第6話

「――これは美味じゃ! このような物がこの世にあったとは!」


 狐鈴は両手で頬を抑えながらそう叫ぶと、次々に食べ進めていく。

 その幸せそうな顔を見て志穂も嬉しそうだ――。


 一也は徐ろに椅子から立ち上った。


「どこに行くの?」

「風呂沸かすから、後で狐鈴と一緒に入れよ。俺はちょっと外の風に当たってくる」

「えっ? うん、分かった」


 一也はそう言い残してリビングを後にした。

 お風呂を沸かし終えた一也は外に出ると、マンションの下の自販機で缶コーヒーを手に空を見上げた。


「今日は良い風が吹いてるな……でも、まさか志穂にも見えているとは思わなかった……」


 一也はそう小さく呟くと缶コーヒーを一口飲んで物思いにふける。

 悪鬼――それは心に闇がある者がある一定の上限を超えると、鬼となり自我を無くし欲望のままに動く者となる事を指す言葉。

 それと対をなす者達……。


 それが鬼神――彼等は一度生死の境を彷徨い歩いた者で、尚且つ鬼に強い憎悪の念を抱いた者だけがなれる。


 だが、悪鬼と鬼神は紙一重でその力は同等なのである。

 簡単に説明するならば、人に仇なす者が悪鬼。鬼に仇なす者が鬼神なのだ。

 そしてどちらも元人間――。


 悪鬼と化した人間が鬼神の武器に倒される事で、この世とあの世の堺に消え。この世での存在していた事実を抹消されてしまう……。


 一也も幼い頃、自宅の2階から落下し。生死の境を彷徨った経験がある。

 そして去年、母親を悪鬼の手によって葬られた。

 その後、狐鈴と天界に呼び出され、そこで鬼神として鬼斬の命を受けたのだ――。


 志穂も生死の境を彷徨った経験があり。今日、悪鬼に襲われた事で鬼神となる可能性が出てきてしまった。あれだけの体験をすれば悪鬼を憎らしく思うのは当然だ。だが一也はそれが気がかりでしかたなかった。


 志穂は俺が守ってやらないとな……母さんの二の舞にしないためにも……


 そう心の中で密かに誓い。一也は空に浮かぶ月を見て決意を固めた。

 玄関の扉を開き、家の中へと入ってくると、目の前から裸の狐鈴が突如として一也の足に抱きついてきた。


 その髪は濡れていて、狐鈴の歩いた場所には水滴が点々と繋がっていて、床に水溜まりを作っている。


「主様助けて欲しいのじゃ! 鬼が、鬼が出たのじゃ!!」

「……鬼!? どこに出たんだ!」


 一也が狐鈴に尋ねると、狐鈴は迷わずお風呂の脱衣室を指差した。

 するとその直後、ドライヤーを持った志穂が壁伝いにして脱衣室から出てきた。


「ちょっと狐鈴ちゃん! 髪乾かさないと床がびしょびしょに……」

  

 そう声を上げた志穂は、玄関の前に立ち尽くしている一也の前で止まる。

 志穂はバスタオル一枚という姿で声を上げた。


「一也……どうしてここに……?」

「どうしてって、ここ俺の家なんだけど……?」


 その直後。志穂は顔を真っ赤に染めると悲鳴を上げて、持っていたドライヤーを一也目掛けて投げつけた。


 一也はそれを受け止めると声を上げる。


「おまっ! 電化製品を投げる奴があるか! それにお前の裸なんてガキの頃に見て――」」

「うわああああああああッ!!」


 一也が言葉が終わるのを待たずに志穂は、巻いていたバスタオルを一也の顔に投げると、一也の視界を奪って脱衣室へと逃走した。


「なんだったんだあいつ……」

「ふふふっ、主様も罪な男よの~」

「うるさい。お前は早く髪を乾かせ!」


 意味ありげに笑う狐鈴の頭を一也は持っていたバスタオルで強引に擦りつけた。


 一也は疲れ果てたように、リビングのソファーに倒れ込んだ。


「はぁ~。なんか、めちゃくちゃ疲れたわ~」


 一也が情けない声を出していると、そこに狐鈴に支えられながら志穂が戻ってきた。


「もう。一也はだらしないんだから! 疲れたって、カレーを温めるくらいしかしてないじゃない」

「なんだよ。お前を助けてやっただろ? それにお前の重たい体を背負ってここまで運んできたんだぞ? 少しは感謝しろよな」

「…………」


 その言葉を聞いて志穂の表情が険しいものへと変わった。

 その顔を見て一也は慌てて口を開く。


「なっ! じょ、冗談だよ。真に受けるんじゃねぇーよ。お前は軽かったし、別に――」

「――ごめんね。今日はもう休もうかな……一也、空いてる部屋まで連れてってくれる?」

「……ああ」


 まあ、あんな事があれば無理もない……か


 一也は頷くと志穂を支えて空いている部屋へと連れて行く。

 2人は口数少なく廊下を歩いて行くと、ある部屋の前で止まる。


「まあ、単なる空き部屋かだかベッド以外は何もないぞ?」

 一也はそう言って部屋の扉を開ける。


 その言葉通り。中にはベッド以外は家具など何も置かれておらず、生活感がまるでない。


「それじゃー。また明日な」

 一也がそう言って戻ろうとすると、その手を志穂が慌てて掴んだ。

「待って! ……ここやだ……。ねぇ、一也? 今日、同じ部屋で寝ていい?」

「……はっ?」


 一也はその言葉にあんぐりと口を開けて、ただただ志穂の顔を見つめた。

 だが、志穂の震える手の感覚と怯えたような瞳を見て、仕方なくその申し出を承諾した。


 その後、狐鈴も加えて一也の部屋へと来ると、志穂はその部屋を見渡した。

 部屋の壁にはシックな感じの掛け時計しか付いておらず、机の上のパソコン、その向かい側に本棚と壁際にベッドがあるくらいで他に置いていない。


 志穂がそんな一也の部屋を見渡していると、一也が恥ずかしそうに呟く。


「ほら、早く入れよ。そんな珍しい物なんてないだろ?」

「う、うん。そう……だね」


 志穂は一也に導かれベッドに腰を下ろすと、その隣に狐鈴が座ってきた。

 狐鈴はもう眠いのか、なんとか目を開けている状態で、何もしなければもう数分で寝てしまいそうな勢いだ。


 一也は2人にベッドを使うように言うと、クローゼットから毛布を取り出し壁に凭れ掛かった。

 志穂はそれを見て、慌てて口を開く。


「一也もベッドで寝たら? いくら夏が近いって言ってもまだ7月に入ったばかりだし……風邪引くよ?」

「良いよ。俺のベッドはシングルだし3人で寝るには少し狭いからな。お前達が風邪引かなければそれでいい……。それに俺は鍛えてるからな。それじゃ、また明日な!」


 一也は志穂の提案を聞き入れる素振りも見せずにそう言い放つと、瞼を閉じた。


「……うん、ありがとう。また明日ね」


 そんな一也にそう言うと、志穂も狐鈴と眠りに就いた。 

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