第6話 お父さん、どっかで落としてきちゃった……
二章 天牢雪獄! お父さんとギガントピテクス!
西洋で有名な寓話の中に「鼠と蛙」という話がある。
陸にすむ鼠が、水にすむ蛙と友達になった。ある日、蛙は紐で、自分の足を鼠の足にくくりつけ自分のすむ池へと向かった。そして、水辺へやってきた途端、池の中に潜り、鼠はあっという間におぼれ死んでしまう。その鼠の死体は水面に浮かび、その死体に目を付けた鷹が紐で足を結ばれた蛙ごと食ってしまうという話である。
この話の教訓としては因果応報――悪事をはたらくと、それ相応の報いが来るということを伝える話であると言える。
だが、鼠の視点でこの物語を見てみると、踏んだり蹴ったりの物語、まさに死体蹴りの物語であるといえる。溺死しただけでは飽き足らず、その亡骸は無残にも鷹に貪り尽くされてしまうという、言いようがないほどに、惨憺たる物語である。
今回、二匹の鼠、もとい、跡川朱冴、跡川望日の両名はどのような悲惨な結末を迎えたのだろうか。池に飛び込んだ蛙によって、溺死に追い込まれたのか。はたまた、鷹に蛙もろとも食われてしまったのか。
――否。両方、不正解である。
悪運の強い跡川親子は生きていた。
黒風白雨吹き荒れる中、跡川親子を呑み込んだ蛙は、その代償として氾濫した川に呑み込まれ、そのまま絶命してしまったのだ。
命からがら生き延びた二人が漂着したのは、《ガランサス》。
《アマガハラ》からは、遠く遠く離れた地。
《アマガハラ》よりも、遥か北に位置する場所。
そんな《ガランサス》もまた、天からの恵みが絶えない地であることは確かだったが、《アマガハラ》と異なることが一つある。
それは、《ガランサス》に降り注ぐのは雨ではない。
――玉塵。いわゆる、大気中の水蒸気から生成される氷の結晶。
つまるところ、「雪」である。
そのような玲瓏たる
この僥倖が人為的であったことを知るのは、まだ先の話である……
「うわさっむ!」
望日が目を覚ました時、そこに広がっていた景色はこの世のそれとは思えない、渺茫たる白銀の世界。無数の白刃を振り回すかのように雪が舞う、純白の荒野。
この幽邃の地に居ることが夢のようで、望日はこの白に覆われた世界に心酔する。
「ここは……死後の世界ってやつなのかな……」
雪というものを見たことがなかった望日にとってその光景はまさに天国のようで、暫くの間、その美しさに息を呑んでいた。
「……あれ?」
望日は、はっと我に返り、そこで初めて、父の不在に気が付く。
「お父さん、どっかで落としてきちゃった……」
跡川親子は運良く生き残ったものの、仲良く漂着とはいかず、二人離ればなれの漂着となってしまった。だが、望日はそんなこと気にも留めず、
「ま、いっか」
力強く、雪の感触を確かめながら、前に進む。幸いなことに、雪も水が状態変化したものなので、望日は深く降り積もった雪も胸で押すようにして掻き分けながら、簡単に進むことができた。そして、この凛冽な寒気も、水を纏うことである程度緩和することができた。
そしてなにより、望日は、ミイラ少女である。
肉体は既に命を持たず、生命の鼓動は一度断絶した身――真っ当な人間とは体のつくりを異にする。
だから、何の問題もない。
今は、自分がミイラ少女であることに感謝する。
――たぶん普通の少女だったらあっという間に凍死しちゃってたんだろうなあ。
そんな風に考えながら、一切の迷いなく歩みを進める。
「前に進む限り、希望は無くならない。立ち止まっても良いだとか、たまには振り返って後ろを見てなんてのは前に進めない人の言い訳だ」
望日は未来の跡川朱冴の格言を自分の心に刻みつけるようにしてささやいた。言い訳だと言いきれてしまうところが、謹厳実直な彼らしい言葉であると言える。
望日は父である跡川朱冴と約束した。
「必ず未来を変えてみせる」
その志は健在で、望日は自分がこの時代に来た使命を再確認する。
正直なところ、今の朱冴を見て肩透かしを食らっていた望日であったが、やはりいざその存在が消失すると、心の空白を感じずにはいられなかった。
それでも少女が前に進むのは、己の任務遂行のため。
彼女は進む――決して、立ち止まることなく、そして、振り返ることなく……
一方、その頃、俺は夢を見ていた。
「朱冴……ん……あか……ゃん」
