39.反抗の理由
エルガー教授の机上に束となり積み重ねてあるのは、魔力増強薬に関する報告書とガイドライン。
魔力増強薬――数年前に開発された、摂取すると魔力が上昇する薬だ。
最近、これを摂取した魔法師による魔法の暴走や、異常行動などの問題が続発し、使用に当たり魔法省によりガイドラインが作成された。
この薬剤に関しては、現在のところ二種しか魔法省は認可していない。薬効は、魔力の上昇による魔法効果の増強。α型は遅効性で持続型、β型は即効性で瞬発型。交感神経刺激作用があり、多少の血圧上昇、まれに頭痛や吐気の副作用があり、時に興奮や攻撃性を増すことがある。
使用は、魔法省や魔法師団などの機関が独占をしており、主に特級魔法師の監督下での使用とされている。また学生や未成年の使用は一切認められていない。
しかし大きな問題は、成分が怪しいドラッグまがいのものが出回っていること。こちらは、法制省が所持を取り締まっているが、魔法省の分野とも被り、対策が進んでいない。
今回制定された魔法省のガイドラインも、偽物に関しては言及していない。あくまでも認可された魔力増強薬のみに関しての取扱基準だ。
それに関しては、委員会でかなり検討された。偽物についても言及すべきという一派と、あくまでも認可済の増強薬に関してのみ記載すべきだという一派で、意見が別れたからだ。
それを何故、リディアが知っているかというと……。
(……これ、私が、書いたやつ、だよね)
教授からの命令で、リディアはガイドライン策定委員会に出席した。そこの委員になり、過去十年の事故事例をまとめ、論文を書き、担当した箇所のガイドラインの素案と共に提出した。
それらがいつの間にか集積され冊子となり完成し、いつの間にか届いていた――教授のもとに。
教授の机の上にあるのは、ガイドラインとそれを補足する調査報告書。
その報告書の一つは、リディアが書いたもの。しかし、著者名はリディアではない。ベニ・ーエルガー教授の名前だ。
ガイドラインの奥付にも、担当にリディアの名はない。代わりにエルガー教授の名前がある。
「ガイドライン、出来上がったのですね」
「そうよ。あなたには資料をまとめてもらったけどね。原稿の直しが大変だったわ」
「私が書いたはず……では」
「だから! あなたが書いたのを私が直したのよっ、大変だったわよまったく」
委員会ではなく、教授あてに電子データーで原稿を提出させられた理由がわかった。
リディアは、手の中のガイドラインを強く握り締める。
魔法省に勤める友人から送られてきて、驚いた。どこからどう見ても自分の文章なのに、名前が別のものにすり替わっていた。
(これ、知ってる)
有名な言葉――“搾取”だ。
自分が調査し、執筆した成果物でも、名が記されなければ業績にならない。名が記された教授の成果物になる。
(それでも、私は――何も言えないの?)
目の前の人には怒りがある。けれど、相手は何も問題はないと思っているのだ。やましさはあるかもしれないが、それを見せはしないだろう。
自分のものだと訴えれば「直してあげた」と内容の問題点を指摘し、論点をすり替えるだろう。
口が動かない。ただ、目の前で立ち尽くすしかない。
「ところであなた、外部講師の先生のお茶菓子に、チョコパイ出したんですって?」
「あ、え、はい」
「あれはないわよ! 和菓子屋か洋菓子屋がないなら百貨店があるでしょ! 印象は大事なの! 次から来て頂けなくなるでしょ。気を利かせて頂戴!」
「――え、あ、はい」
毎日八時から二十一時まで休憩もせずに学内で仕事して、毎日来る講師への茶菓子をいつ、デパ地下に買いに行けというというのか?
反論が頭の中で渦を巻くが、口は動かない。
というか、こんなことで叱責されるの?
「今度の魔法省の魔法銃規制検討会議には千疋舎の瓶ジュースを持っていって頂戴。茶菓子も満足に出せないなんて私が恥をかくの、しっかりしてよね」
「ジュース? あの、出席の方は何人ですか?」
「さあ、三十から五十人くらいかしら、私が知るわけないじゃない」
しかも瓶!? ていうか、いくら? それ私が出すの?
