第25話「お兄ちゃん! どっちを選ぶ?」
「でも、朱冴さん……ここからどうやって行くんですか?」
緋乃がそう言って俺たちの目の前を指差すと、そこには……
「なんだ……これ……」
俺が見たのは川の水が柳神川の中心へ吸い寄せられる不気味な光景。
ポロロッカ現象と言われる現象が存在する。簡単に言えば、潮の満潮によってアマゾン川の水が逆流する現象である。ポロロッカとは「大騒音」という意味で、文字通り俺たちは水が大きく唸りをあげているような轟音を聞いていた。そして、アマゾン川ではなくこの柳神川でもポロロッカ現象が発生している。
「これも、龍神様がやってることなんだよ」
「朱菜が、
そう言ったところで俺たちの頭上から強烈なまでの雨が降ってきた。こんなにも強い雨は初めてで、この雨が俺たちの進路を妨害していた雨だということに気が付いた。
「お父さんが
俺たちが蛙の胃袋の中に閉じ込められてしまったあの時も確かに俺たちの行く手を阻むようにして強い雨が降っていた。
「そのせいで濁流に飲まれて……」
嫌な記憶がよみがえったところで俺たちは、聞き覚えのある声を耳にした。
「これってさ……お父さん」
「そうだな、望日、龍神様もとい朱菜は俺たちを相当この《ライレイン》に入れたくないようだな」
「ボボボボボボ!」
けたたましい轟音が鳴り響く。この声の主を俺たちは知っている。
「ボボボボボボ!」
依然として鳴りやまぬ鳴動、この猛々しい地響き、間違いなく奴だ。
「ここにまた現れたってことは偶然じゃなさそうだな……」
俺たちをいとも簡単に飲み込んだあの憎き巨大ガエルが再び姿を現した。ブラックホールのように周りの光をどんよりと包み込み吸収するその姿は、醜悪な姿をより一層際立たせている。
「今度は……負けない! 望日、あれやるぞ!」
「あれって言われても、事前に口裏合わせてないでしょ、お父さん!」
――まあ、言いたいことも、やりたいことも分かるけど。
「「ダブルウォータージェット!」」
高密度、高圧力のジェット水流が、きれいに二つ折り重なったまま直進する。
「あの時の俺たちとは違うんだ!」
ビームソードのように蛙の肉を中心で真っ二つに切断する俺と望日、その姿を見ていた緋乃は呆気に取られて手を叩いていた。
「二人ともさすがです……」
我ながら、いろんなところを巡って遠回りしたおかげで随分とこの能力も自由自在に操れるようになったものだ。素直に感心する俺。
「さあ、朱菜に会いに行こう」
立ちはだかる壁だって、まだ見ぬ強敵だって、その他諸々何だって、今の俺なら乗り越えていけそうな気がした。どこからか無尽蔵のエネルギーが湧き出てくる感覚が確かにこの時の俺にはあったのだ。
たぎる魂、みなぎる心。
猪突猛進の我武者羅にいけが万事うまくいって、最後はハッピーエンドを迎えることができる気がしていた。
「俺と望日がいれば世界を救うなんて簡単なことさ!」
この時点で俺は気が付いてはいなかった。たぶん気が大きくなって、テンションがおかしくなって、自己の全能感に陶酔していたからだ。
最終章 雲外蒼天! 太陽と望日とお父さん!
今江祥智が書いた童話の中に「竜」という作品がある。その童話の中の竜は、臆病で湖の底に潜っている。人々に見つかりはしないだろうかと常に身を隠してせせこましく生きる竜。それは、俺たちがイメージする竜とは正反対にある存在として描かれており、その固定概念の転覆がもたらす滑稽さがこの作品の面白さにつながっている。
なぜこんな話をしたかだって?
