ミリオタの立場

遅刻を回避せよ

 今日も楽しい楽しい学園生活が始まるよー。全力疾走しながら皮肉たっぷりに心の中で叫び、僕は校門を6ノット(時速約11km)で通過する。二次大戦中の潜水艦である伊四〇一の水中速力6.5ノットには僅かに及ばない速力だが、いつもよりは断然速い。


 「現在時刻〇七五九、二秒!残り五十八秒!」


 校門脇の警備員室に置かれた時計の時刻を声を出して確認する。警備員はというと、見慣れた姿にただ苦笑するだけだ。その顔を後目しりめに、僕は階段を駆け上がった。

 時計を見る。残り三十秒。いや、ここのチャイムは十秒だけずれているから残り二十秒か。まだギリギリ間に合う。教室まであと五秒。四、三、――――


 「弾着ー、今!!」


 何故かそう叫びたくなった。ドアを開ける時間は残されていなかったので、そのまま蹴破って突入。まさしく爆弾の如き衝撃が教室を襲った。

 コンマ五秒の差でチャイムが鳴り始める。間に合った。よかったあ。

 安堵したのも束の間、恐ろしい影が近づいてきた。担任の財前好美ざいぜんよしみである。こういう人は一部のオタクから熱烈な支持を受けているらしいが、女教師ってのはどうも好きになれない。


 「早く扉を戻しなさい」


 僕は素直に戻してやった。気に食わない奴だが、ここで反抗してはもっと面倒な事になる。もっとも、一番怖かったのは周囲の目線だが。


 「では、鷹野君、こうなった理由を短歌でどうぞ」


 財前は数学教師なのだが、こういう事が大好きである。趣味は百人一首。信じられん。古典でも教えてろよ。


 「ええ、と……」


 真面目に考えても何も思いつかない。そもそも何で遅刻したんだっけ。そうだ、思い出した。ただの寝坊だ。昨日も三時まで、世界の裏側にいる人々と駆逐艦で魚雷の撃ち合いをひたすらネットゲームしていた。


 「駆逐艦 魚雷うってた 三時まで それから寝たら 今日も寝坊」


 小学生でも作れる歌である。クラスのみんなが爆笑した。財前も苦笑している。こいつら……  いつか絶対殺してやるぞ。



 朝礼の後。一時間目は英語であった。

 今は「自分が尊敬する人の事を英語で書いてみましょう」などという極々平凡な内容の授業が進められている。みんなは面倒くさがっているが、要は適当に英文を作れば一定の評価が貰えるのだ。英語が得意な僕からすればこんな楽な授業は他にない。

 五分でざっと三百語くらい書き、あとは寝ていた。英語ができないやつは五十分の授業時間を使い切っても二百語が精一杯なんだろうなあと思いつつ。ただ、ここで寝るべきではなかったらしい。



 しばらくの後、妙な違和感を覚えた僕は目を覚ました。


 「お、ようやく起きたか」


 高倉の声が聞こえた。英語科の教師にしては珍しく、彼の声はやさしい。


 「どうしたんです?」

 「いやね、これは流石にまずいんじゃあないかな」


 差し出されたのは、四十分ほど前に僕が英文を書いて机上に放置したはずの原稿用紙だった。スペルミスでもあったのか?


 「何が問題なんでしょうか」

 「何が、と言われてもな。自分で書いてて分からないか」


 分からない。僕はただ、ミッドウェー海戦にて航空母艦飛龍ひりゅうと最期を共にした山口多聞やまぐちたもん中将の事を詳細に書いただけだ。軽く読み返してみたが、間違いは見当たらない。文法もスペルも完璧だ。


 「あ、問題って、出典が明記されていない事ですか」

 「いや、そうじゃないんだけど。なんていうかね」


 高倉が指さしたのは、“ He devoted his life to the Emperor and the Empire.”という最後の一文。「彼は天皇陛下と皇国みくにのために人生の全てを捧げたのです。」という意味だ。表現に変なところでもあったのかな?


 「うん……  まあ、いいけれど。ほどほどにしておきなよ」


 しばしの沈黙の後に、そう言って彼は教壇に戻った。彼が何を言いたかったのか、何となく分かった。社会人になってからも平気でこんな事ばかり言っていたら社会から白い目で見られる、と心配してくれたのだろう。



 結局、僕はその部分を書き換える事もなく提出した。評価はABCのうち最高の「A」だった。ただし、最後の文のところには丁寧な赤字で「もっと適切な表現を調べてみよう。devoteは少し意味が違うよ」とあった。

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