おのれ分解散!
素夏
第1話 20180706 洗車雨
平成最後の夏、空から雨と言葉が降ってきた。
□
大学で10カ所しかない喫煙スペースのひとつ。15号棟と、17号棟と、自然科学研究棟に囲まれた空間。今日は朝から小雨がぱらついていて、風も強かったけど、木陰にもなっているので傘を指す必要はなかった。
授業中なので他に誰もいない。のんびり煙草を吸いながら、「あーあ今年も電撃の締め切りに間に合わなかったなー」などと思いつつ煙の行方を眺めていた。そろそろ一次選考の発表日だ。4月に折り合いをつけたはずの気持ちがぶり返してくるのが毎年このくらいの時期だ。
昔から小説が書きたいけど書けなかった。アイディアは思いつくけど文章にできない。書きかけの小説が増えるたびに頭の中に登場人物が住み着く。道を歩いていると、いつか書いたシーンが視界に上書きされる。
雨の日は、気分も視線も下がりがちになる。傘で視界の上半分は塞がれるし、路面に注意を向けなければいけないからだ。だから、それを見つけたのは本当に偶然。たまたま視線を上げた瞬間だった。
白くくすんだ空に、ひらひらと舞うものが見える。
最初は鳥だと思った。次に飛蚊症を疑った。
細長い小さな物体は結構な速さで回転しながら右へ左へ。どこかに行ってしまうかと思われたが、結局は俺の方へ落ちてくる。ここは風の吹き溜まりなのだった。学部棟に流れるあらゆる風が集まるところ。実はここで千円札を拾ったこともある。
細長い紙切れが手のひらに収まり、しゅるしゅると蛇のように丸まった。
伸ばしてみる。
――異世界に転生した俺が江戸しぐさでチート無双してやろうとしたら歴史的根拠がなくてパーティを追放されてしまった件
そう書いてある。
うーむ。
アイディアが降ってくる、とはよく言うが……。
おそらくこれは、頑張ってる俺に対する創作の神様からの贈り物。もしくはパワハラだな。「グッドアイディアを授けよう。誰かに先を越されないうちに早く書きな!」というメッセージだとしたら俺、もう小説書きたいとか一生願いません。
あ。これシールじゃん。
機械で打ち出したシールだ。ファイルの背表紙とかに貼るやつ。正式名称は何だったっけ?
なんでこんなweb小説のタイトルみたいな長い文字列をシールで打ち出す必要が?
視線を再び上げる。
今は4限の授業中。15号棟だろうが17号棟だろうが、こんなものを教室で作ってる暇はないはずだ。創作の神様も可能性から除外しよう。すると、出所はおそらく……。
首の角度をもっと上げ、自然科学研究棟の先っぽを見る。工学部で一番高い建物の屋上。そこに小さな人影を見た。
腰を上げ、自然科学研究棟の入口に向かう。
エレベータを操作し、最上階へ。
あまり来たことのない棟だが、大丈夫。授業中だし誰にも出くわさないだろう。
屋上への扉は開いていた。
階下より風が強い。
そこに、少女の背中が見えた。
黒髪おかっぱ。薄ピンクのロングカーディガンが強風にはためいて、なんだかマントのように見える。
やたらと背が小さく、線が細いので、今にも飛ばされてしまいそうだ。
やっぱり死ぬつもりなのだろうか、と思う。
そういえばこういう場面の小説を書こうとしたこともあったな、と余計なことも思い出す。主人公が学校の屋上に行くと飛び降り自殺しようとしているヒロインがいて、なんとか説得する話。自殺を思い留めさせるセリフがどうしても思い浮かばなくて「じゃあもう飛ばしてあげれば良いじゃん」と思って書くのを止めたんだった。思い出しておきながら現状にまったく役に立たない情報だった。
あの作品を書き上げられなかった俺は、やっぱり良いセリフなんか思いつかないので、
「このタイトルセンスはないわ」
とりあえず、彼女の作品に対する感想をぶつけてみることにした。
少女が振り向く。
きょとんとした目。
両手に持ってるのは四角い……何だろう? カメラサイズだけどレンズがない。白い機械。
風が吹き荒れる中、数メートルの間隔を空けて少女と対峙する。
少女は相変わらず無言のままだが、その表情は別に暗くないし、落ち込んでいるようにも見えない。
……もしかして、俺の勘違いだったのだろうか。
「これ、何?」
向こうが一向に話しかけてこないので、右手に持った異世界江戸しぐさ無双シールを掲げる。強風にたなびく異世界江戸しぐさ無双シール。何回か繰り返すと結構面白くなってきたなこのタイトル。意外といけるのでは?
少女は唇を一度すぼめると、手元の機械をいじりだした。
何かを入力しているみたいだ。
やがて、じきじきじき、と、機械の上部から吐き出される新たなシール。
カメラで言うところのシャッターボタンの位置にある薄青の出っ張りを、かっしゃん、と少女が押す。ああなるほど、あれを押すとシールがカットされるのね。
強風で飛ばされないよう、シールを少女がつまみ、俺に差し出す。
そこには一言。
――てぷら
そうそう。確かそんな名前だった。
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