「あの……エルガー教授。お茶代やお茶菓子代、私が全て立て替えていますが、先日領収書をお見せした通り――」
「あなたね! 私がケチのように言わないで頂戴! ちゃんと、あなたと割り勘でいいって言ったでしょ。私の分は後で払うわよっ、年度末には。言いがかりはよして頂戴。がめつい子ね、こんな子初めてだわ!!」
(年度末……って、十ヶ月先ですか?)
それまで、私は高級菓子を準備し続けるの? いつかはお金払ってくれるの?
なにか凄く罵倒されている気がするけれど……頭に入らない。
頭が麻痺して、それ以上考えられなくなる。えーと、他には何を話すべきだった?
リディアは、震える唇を開く。
「――ところで、こちらが今年度のうちの領域の教育費での物品購入案です。うちも簡易魔力測定器を購入する予定で予算を組みました。故障しており、三十年前のものなので」
「今ので十分でしょ?」
(故障しているって、言ってるのに)
とはいえ、渋るのは想定内。教授はケチなのだ。自分のお金は他人に出したくない、自分のお金じゃなくても、ケチりたい。予算を組めると伝えても、高額なものは反射的に却下する。
だから別案を提示する。
「ダーリング教授が、簡易魔力測定器も余っていると寄贈の提案をしてくださいました。五年前の型だそうですが、うちよりはるかに新しいものです。その搬送代と古い装置の処分代を組み込んでいいですか?」
「あらあ、あちらの大学はお金持ちね」
「人体モデルと魔法陣も三十年前のものなので、新型で安価な物を購入案に組みました。ただ教授の研究用の魔力反転装置は高額なので、予算に入れるのは厳しいです」
ケチでも、それは学生の教材に対して。自分の研究には使いたい高額備品を混ぜ込んでくる。
学生用の教育費なので、もちろん個人の研究備品を購入することは許されないのだけれど、直接指摘はできない。
さり気なく言ったけど、全然さり気なくなかったみたい。
教授の動きが止まる、目元がピクピク痙攣している。
「人形と魔法陣はまだ使えるでしょ? 使えれば別に三十年前のものでもいいじゃない」
(――全然機能が違います)
三十年前の魔法陣なんて、「なんか書いてあるなー」という感じしかしない。経年劣化で恐らくもう何の効果もないだろう。
通常の演習室の魔法陣は、魔法の暴走や、召喚魔獣や召喚悪魔の魔法封じのため、防魔・退魔効果があり、それ以外の様々な機能も付加されている。例えば火系魔法の暴走防止で防火・消火機能、水系魔法の暴走防止では吸水・排水作用など。
また床に描かれるタイプは消耗が激しいので、最近は空中に魔法式がホログラムのように浮かび上がるタイプのものが好まれている。
そして人体モデルも魔法学科の教材として設置が義務付けられている。人体に魔法をかけた際に、どのような作用機序が働くのか、視覚的に認識するために重要な教材なのだ。
なのに、この領域の唯一の人体モデルは、ゴムは劣化し溶けてべたべたと糸を引き、中身のスポンジも飛び出ていて、とても使えるものではない。
「大したことのない演習しかしなければ、魔法陣も人形もいらないでしょ。演習なんて形だけでいいのよ」
(たいしたことのない演習!?)
私の演習のことですか……?
ひどい言い様だ。
それに学生への教材をケチるとかなぜ? 自分の研究備品を買いたいから?
