げて彼を強く胸に抱きしめる。


“屈強なる金の盾、癒しの水、重厚なる風の守り、燃え盛る炎を防げ”


 リディアは自分の外套の中に、ぎゅうっと彼を包み込むように抱え込む。


 膨大な熱量が爆発する限界まで膨れ上がる。リディアの魔法が発現しようと形を成そうとしているが、間に合わない。


 事前の風の守りがどこまで効くか。



「――っせいのっっ!!」


 ――突然強大な魔力の壁を感じた。


 ずんと腹に響く重厚感。

 

 まるで巨人が跳ねたかのように地面を揺らす波動。

 

 そして後を振り返ると、その姿が巨大な剣を地に叩きつけていた。  

 青と翠の不思議な色合いの波動が、まるで津波のように周囲を一掃する。

 

 マーレンを抱きしめたままリディアが息を呑んでいると、ディックが真後ろに首だけを向けて、親指を立てる。


「――ディック」

「よう、真打ち登場!」


 彼の魔法剣が回転し、青い燐光を放ち背負う鞘に収められる。

 

 精密でありながら複雑に絡み合う美しい文様はすべて魔法の術式だ。それを隙間なく浮かび上がらせる刃、それが振り下ろされて火球だけでなく、すべての魔のものを消滅させていた。

 

 残るのは建造物の残骸のみ。魔獣の死骸さえもなかった。



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