第十八話 「素質はある、素質はあるんだぜ?」



 調教師、そういう職業が世の中にはある。


 色艶に夢中になっている者なら、『女』を調教する者だと。


 多くの人々、それは例え冒険者であっても、こう認識している、――――『家畜』或いは『奴隷』を教育し、躾る職業である、と。


 それらは、間違いではない。


 アベルの目の前で、しょぼくれている若き青年ケインも、そういう調教師の一人。


 ただし、扱うのは『家畜』や『奴隷』、ましてや『女』などでは絶対にない。


 ――――『魔物』


「んで、今日はどんな相談があるんだ? 何でも言ってみろケイン」


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛に゛に゛に゛に゛に゛に゛に゛き゛き゛き゛き゛き゛き゛ーーーーーー!」


「おわっ! 縋り付くな気持ち悪いっ! 鼻水付けるんじゃねぇよっ! ほれっ! ハンカチやっから拭け、んでもって落ち着けっ!」


 アベルが部屋に入った時は一人、ケインは教官室のアベルの机の前で、ぐすぐすと肩を落としていた。


 おはよう、と声をかけて先ずアベルが席に座り、次にケインに隣の席の椅子を勧めて、――――涙腺が崩壊しかける。


 そして、本題に入ればこの有様だ。


(そういや、前にパトラが言ってたっけ。泣き癖が無ければ、多くの女が寄りつく、だっけか)


 なお、この痩せ形長身の優男の泣き癖は、ある種の、母性は高いが依存して来そうな粘着質の女性に、特に人気であり。


 しかして、近寄ってきた女性と『良い』間柄になりそうになる瞬間、犬や猫が乱入しおじゃんになる案配だ。


(愛玩動物の調教師に鞍替えして、女の紐になったほうが幸せなんじゃないか?)


 とはいえ、口には出さない。


 その才能が希有な事もあるが、一応は冒険者として生活出来ているのだ、この男は。


 おろろろんと滂沱の涙を流す状態から、えぐえぐ、と啜り泣きに移行したのを見て、アベルは話を再開する。


「いや、ハンカチを今返すんじゃねぇ、せめて洗うか、新しいの買ってこい。――――んで、どうしたよ。相変わらず魔物が見つからないか? それとも変な女に迫られてるのか?」


 ケインという若者の悩みは、おおよそこの二つ。


 今回は、どちらだろうかと、後者であれば解決は容易いのであるが。


「…………うう、どっちも、どっちもなんです兄貴ぃ、僕は、僕はどうしたらいいか」


「そうかーー、…………どっちもか。取りあえず、ほれ。相談賃入れろ」


 面倒な、と真顔になったアベルは、机の上の猪型貯金箱を差し出す。


 ケインは、ローブの隠しからから財布を取り出すと、銅貨を三枚をちゃりんちゃりんちゃりん。


 庭の雑草抜きと同じ依頼料、即ち子供の使いと同じ位の金額を入れる。


 本来ならば無料でもいいのだが、ギルド側へ仕事をしているという言い訳と、相談者側の心理的抵抗を低くする手段であった。


「では確認といこう、魔獣と魔物の違いは何だケイン」


「今更おさらいですか? まぁ、いいですけど…………」


「おう、温故知新。基本を疎かにする事無かれってやつだ」


 既知を述べる事によって、精神の安定を計るアベルの目論見に、ケインはあっさりと引っかかり説明を始める。


「ええっと、まず魔物と魔獣の違いからですね」


 特殊な事例を除いて、魔獣とは魔王から生み出された眷属だ。


 そして魔王が倒されると、魔獣は魔物という、強化された新たな種族となる。


 これは、知性が動物並の場合で、人と同等以上の知能を持つ場合、かつ人間との共存を望んだ種族は『人類』として扱われ、学術的には『解放種族』という。


 エルフ、ドワーフ等がディアーレンでは比較的目撃され易い種族だ。(小人族、猫人、狼人など、野で独自に生活圏を作る種族も多々いるが)


「では調教師に必要な素質といえば、言葉を持たない魔物への『共感能力』です」


 偉い学者などは、本来、全ての生き物に備わっていた筈の機能だとか。


 調教師、という適正を持つ者は、エルフなどの様な『解放種族』である、という説を唱える者など、様々な話が飛び交っているものの。


「この『共感能力』って、まだ完全には解明されていない力ですね」


 能力を持つ者の特徴として、動植物の気持ちが何となく解る、という事。


「エルフは植物、ドワーフは土や鉱物が。これは最新の学説なんですが、魔物調教師以外の、普通の調教師は、その『共感能力』が何かの方向に秀でている、という訳らしいです。――――こんな所でしょうか」


「ああ、十分だ」


 このケインという若者が、魔物を一切使役出来ないという、調教師として致命的な状況にあるにも関わらず、冒険者としてやっていけるのは。


(――――無意識、なんだろうな。直ぐに泣き出す癖とか、普通の冒険者としてやっていくには力不足な所とか、そういう弱点があるにも関わらずやっていけてんのは)


 恐らく、魔物にも通用する高い『共感能力』を万全に使いこなせているのだろう。


 現にこうして対面するアベルは、盛大に泣きつかれた後にも関わらず、何一つ不快感が無いのだ。


 相手への線引きが上手いのだろう、とアベルは一つめの解決策を提案する。


 命知らずの行商人が魔物を売りに出す事があるが、そんなもの数年に一度の希な事態であるからして――――。


「――――取りあえず、いつも通り魔物探しに付き合えばいいんだな? で、もう一つは?」


 恐らく空振りに終わるだろうが、気の利く奴だ。


 一緒に討伐に出るのも悪くない。


 問題はもう一つ、女性問題である。


 彼の共感能力故か、どうやら性格的に厄介な女性を引き寄せてしまうのだ。


 然もあらん。


(ウチの受付嬢にも、一人撃沈された奴がいたなぁ。なまじ優秀だったから、あの時は色々と大変だった…………)


 他の受付窓口の負担が増えた事くらいは、さして問題では無い。


 その受付嬢を贔屓にしていた高位冒険者と決闘騒ぎになったり(アベルが出張って叩きのめした)


 彼女が当時付き合っていた恋人、――――関係は殆ど破綻していたが、その者が王都で大きな商会の息子で、街の流通関係に大きな亀裂が入りかけたり(ヴィオラの伝手と、最終的にはやっぱりアベルが叩きのめした)


 女性関係に関しては、とにかく厄介な人物を引き寄せるのだ。


 本人に一切の非がなく、誠実な人物であるのがせめてもの救いである。


 瞬間的に過去を振り返るアベルに、ケインは告げた。




「――――――少女が、迫ってくるんです」




「成る程………………?」


 重苦しく告げられた言葉に、アベルの思考が停止する。


 そして追い打ちをかける様に、彼はのたもうた。




「この所、家に戻ったら。十歳くらいの子が告白してくるんです。勿論、身元はそれとなく聞き出しました。行商人の子、斜め向かいの子、エルドラさんの所のリリシアちゃんに、果ては――――エレオノーラ様までっ!」




「――――マジか」


 エルドラとはこの街でも随一の熟練鍛冶師、そしてエレオノーラとはディアーレン領主の愛娘だ。


(少女に言い寄られるとか、どう解決すればいいってんだっ!?)


 ひとまず確認すべきは一点。


「お前…………、手ぇ出してねぇだろうな?」


「しませんよ、そんな事ぉっ! 僕はっ! もっとおっぱい大きくて美人な、赤毛の美人が好みなんですっ!」


「ああ、そういえばお前、どっかの娼婦に入れ込んでるって話があったな」


 野良犬猫の介入で、何度挑戦しても行為を致す事が出来ないというオチもついていたが。


 なお、件の娼婦からの好感度は上がった、という話もあるが。


「それだけじゃないんですっ!」


「まだ、何かあんのか…………」


 ケインはガタンと音をたてて立ち上がると、拳を握りしめる。




「女神様からのお告げがあったんです。――――僕、このままでは少女達に童貞のまま飼い殺しに合うってっ! それを避けるには、西の大森林地帯の奥にいる、女神様を配下に加えろって! お願いします兄貴! 助けてくださいっ! 僕、僕…………、童貞のまま飼い殺しは嫌だああああああああああああああああああああああああああああっ!」




 頭を抱えて叫ぶケインに、アベルの方こそ頭を抱えたくなった。


 女神、女神って何だ、頭が沸いているのかコイツ、そんな言葉を飲み込んで、必要な事を聞き出す。


「聞かれた事だけ答えろ、――――女神の特徴は?」


「金髪の美人でした。――――八重歯が魅力的な感じの」


「どこで会った?」


「最初は、森の奥で気絶してしまった時。その後は数日毎に夢に出てくるんです」


「少女達は、そいつの仕業か?」


「わかりませんが、恐らくは」


「少女達がお前に迫る意外の共通点は?」


「何かあったかな? …………そういえば、料理中に抱きつかれた時、指を切っちゃったんですけど。なんというか、その日は妙に色気を感じた様な?」


 もしかして少女趣味に…………、そういう指摘を飲み込み、アベルは考える。


(女神、光神教は偶像崇拝を禁止している。教会にあるのはエルフとヒトの男性の像)


 森の奥で気絶した時とは、一ヶ月前にケインが臨時のパーティに加入し、向かった先での出来事だろう。


(そういえば、妙な報告が上がってたな。エラく強い魔獣と遭遇し、敗北した筈だが、何の証拠も外傷すら残ってないとか)


 結論から言うと、何も解らない事が判明した。


 対処法としては、少女の親御さんに注意してもらう、そしてケインを暫く他の街に移して様子を見る。


(だが、それでは万が一の時に、手遅れかもしれない)


 アベルとしては、ケインの人柄も才能も惜しい。


(明らかに罠だが…………つっこんでみるか?)


 森林地帯の奥に、何かが居る。


 悪意を持った人なら、殺してしまえばいい。


 単にケインを求める魔物なら、はた迷惑な事件で片が付く。


 だが、――――それが新手の魔獣、或いは。


(プルガトリオ、奴らの差し金だったら?)


 可能性は低いが、用心するに越したことは無い。


 黙り込んだアベルを、ケインは不安そうに見て。


 そして。


「…………よし、森の奥だな。昼過ぎに西の小門に集合、泊まる準備を一応しとけ」


「はいっ! この恩は必ず返します兄貴っ!」


「そういうのは解決してから言えよ、ほら、俺は色々根回しすっから」


「お願いします兄貴っ! では昼過ぎに西の小門で!」


 ケインは深く頭を下げ、教官室から退出する。


(ヴィオラに報告して…………、あー。今回はリーシュアリアも連れて行くか?)


 もしプルガトリオの仕業なら、彼女が一目で見抜く筈だ。


(折角だ、イレインとガルシアの出発がまだなら一緒に連れて行こう)


 特にイレインは、大森林地帯に入るには経験が足りないが、良い機会である。


 アベルもまた、教官室を出て足早に歩き出した。


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