「いい、ハーネストさん! 魔法陣も人形もあるんでしょ? すでに体裁は整っているのに、何が必要なの? 教育はね、中味じゃないのよ、形なんだから! しっかりして頂戴! 教育に、中身は重要じゃないの!」
――もう、言われている意味が、わからりません。
何を言っているのか、何故、ここで怒鳴られているのか。
リディアは自分の顔が能面のようになっているだろうと、想像する。
わかるのは、教材を購入することに賛成されていないということだけ。
――もういい。もういい。
リディアは、急にフッと覚めた目で部屋を見渡した。
「そういえば。こちらにある小包、ワインの詰め合わせのようですね――先生がお好きだとヤン・クーチャンスが」
入り口にあるダンボールの山の一つを指差す。
「え、あなた、何を?」
「これは、マーレン・ハーイェクからですよね。賄賂になってしまうと彼も誤解されてしまうと困りますよね。出席日数が今ぎりぎりですし。まさか足りなくて単位が与えられるわけはないと思いますけれど。そうなった時に誤解されないように、これ、返却しておきましょうか?」
「な、何言ってるの? あなた何を言い出すの! 別にそんなのじゃないのだから」
「そうですか、最近は色々煩いから学科長の耳に入らないよう、気をつけたほうがいいかもしれないですね。――あらそういえばこの後、学科長には学科会議でお会いしますね」
学科会議は教員全員が出席する。
教授はこの後、お外のお仕事――魔法省の職員とランチだと言っていたから、本業の会議は欠席予定だったかな。
「理事長も大学職員の汚職には、最近はかなり神経を尖らせていますね」
感情のこもらない声で、リディアは続けた。
「あ、大変。私、書紀ですから、そろそろ準備して学科長には本日の議題の資料を送信しないと」
そう言って、ドアに手をかける。
「ところで。予算案、これで出しますね。先生の魔力反転装置は、ご自身の研究費でお買いになってください」
リディアは言いきって、教授の部屋を退出した。
リディアが、事の顛末を話した途端、サイーダとフィービーは絶句した。
「あなた、正気?」
「――やってしまいました」
正確には、言ってしまいました。ぶちかましてしまいました、だ。
「おかしいことをおかしいって、普通は言わないのよ。あなた相当変わってる」
「――言わないですか?」
「ええ、黙っているの。普通は、長いものには巻かれるのよ。イエスしか言わないの」
「――そう、ですよね」
リディアは、遠い目で相槌を打つ。それが処世術というものだ。
「私の成果物が取り上げられたことはいいんです。でも、教育云々で腹が立ってしまって」
「普通は、自分の論文が盗用されたことに腹を立てるけれど」
サイーダは呆れた、と呟いた。
「結局、それであなたの組んだ予算は通ったの?」
「いいえ。ネメチ准教授から、修正案が送られてきました」
――もちろん、通るわけがない
ネメチ准教授とは、ほとんど休んでいるリディアの領域の准教授だ。先週ドアをノックしたことで怒鳴られた後からの二度目の接触だ。
送信されてきたメッセージも、なかなかイッていた。脅しのような罵倒のような言葉が込められた長文メッセージと共に、修正予算案が送信されてきた。
教授が、准教授に修正を命じたのだろう。修正された予算案は、教授の高額研究備品が組み込まれていた。そして学生用の備品は削られていた。
「ネメチ准教授からは『こんな事もできないのか無能』と、言葉を頂きました」
ずっと不在の准教授だけど、一体何をしている人なのだろう。予算案の修正作業をさせられて、キレているのだなということはわかった。
「それ、パワハラの証拠として取っておいたほうがいいわよ。――それで出したの?」
「ええ、まあ」
先日壊した実験室の魔法陣の修理代と、自分たちの演習室の魔法陣のアップグレード申請だけはさり気なく差し入れて、最終提出した。ウィルの父親のダーリング教授からの紹介で、安くなりそうだ。
「簡易魔力測定器は、貸してあげるわよ。人体モデルも」
「ありがとうございます」
「それに、あなたの、送別会はやってあげるから」
リディアは、口を引き結んだ。どういう反応をしろというのか。
「サイーダ。冗談にしても、ひどいわ」
フィービーが、たしなめる。
「私、リディアは長く続くと思うわ。だって去年の先生は、二ヶ月で来なくなったもの」
「そうねえ。やっぱ若いからダメージが少ないのかしら、リディアは」
そう言って、おもむろにリディアの頬を指で突く。
「やっぱ柔らかい、何この肌!? 赤ちゃん? ノーメイク?」
「寝坊しかけて化粧を忘れたんです。眉しか描いてないです」
リディアは慌てて、サイーダの攻撃を手で防ぐ。そういうキャラクターでしたっけ?
「アンタのこの肌じゃない? そちらの教授のイジメの理由。ねえほっぺた摘んでいい?」
「ちょっと……やめてください。教授に当たられる原因かどうかはわかりません。ただ、気に入られていないのも、もう気に入られることはないのは、わかります」
「そうねえ」
「たしかにね」
二人は、否定をしないで、曖昧な笑みを浮かべて肯定した。
リディアも嘆息して、意識を切り替えた。
「とはいえ、生徒もいるので。今、辞めたりはしないです」
そう――辞めさせられない限りは。
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