この湖にも、眠っていたんだ。
竜が、それも七年間も、湖の底で。
その竜は寂しさのあまり、我を失ってしまうこともあったし、人を寄せ付けないために人が少しでも近付こうものなら自慢の天候を支配する力を使って濁流作り出して、近寄るものを一掃してしまう。
「まっさかなあ、俺の妹、跡川朱菜が《ライレイン》を守護していたなんてなあ」
「まあ、正確には守護と言うよりそこに閉じ込められていたってのが正しい気がするけどね」
「さていっちょ迎えに行きますか」
――死んで会えないと思っていた妹とこんな形で再会できるなんて思って無かった。
「知ってました? 虹って竜が天に昇って出来るんだって!」
「四の五の言ってる暇はなさそうですよ」
妹との感動の再開だったハズなのに、俺たちが見ているのは……
「やっぱり竜じゃねえか……」
それは長い髭に長い尻尾、そして四本の大きな角を持つ、河の神、蛟(みずち)だった。ただ、目の前にいるそれは、その体のすべてが水でできている。その体は無色透明でその体に色はなく、向こうの景色がそのまま透き通って見える。精巧に作られた硝子細工のように美しくあらたかなものに思えた。俺はそのあまりにも玲瓏で神聖な容貌に、思わず感嘆してしまいそうになる。
「さあ、ラスボス攻略といきましょー、お父さん!」
「そんなこと言っても、どうやって戦えば……」
そう考える間もなく、蛟はその大きな尻尾を思い切り俺たちの方に振りかざす。
「うわっ……」
俺たちはあっという間にジエンドして、ゲームオーバー。セーブポイントなんてない。このままバッドエンドに突入したと思った。
――しかし、そうではなかった。
「これは……朱菜から伝わってくる記憶、俺の記憶……」
「お兄ちゃん! 朱菜と一緒にトランプしよ!」
「よし! 朱菜、父さんと母さんも入れて四人でしよう!」
走馬灯のようによみがえる記憶、俺たちはこの《ライレイン》で仲良く楽しく暮らしていた。
あの大災害の日まで。
「お兄ちゃん! どっちを選ぶ?」
そう言って朱菜は二枚のカードを俺の目の前に突き立てる。俺は逡巡する振りをして、朱菜の顔色を窺う。
「こっちにしようかな~」
朱菜が険しい顔をしている。きっとこっちがジョーカーだ。なんて単純で分かりやすいんだ。
まあ、そんなところも可愛いんだけど。
「それとも……こっちにしようかな~」
朱菜の口角が上がるのを確認して、俺はわざと妹の嫌がる方を選択した。
「朱菜はまだまだババ抜きでは、このお兄ちゃんに敵わないな~。今回の勝負はお兄ちゃんの勝ちだ」
そう言って掴んだカードはジョーカー。
「朱菜、嘘だろ……絶対こっちがジョーカーだと思ったのに……」
「お兄ちゃん、さっきなんて言ったの? 朱菜聞こえなかった~」
まんまと策に嵌ったのは俺の方だ。この妹、なかなかの策士だ。
「はい、今回は朱菜の勝ち~」
勝ったと思ったら、負けていた。ババ抜きでこんなに屈辱を味わったのは初めてだ。
「朱菜、もっかい!」
兄の方から妹に懇願する。それを聞いた朱菜は上機嫌なようで、
「お兄ちゃんがそこまで言うなら、どうしてもって言うなら、仕方ないな~」
「今度は負けない!」
こうしてババ抜き二回戦が始まった。今度は父さん母さんを抜きにした二人だけの真剣勝負だ。
「また、最後の二枚になったな。兄の方が強いってことを朱菜に分からせてやる!」
これが人生で一番必死になったババ抜きであろうことは言うまでもないだろう。先ほどの演技とは違い、今度は真剣にそして、冷静に、慎重に、二枚のカードを睨む。カードの裏を透視するが如き眼光で、俺は朱菜の手に握られたカードを見つめる。
「そんなに見たってジョーカーはどっちか一枚だよ、お兄ちゃん」
その後の勝敗を俺は思い出すことができない。勝ったのは、俺か朱菜、一体どっちだったんだっけな……
俺はあの時のように二者択一を迫られる。だけど、あの時とは違うことがある。それはどちらのカードを選んでも俺はジョーカーを引いてしまうということだ。つまり、この勝負、どちらを選んでも負けることになることが分かっている勝負だ。
ただ、どちらのジョーカーを優先するか、というだけの話だ。
そういたって簡単、何ならあのババ抜きよりも簡単なルールなのかもしれない。
ただ、俺が救うことができるのは二人の内、どちらか一人だけ。
なんのことを言っているのか分からないかもしれない。俺自身も正直なところ、こんなことになるなんて信じられないし、信じたくない。
よりにもよって、自分の妹か、自分の娘、
――どちらかを殺さなくてはならないなんて。
「お父さん! 世界を救うなら、そして、望日を救うなら、朱菜ちゃんの心臓を手に入れるしかないんだよ!」
――でもそれじゃ、朱菜を救えない。
――そして、ここで諦めて朱菜を救ったところで望日は救えない。
「そんなのさ、世界を救うってんなら、もちろんさ、妹一人の命ぐらいさ、ちっぽけな命なんだ。犠牲になるのも仕方ない。だけどその命もさ、かけがえのないものだろう。何億人の命と天秤にかけたらさ、優先するべきじゃないってことはさ、頭ではさ、分かってるんだけどさ……」
――俺の子の手で妹を殺せってのはさ……
――悪いけど、できない。
――ごめん、望日。
――ほんとに。
――ごめん。
――……
せっかくさ、死んだと思ってた妹が生きていたんだ。そう、その妹が目の前にいる。それなのにさ、殺せだなんて、心臓を手に入れろなんて……
「無理なことでも、やりたくないことでも、やるしかない時はやるしかない」
「未来のお父さんはそう言ってたけど、望日はそれだけは違うと思った」
「お父さんの顔を覚えてる」
「悲しそうなお父さんの顔」
「望日はもう見たくないから」
「だから……」
「さ よ な ら 」
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