エルフ郷 ―困惑の極致―

 エルフ郷での戦闘は、魔族軍親衛騎士団が初めから優位に事を進めていた。

 そもそもが、エルフ郷の民たちは軍隊では無いのだ。

 如何に戦闘適性が高い種族であろうとも、戦いに向いた種族であり更には日々訓練を重ねてきた軍隊であるところの魔族軍親衛騎士団に敵う訳が無かった。

 それでもその抵抗はすぐに止む事は無く、エルフ達は徹底抗戦を諦める素振りを見せなかった。

 それもその筈で、勝ち負けでは無く、投降も敗北すら認められない状況ならばそれも致し方ない事である。

 シェキーナによるエルフ郷殲滅作戦はゲリラ戦の様相を呈し泥沼と化していたのだった。





 ジェルマが、シルカとメルカが、そして多くの親衛騎士団員が初めてその手を血で染め上げていたのと同じく、エルナーシャとレヴィアにも正にその時が迫りつつあった。

 もっともレヴィアに至っては、既に他の者と勝手が違うのだが。

 彼女はエルナーシャ付きの専属傍仕えであると同時に、エルナーシャの障害となる者の排斥を影で行って来たいわば……裏の仕事人でもある。

 それを言い渡した先代の全軍司令官アスタルは既にこの世に無く、本当ならばその任も解かれていて不思議ではない。

 しかしレヴィアは、直接解任を言い渡されていない事実と、既にその権限を持つ者が他界していると言う根拠を以て……自ら引き続き任に就いていたのだった。

 それについて、シェキーナからも何も言われてはいない。

 闇の女王が黙認している事を承知して、彼女は直属の部下を使って今まで通り周辺の様子に目を光らせ、害のある者やそうなる可能性がある者、または疑わしい者達を部下に……時には直接動き手を下して来たのだった。

 故に、レヴィアの纏う給仕専用城内メイド作業制式衣裳は他の者と違い、黒を基調としたものになっていた。

 それを訝しむ城内のメイドたちも、彼女の立場を考えてそれを口の端に乗せるような事は無かったのだった。

 そしてそんなレヴィアの“裏の顔”を知るのは今や、シェキーナのみ。

 彼女の主であり直属の上司であるエルナーシャでさえ、レヴィアの本当の姿を知らずに過ごしているのだった。





 そんなエルナーシャとレヴィアは、親衛騎士団が突入した正門よりも随分と離れたより奥地にある場所にまで歩を進めていた。

 この郷から逃げ出す事は不可能である。

 既にシェキーナが精霊魔法を用い、村全体を周囲の樹々で覆っている。

 そもそも森に囲まれている郷を「樹で覆う」と言うのは何ともおかしな言い回しではあるが、事実がそうなのだ。

 不自然なまでに密集した木々がまるで天然の塀となり、グルリと郷を取り囲んで誰一人として中に入る事は出来ずまた……出る事は能わなかった。

 非情なまでに徹底したシェキーナの所業ではあるが、今般の作戦を考えればこれは余りにも効果的である。

 人の身である以上物理的な障害を擦り抜ける事は出来ず、同じく精霊魔法でその障害を排斥しようにも、より上位の存在に操られた精霊たちの制御を奪う事は郷の者達には出来なかったのだ。