夢の中で少女が俺の名を呼ぶ。
その声は途切れ途切れで、はっきりとは聞こえない。
だけど俺は、その声を確かに聞いたことがあった。
声を出して少女を呼ぼうとする。
――だが、俺の声が届くことはない。
その声のする方へと走ってゆく。
――だが、その少女を見ることはない。
そうしているうち、俺はこれが夢の世界であるということを認識し、はっと目を覚ました。
雪山で遭難し、そこで眠ってしまえば、死に繋がるということが良く言われるが、それは半分正解で、半分間違いである。実際に死に繋がるのは低体温症に陥り、凍死してしまうことで、その前に起きることさえ出来れば死ぬことはないのだ――俺が現に生きていることが、何よりの証拠だろう。
霏霏(ひひ)として降る雪、その寒気を肌に感じ、そこで初めて自分があの状況を生き延びたことを理解する。
そして同時に、一緒にいたはずの望日がいなくなっていることに気が付く。
「望日! 望日!」
大声で娘の名を呼んだが、周りの雪が音を吸収して上手く声が届かない。かてて加えて、人煙稀なる山中、他の人の助けがあるとは到底思えない。
辺りを見渡すが、やはり人影ひとつ見当たらなかった。
俺は、沈思黙考する。端倪すべからざる状況に立たされた今、無暗にそして無計画に行動すべきではない。動き回って疲労すれば、ますます状況は悪化するだろう。まずは現在の自分の置かれた状況を整理して考えるべきだ……
俺はしばらくその場でこれからどうするかについて考えを巡らせた。能力で雪をある程度操れることが分かり、天高くその雪を噴射させるという案が浮かんだ。だが、もしも、望日ではない他の誰かがそれを見て俺の方にやってきたらということを考えると、その案を実行に移すことは出来なかった。かまくらを作ってそこで幾日かを過ごすということも考えた。だが、それも備蓄のないこの状況下では、あまり賢明な判断とは思えなかった。
結局、俺はこの場所を移動し、望日を探すことにした。このままこの場所に残るよりも生き残る可能性が高い――そう判断したのだ。
望日を探し寂寞たる山中を歩くこと数時間――こうして歩き続けることが虚しく、そして、馬鹿馬鹿しく思われ始めた、その時だった。
「あ……れは……」
言葉に詰まったのは、眼前の光景が実におぞましいものだったから。呆気にとられ、思わず言葉を失ってしまいそうになったから。
俺が見たのは、白の大部隊。その数はおそらく、百人は超えているだろう。白装束に身を包んだ軍勢がこの吹雪の中、俺に一瞥を加えることなく、ただそこに居る。
恐怖を通り越して、畏敬を感じる、そんな光景。
だが、俺が畏敬を感じたのも当然のことである。それもそのはず、俺が見ていたほとんどは、自然が作り出した芸術だったのだから……
「スノーモンスター」、別名、「アイスモンスター」。冬の水分をたっぷりと含んだ冷たい季節風が大陸から吹きこんで雪と氷を運び、その雪と氷に覆われて、樹氷を丸々覆い隠すまで成長したものが「スノーモンスター」である。
俺はこの「スノーモンスター」を人間だと勘違いした。なんて視野の狭い粗忽者なんだと思われるかもしれない。そして、俺は思い込みで話を進めるのは慎むべきだと非難され、糾弾されること請け合いである。
落ち武者は薄の穂にも怖ずとはまさにこのことだ。
だがしかし、ここで一つ、釈明させて欲しい。
俺の見た「スノーモンスター」の一つは、確かに動いていた。風で揺れているってレベルなんかじゃない。
この雪の中を闊達自在に移動していた!
「あれって……まさか……」
俺が、想像したのはギガントピテクス。それは、イエティやビッグフットなんかの呼び名で呼ばれることもある、身長約三メートルの巨大な獣人。絶滅したはずの、史上最大の霊長類。
――だとしたら……勝ち目はない!
《アマガハラ》近郊で出会った巨大蛙にも負けたのに、あんなに巨大な化け物に勝てるはずがない。幸いまだ向こうは俺に気が付いていないようだ。
急げ! 今すぐ! この場から撤退しなければ!
俺の本能がそう強く主張する。俺は即座に後退し、奴の対角線上に向かってわき目も振らず遁走する。
走って、走って、まだ、走る。
これが、俺と奴との最初の邂逅だった――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます