第4話 彼女の本質

 チャイムが鳴ってその日の終業のホームルームが終わった。星原に何かフォローを入れようと思ったが、クラスメイトの女子と話していてタイミングがつかめない。


 どうしようかと内心迷っていると明彦が僕に声をかけてきた。


「真守? 帰らないのか?」

「ん、ああ」


 仕方がないよな。後でメールでも送るか、そう思った時だった。


「月ノ下。ちょっといいか?」

阿佐ヶ谷あさがや。どうしたんだ?」


 阿佐ヶ谷は掃除などで同じ班になるクラスメイトである。ときおり横柄で自己中心的なところがあるので僕の中ではあまり印象はよくない。ただ根は単純で判りやすい人間なので、そういう意味では少しだけ親近感がないわけでもない。


 そして非常に珍しいことだが阿佐ヶ谷は眉をしかめ、僕を心配するような表情で話しかけてきたのだ。


「いや、ほら。今日、お前に声かけてきた女。綾瀬ってやつだろ?」

「ああ。そうだけど」

「そいつの事で話があるんだが。ちょっとここだと話しづらくてよ」

「? わかった」


 僕と阿佐ヶ谷は、あまり人が来ない体育館裏まで歩いて移動した。


「……つうか、雲仙まで来たのかよ?」

「いやあ、だってアレだろ? 今日、真守に声をかけてきたあの女の子に関係する話なんだろ? 気になるじゃんよ」


 明彦は悪びれずに言ったものだ。野次馬根性、丸出しだな。

 阿佐ヶ谷はあきれ顔だったが、「まあ、いいか」と呟いた。


「あのな。月ノ下。実は俺、あの綾瀬ってやつのこと知っているんだよ」

「え? でも阿佐ヶ谷って中学校、市立の南中だったよね」


 そして、綾瀬さんと同じ中学だという星原は少し離れた別の市立中学校だったはずだ。


「いや、中学校で顔を合わせたわけじゃない」

「? すると、小学校とか?」

「ああ。あいつは俺と同じ小学校でな。卒業前に引っ越して、中学校は別々だったというわけだ。向こうはおれの事なんか覚えてなさそうだがな」

「わーお! あんな可愛い子が幼馴染だったとは。うらやましいな」


 明彦が軽い口調で口をはさむ。


 しかし阿佐ヶ谷はその言葉にますます重苦しい表情になる。


「別に小学校が同じだったというだけで、幼馴染にはならんだろ。第一、羨ましがられるようなことは何もなかったさ」

「……察するに羨ましくない何かがあったのか?」


 僕は、阿佐ヶ谷に話を促した。


「小学校の時から、あの綾瀬という奴はまあ目立つ存在だった。そこそこ外見は可愛いし、運動もできたし、明るく人に接していたからな。クラスの男子の憧れの的みたいな感じだった。まあ、その、今となってはあれなんだが。俺も当時ちょっと親しくなれたらなあとは思っていた。ある日、クラス内のバスケ大会で俺が活躍したことがあったんだが。その次の日に机の中に手紙が入っていてさ。差出人は綾瀬だった。内容は、『お願いしたいことがあるので、明日の放課後、校舎裏で待っていてください』という感じだったかな」


 阿佐ヶ谷は、仏頂面で話を続けた。


「待ち合わせ場所に行ったら、綾瀬が待っていた。『阿佐ヶ谷くんって格好いいよね。君のことを色々知りたいし、もし良かったらこれからは一緒に帰らない?』という話だった。それからは、毎日のように一緒に帰ったんだ。最初は話題に困ったけど、ちょっとしたことでも笑ってくれたりして打ち解けてきた気がした」

「……」

「二週間ぐらいが過ぎたころに、テニスの試合があるから一緒に見に行かないかと誘われた。これは一応デートなのかと思いながら、俺は喜び勇んで綾瀬についていったよ。その後も何回かテニスの試合を見に行ったけど、綾瀬がテニスを習っているのは知っていたから、不自然には思わなかった」


 横で話を聞いていた明彦はこの段階で何か察したのか、さっきまでのへらへらした雰囲気から無表情になっていた。


「……それで?」

「俺はもう、彼氏彼女みたいなものだろうと舞い上がって、ある日綾瀬にプレゼントを渡そうと思って、小遣いためてネックレスを買ったんだ。いつものように帰り道で二人になった時に渡そうと思ってな。だけど、その矢先に『もう一緒に帰らなくてもいいから』と切り出された」

「え? どういうこと?」

「俺も最初は何が起きたのかわからなかった。何か嫌われるようなことをしたのかと考えたが、覚えがない。だが、しばらくして綾瀬が他の男と一緒に歩いているのを見たというやつがいた。まさかと思ったが、俺もそいつが学校に綾瀬を迎えに来るのを見た。俺はそいつの顔に見覚えがあった。綾瀬と一緒に見に行ったテニスの試合に出ていた中学生の選手だった」

