第2話

 それから数時間後。戻ってきた志穂といつも通りの通学路を帰る。

 一也が住んでいるマンションに着くと、志穂はエプロンを着け、キッチンへと向かう。


「それじゃー。夕食にカレーを作り置きして置いてあげるから、一也はリビングでゆっくりしてて」

「あ、ああ。いつも悪いな……」

「いいのいいの。私が好きでやってるんだから!」


 そう言って微笑み返す志穂をキッチンに残して、一也はリビングのソファーの上で雑誌を読み始めた。

 しばらくして、キッチンの方からカレーの良い匂いが一也の居るリビングへと漂ってきた。


 その匂いに誘われるように一也はキッチンへ向かう。

 そこには鼻歌混じりに鍋をかき混ぜている志穂の姿があった。

 その茶色く艶やかな髪と瞳に思わず見惚れてしまう。


 昔は何するにも俺が居ないとダメだったのに、今はすっかり立場が逆になっちまったな……


 一也は感慨深げにそう心の中で呟いた。

 小さい頃は一也の後ろをおっかなびっくり付いて来るような大人く控えめな性格だった志穂が、今では学園のアイドルで生徒会長なのだ。


 それにひきかえ、連日のように他校の生徒との喧嘩に明け暮れる不良へと成り下がった自分とあまりにかけ離れていると感じてしまい、思わず笑いが込み上げてきた。

 その笑い声に気付いた志穂が目を丸くしながら尋ねる。


「居るなら居るって言ってよ! びっくりするでしょ!? それにどうして笑ってるの……?」

「いや、よく育ってくれたと思ってさ。昔はあんなに小さかったのに……」

「……なにそれ。なんか一也、親戚のおじさんみたいだよ?」

「そんな事より。フーフー……はい!」


 志穂は鍋のカレーをスプーンで掬い。それを自分の息で冷ますと、一也の顔の前に突き出した。


 一也は目を細め、微笑みを浮かべている志穂の顔を見つめて首を傾げ尋ねる。


「……はいって。何だよ?」

「何って、だから味見してみてよ! 一也が食べるんだから……ほら口開けて」

「あっ? ああ、それもそうか……」


(それなら、そう言えば良いだけじゃないか?)


