「好き」の意味

「ち、あき・・・?」

 かすれる声で、目の前の『ルカ』は言う。


 ルカ、と言い終わらぬうちに、ルカがものすごい勢いで抱きついてきた。その勢いのまま千秋は椅子からころげ落ち、地面に投げ出される。

「千秋!!よかった・・・、もう会えないかと思ってた・・・!」

 金色の澄んだ髪が顔にかかってすごくいい匂いがする。ぎゅうっ、とルカの怪力で抱きしめられて苦しいが、それも悪くない気がした。

「僕も・・・、もう会えないかと思って諦めかけたよ、ほんとに」



「私が気づいたのは今日の朝だったの。教授も色々調べてくれて、もうこれしかないって思ったわ。もしかしたらダメかと思ったけれど、やってみるもんね」

 ルカは椅子を持ってきて、千秋の隣に座っている。あの後我に返ったルカにビンタされたが、頬は不思議と痛くなかった。

「もーそれからずっと書いてたのよ。授業も全部切っちゃったわ・・・。代わりに出てくれたユキにあとでちゃんとお礼言わなきゃ」

 ルカが足をぱたぱたさせながら言う。

「あ、そうそう。私たちの世界とあなたの世界が離れるのは今日の19時、黄昏の初刻ってやつらしいわ。大教授が言ってた」

 千秋は時計を見る。いつの間にか、時計は18時を指していた。

「1時間しかなくなっちゃったわね・・・。それにしても、今回は私が千秋の世界に来たみたいね。外の世界を見てみたい気もするけど、時間がもったいないからやめるわ。1時間なんて短すぎよ」

「まあでも、間に合っただけよかったよ」

「そうね」

 ルカが嬉しそうに言った。

「ね、千秋、こうやって会えたってことは、あなたも私がニール君と別れる話を書いたってことよね?」

「うっ・・・」

 一瞬千秋は言葉に詰まったが、でも、かぶりを振って言う。

「うん、そうだよ。条件に気づくのが遅くなっちゃったけど、同じ思いを込めて小説を書けばもう一度会えると思った。ルカがニールと結ばれるって小説を書いても、僕の中で折り合いがつかなかった。僕はやっぱりもう一度ルカに会いたかったから。そしてそのためには、自分の気持ちを偽っちゃダメだ、って思った」

 ルカはそれを聞いて頬を赤くして、ちょっと恥ずかしそうに、でもまっすぐ千秋を見つめ言う。

「わたしも。千秋と七瀬さんが結ばれる小説を書いても、全然書けなかった。その時にユキが言ってくれたの。『書きたい小説を書きなよ』って。それでふっきれたわ。教授に会って事情を説明して、やっと謎が解けたのが今日の朝。まったく、おかげで寝不足だわ」

 ユキらしいアドバイスだ。朔といいユキといい、僕らはいい友達を持ったな、と千秋は思う。ルカの赤くなった目の下には、くまが出来ていた。

「あ、そうそう。教授。もし千秋と会えたら伝言をよろしく、って言われてたんだ、忘れてた」

「教授から?」

「うん、えーとね、『君が来た図書館で、『時と空の彼方』という本を借りてほしい。名義は私の名前で。それから、』だって。どういうことかしら?千秋が借りたって私は帰っちゃうんだから読めないのにね」

 ルカは不思議そうに首をかしげる。でも、千秋にはなんとなく見当がついていた。

「わかった。必ず伝えるよ。僕たちがもう一度会えたんだから、あの二人もまた会えるさ、きっと」

 今頃その「あの人」は、下の階で一生懸命本を整理しているだろうけど。

「え、なになに?それってどういうこと?」

「うーん、話すと長くて時間がもったいないから言わない」

「なんでよ!気になるじゃない!ばかばか!」

 ルカが頬を膨らませて怒っている。その何気ない光景が、千秋にはとても嬉しかった。

「ごめんごめん・・・、でもさ、それ以外にもルカに話したいことが色々あるんだ。えと、まず、こないだはごめん。つい冷たい口調になっちゃって、傷つけた。それに、これからのことも。ニールと結ばれない物語を書いたから・・・」

「ううん、いいのよ。私もごめんなさい。ちゃんと千秋に相談すればよかったわ。それに、私だって七瀬さんと千秋くんが結ばれない話を書いたんだから、お互い様よ」 

 言いながら、ルカはくすくす笑う。

「結局二人とも、バッドエンドになっちゃったわね」

 そう言うルカの顔は、でも、どこか晴れやかだった。


「前に言ったじゃない?ハッピーエンドかバッドエンドか、って話。私はあの時、何でもハッピーエンドならいいのにって言ったけど、千秋の言う通り、そういうわけにはいかないのよね。人を好きになるっていうことは、そんな単純じゃない。傷つけられることもあるし、傷つけることもある。きっとあの時の私たちは、ただ傷つけるのが怖かっただけなんだと思うの」

 真剣に話すルカの声を、千秋はただ聞いていた。

「うん」

「でも、人を好きになるっていうことは、その人を傷つけることにもなるのよね。人を好きになるっていうことは、何かを選択しなきゃいけない。何かを捨てなきゃいけない。何かを優先しなきゃいけない。人を本当に好きになるには、その相手や優先しなかった何かを、傷付ける覚悟がないといけないんだと思う。でも、そのことから逃げていたら、きっと何も手にできないのよね」


 人がだれかを好きになる。それはきっと、時に残酷で、時に悲劇なのだろう。人を愛すれば傷つき、人から愛されれば傷つけられる。でも、そうした中でなお光る気持ちこそ、「好き」という気持ちなのかもしれない。


「ニール君には、ちゃんと事情を話そうと思う。まあもっとも、千秋が書いた小説通りになるんだろうけど。でも、私の言葉で、しっかりと伝えるわ」

 そう言うルカの目は、とてもきれいで、とても優しい目だった。



「好き」という、このたった二文字を言わんがために、人は傷つき、悩み、後悔し、傷付けられ、そして幸せに思う。


 だからこそ、人は自分の言葉で、自分の気持ちを伝えるのだ。


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