「……話が見えてこないんだが」

「少し経ってからうわさで聞いたところによると、綾瀬は最初、その男子中学生に告白したらしい。でも、考えさせてほしいとか煮え切らない返事だったんだが、結局向こうから付き合って欲しいと頼み込んできたんだと。同じクラスの女子の綾瀬の取り巻きの一人がどうやって告白させたのか、と聞いたら綾瀬は自慢げに答えたそうだ。『適当な男友達を誘って試合を見に行って、ジェラシーを煽るように見せつけてやったのよ』ってな」


 僕は何と言ったものか、わからず黙り込んだ。


 明彦が申し訳なさそうに言葉をかける。


「ええっと。……俺、興味本位で話を聞こうとして、もしかして気を悪くしたか?」


「別にいいって」と阿佐ヶ谷はぼやくように言った。


「俺にとってはデートのつもりでも、綾瀬にとっては男友達を誘って、自分の恋愛のために協力してもらっているという認識にすぎなかったということだよ。一緒に帰るように頼んだのは、他の男子が自分に寄り付かないようにするためのカモフラージュというのもあったんだろう」


 阿佐ヶ谷は淡々と話を続けた。


「その後、二日間ぐらい俺は家で部屋にこもってふさぎ込んだよ」


 途中から阿佐ヶ谷の立場で聞いていた僕としては何とも痛ましい気持ちになった。

 

 だが、それはそれとして阿佐ヶ谷にこの話の意図を確認する必要がある。


「つまり阿佐ヶ谷としては、綾瀬さんは何か悪意を持って誘っている、と?」

「まあ、悪意を持ってとまでは言いすぎだけどな。俺の事にしたって、綾瀬はたぶん悪いことをしたとは思っていないんだ。確かに一緒に帰りたいと言われただけで、直接的に好きとか言われたわけじゃない。自分が何か頼めば、たいていの男子は断れないとわかっていた感じはするがな」


 僕は初めて綾瀬さんを見た時に生じた拒否感の正体が何となくわかった。あの綾瀬さんの自信にあふれた瞳だ。いや自信があること自体は別に悪い事じゃない。ただ綾瀬さんのあれは、こう、自分の外見的な魅力を自分で分かっている人間の目、自分が美人だと自覚している人間の目だった。


 その手のタイプの女の子は、小さいころから周りから慕われて育ってきている。つまり自分のために他人に何かをしてもらったり利用するのに慣れていて、言うならばそういうことに罪悪感やためらいを持たない。


 いつも何か周りに迷惑をかけるんじゃないか、軽蔑されるんじゃないかと心のどこかで周りの目をうかがいながら生きてきた僕のような人間にとっては、正反対のタイプと言うか、天敵に近い。


「まあ十中八九、僕に好意をもって誘ったんじゃなくて、からかうのが目的なんだろうな。事前にそう聞いて心の準備ができていれば、騙されたのだとしても気も楽になるよ。明日はそのつもりで適当にこなすさ。ありがとう」

「そうか。何で目をつけられたのか知らんが、気をつけてな」

「俺としては騙されるとわかっていても、それはそれでデートしてみたいな。経験にはなるかもしれないしなあ」


 明彦のぼやきに僕と阿佐ヶ谷は苦笑いした。




 その日の夜。


 家に帰った僕は、自室のベッドに寝そべりながら星原に「明日は勉強会にいつもどおり行くから」とメールを送った。途中で抜けることにはなるが、とにかく話す機会を作っておきたいと思ったのだ。星原からは「わかりました。待っています」と返事が来た。


 それから綾瀬さんにどう対応するか考えをめぐらせていた。僕は今さらながら、綾瀬さんの意図をなんとなく理解しつつあった。


 球技大会があるのは明後日の水曜日なのだ。


 綾瀬さんが誘ってきたときに、「普通、周りの目があるところで誘うか」なんて思ったが、逆だった。綾瀬さんは周りの目があるところで誘いたかったのだ。もっと言うなら星原のいるところで、だろうか。


 綾瀬さんは「口頭では否定されたが僕と星原が特別な関係にある」と踏んでいるのだろう。星原に揺さぶりをかける目的で僕に近づいたのだ。それも球技大会の直前というこのタイミングで。


 しかし一度約束してしまった以上、断ることは難しい。星原とつきあっているわけではないと言ってしまったし、星原との微妙な関係について説明することもできない。断る理由として「星原との勉強会があるから」というのも考えたが、それを綾瀬さんに言ったら、ますます確信を深めて僕と星原の関係をふれてまわる可能性もある。


 さりとて綾瀬さんと一緒に明日の放課後過ごすにしても、どうしたものだろう。正直、このまままだと星原は僕が綾瀬さんに気があるものと誤解するかもしれない。


 いや、それは僕の優柔不断のせいだから仕方がないが。とにかく明日の勉強会の時に誤解を解くしかない。どうせ綾瀬さんは本気で僕と付き合うというわけではないだろうしな。


 でも、このまま綾瀬さんの思い通りに事が運ぶのは何だか癪だ。せめて、星原のために何かできることはないかと僕は考えていた。

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