 一也は少し戸惑いながらも筋は通っているその言葉に納得した。

 口を大きく開き志穂の握っているスプーンを招き入れる。


「――う、うまい!!」


 その味に思わず大きな声が出てしまった。

 その声に驚いて目を丸くさせた志穂だったが、すぐに普段通りに戻る。


「そう、良かった!」


 志穂はそう言って微笑んだ。

 だが、その笑顔に一也は微かな違和感を覚えた。


 生徒会長という立場上、普段からにこにこしている事が多い志穂だが、一也には今日の彼女は少し無理して振る舞っているように見えた。


「志穂。何か悩みでもあるのか?」

「えっ!? あっ、ど、どうしてそう思うの?」

「いや、なんとなく。元気が無い気がしてよ」

「き、気のせいじゃないかな……。もう出来たから私は帰るね! 少し冷ましてから温めると更に美味しくなるから!」


 そう告げると、忙しなく身支度を整え始める志穂。

 一也はいつもと様子の違う志穂を見て少し不安になったが、本人が否定している以上それ以上聞き返すのも野暮というものだろう……。


 マンションの玄関で無言のまま向かい合う2人――。

 その均衡を破るように一也が口を開く。


「家まで送るか? もうすぐ日が落ちるしさ」

「……ううん、大丈夫」


 その短い会話を終え、2人の間に再び沈黙が流れる。

 だが、志穂は険しい表情のまま、うつむき加減で時折、一也の顔を見るだけで一向に帰ろうとしない。


 その様子に一也はふとため息を漏らす。


「送るよ。最近は物騒だしな。それに俺も出掛ける予定だったしな」

「……うん。ありがとう」


 その一也の言葉に少しほっとしたのか、志穂の硬かった表情が少し和らいだ。


 志穂の家は一也の実家のすぐ近くで、今住んでいるマンションから歩いて1時間程の場所の高級住宅街にある。


 一也と志穂の両親は非常に仲が良く。2人も幼い頃から頻繁にお互いの家を行き来していたのだが、中学に上がったくらいから殆ど志穂の家には行っていない。

 それは、一也がゲームセンターに入り浸るようになったのが原因だった。


 2人が並んでゆっくりと歩いていると、志穂がくすっと笑みをこぼす。

 それを見て一也が尋ねた。


「なんだよ。さっきからニヤニヤして……」

「だって、懐かしいな~って思って。昔は一也と良くこうして登下校してた事を思い出て……あの頃は楽しかったなぁ~」


 感慨に浸るように夕焼けに染まる空を見上げながら呟く。

 一也は前を向いたまま「そうだな」っと返した。


「……ねぇー一也。また昔みたいに戻れないかな?」


 志穂は一也の顔色を窺いながら小さくそう呟く。

 その志穂の言葉に一也は答えることなく前を向いて歩き続けている。

 志穂は眉をひそめると話を変える。


「そういえば、行くところがあるって言ってたよね。どこに行くの?」  

「ああ、墓参りだよ。今日はおふくろの命日だからな……」

「……そう……もうおばさんが亡くなってからもう1年になるんだね……そっか……」


 志穂はそれ以上なにも言えなくなり、表情を曇らせる。

 一也の母親は去年の7月1日に亡くなっていた――。


 一也の母親は黒く長い髪がとても似合う清楚で可憐な女性だったが、それを鼻にかける訳でもなく、とても気さくで誰にでも愛される――まさに大和撫子という言葉に相応しい女性だった。


 志穂も小さい頃からよくしてもらっていて志穂にとっても目標だった。去年までは志穂も一也の母親と同じ黒髪でロングヘアーだったのだが、一也が母親の事を思い出さないようにと茶色く染めたのである。


 だが、志穂も一也からはどうして亡くなったのか、何も詳しい事は聞いていない。ただ、葬儀に出席した時に交通事故だったと、近くに座っていたおばさん達が話しているのを聞いただけだ。


 今考えると、その頃から一也も変わってしまったように思えた。

 志穂には前を向いたまま淡々と歩みを進める一也の横顔は、どこか寂しく思えてならなかった。


 その横顔を見上げていたら急に志穂の胸が苦しくなり、その場に立ち止まる。


「あ……」

「ん? どうしたんだよ?」


 一也は急に立ち止まった志穂の方を不思議そうな顔で見ている。


「一也。ここで良いよ……もう1人で帰れるから、一也はおばさんのところに行ってあげて。おばさんもきっと一也を待ってると思うから……」


 志穂はそう言ってぎこちなく微笑んだ。 


「おう……そうか? なら、また明日な!」

「う、うん。また明日ね!」


 2人はその場で挨拶を交わして別れると、別々に歩き出す。

 志穂と別れた一也は墓の前に母の好きだった白百合の花を供えると、目を瞑りながら手を合わせた。


 瞳を閉じた一也の頬を優しい風と白百合の花の香りが通り過ぎていく。

 風が止み瞼を開くと、墓に向かって語り掛ける。


「――母さん。もう1年か……早いもんだよな……」


 一也は墓に向かって優しく微笑む。


「親父も元気だよ。学校なんて建てちまってさ、何考えてんのか分かんねぇーよな。でも俺もその学校でなんとかやってるよ……志穂も元気だよ。今はあいつ、生徒会長なんだぜ?」


 一也はそう言って笑うと短い沈黙の後、その顔が険しい表情へと変わる。


「母さんが生きてればきっと仕方ないって言うと思う……。でも俺は必ず母さんを殺した犯人を許さねぇ……きっと見つけて罪を償わせてやる!」

 

 拳を握り締めながら、母の墓の前でそう強く誓う。



 母親が亡くなった日、一番最初にその遺体を見つけたのは一也だった――。


 部活帰り。一也が学校から自宅へと帰ると、リビングで血だらけのままうつ伏せに倒れている母親の姿を見つける。

 辺りには家具が散乱し、飛び散ったガラス片や血痕が生々しく残っていた。


 一也はすぐに母親の元に駆け寄り。抱き起こしたが、その直後背筋が凍りつくような光景に自分の目を疑った――母親の遺体の腹部には引き裂かれたような傷跡だけが残され、腸は残されていなかったのである。


 おそらく、何者かが何らかの目的で内蔵だけを持ち去ったのだろう。無残にも生きたまま内蔵を抜かれたのか、母親の頬には涙の跡が残されていた。  

 だが、この事実を知っているのは一也と一也の父の東郷 好造だけだ。

 他の者には世間体を考え事故死と伝えられた……。


 一也は持ってきた水桶を手に持つと母親の墓石背を向けた。


「……俺は必ず。弱い人間を守る不動明王――最強の鬼神になる!」


 そう決意に満ちた表情で呟くと、モヤモヤと空間が歪み。一也の前に白い着物を着た銀髪に青い瞳の狐耳の女の子が現れる。


「――ほう。やっと風格が出てきたようじゃのう。それでこそ妾の契約者じゃ! 」

「狐鈴か? 獲物が出たのか?」

「うむ。しかし、今度の敵は手強そうじゃぞ?」


 狐鈴という狐耳の女の子は銀色のしっぽを揺らしながら、一也の横へと駆けて来る。

 狐鈴は異次元空間を開くと、一也は狐鈴と共にその空間に消えていった。

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