 そして行き場を奪われた者たちが採る行動は……そう多くはない。


「……エルナーシャ様……この中に……人の気配が十数名……」


 エルナーシャ達は今、エルフ郷郊外に建てられている大きな倉庫の扉前に立っていた。

 そして扉に耳を当てて中の様子を窺うレヴィアから、エルナーシャに向けて小声でそう告げられたのだ。


「……うん」


 事ここに至り、エルナーシャの緊張は最高潮に高まっていた。

 こわばった表情のままに小さく頷き、同じく小声でレヴィアにそう返したのだ。

 それはレヴィアへと向けた、扉の開放を指示したものでもあった。

 エルナーシャが緊張するのも無理はない。

 この扉を開けて中へと突入しそこでエルフ族と鉢合わせれば、それはそのまま戦闘へと移行する事を意味している。

 そこに和解や融和は無く、ただ生きるか死ぬかの戦いが待っているだけであった。

 更に非情なのは、もしもそこに非戦闘員がいたとしても、問答無用で命を絶たなければならないと言う事だった。

 もっともエルフ族は、生まれながらに誰でも戦闘に高い適性を持つ種族である。

 完全な非戦闘員が居るかと問われれば……疑問符がついてしまうのだが。


「……開きました」


 エルナーシャの了解を得たレヴィアは、見事な手際で鍵の掛かった扉を解除して見せた。


「……開きます」


 そしてそう報告はしたもののレヴィアは、エルナーシャの返答を待つ事無く次の行動へと移っていたのだった。

 当然エルナーシャが、その点について彼女に何かを言う事は無い。

 ただスラリと双剣を抜き放ち、これ以上ないと言う集中力を発揮していたのだった。

 扉を開けた直後に不意打ち……などは誰でも容易に考えつく事であり、やはり最も効果のある戦法でもあるからだ。


「……はっ!?」


 案の定、レヴィアが外開きの扉を開いた瞬間に、中からは複数の風の刃が扉方向へと向けて放たれていた。

 もしも気を抜いた対応をしていたならば、その時点でエルナーシャの人生は終わっていた事だろう。


「レヴィアッ!」


 だがエルナーシャはその襲い来る風刃を見事に躱し、レヴィアへと短く指示を出していた。


「……心得ました!」


 そして扉の袖に控えていたレヴィアは、エルナーシャの声を聞いてスルリと室内に突入していたのだった。

 その余りに滑らかな動きは物音一つ立てる事は無く、比喩表現抜きで影の如き動きである。

 そして敵の初撃を見事に躱したエルナーシャもまた、レヴィアに続くように倉庫内へと足を踏み入れたのだった。


 倉庫内は、外から見るよりも遥かに広かった。

 と言うよりも、倉庫とは外観からエルナーシャ達が抱いた感想であり、実際に内部には何かを置いている、保管していると言った事は無く、それどころか何も無かったのだった。

 故に中は想像以上にだだっ広く、遮るものも何もなく、中の様子など一目瞭然だったのだ。

 一瞬その事に意識を奪われたエルナーシャであったが、すぐ近くで耳を劈く打撃音を聞いて我に返った。

 当たり前の話であるが、長く呆けていられる状況では無いのだ。

 まだ戦闘は始まったばかりであり、敵はエルナーシャに合わせて攻撃をしてくれる訳もない。

 剣戟けんげきの響きは、レヴィアの斬撃を辛うじて受け止めたエルフ戦士との間から齎されていた。

 そんな彼女にエルナーシャは助太刀するでもなく、自らも剣を交える為に即座に周囲へと目を遣った。

 彼女の最も近いところには、動き出し始めたエルフの戦士が2人。

 そしてその後方には、2人。彼等は魔法を行使すべく、詠唱を開始している処であった。

 そして。


「はっ!」


 倉庫内は中2階の造りとなっており、その高台には2人の射弓手スナイパーがエルナーシャに向けて矢を射ってきたのだった。


「オオオッ!」


 飛来する2本の矢を双剣で叩き落したエルナーシャに、間髪入れずにエルフ戦士が近接戦闘を挑んで来た。

 小剣を大上段に構えて走り寄って来るその姿は、エルナーシャには隙だらけに見えていた。

 くどいようだが、エルフ族は戦闘訓練を繰り返して来た種族ではない。

 何の修練を積まなくともそこそこは戦えるのだが、それでも演習を積んで来たエルナーシャ達に比べれば雲泥の差である。


「んっ!」


 エルナーシャは、エルフ戦士より振り下ろされた剣を同じく剣で弾き飛ばした。

 まるで振り下ろした力をそのまま反射された様に、エルフ戦士は大きく仰け反り後退させられる。

 その開いた胴面に、エルナーシャの剣が……見舞われなかった。

 大きく隙を晒し、絶好の攻撃チャンスであったはずなのだが、それでもエルナーシャが追撃を行わなかった理由。それは。


 ―――逡巡である。


 残念ながらここに至っても尚、エルナーシャはエルフ族を……人を殺すと言う決心が未だに……つかずにいたのだ。

 エルナーシャを擁護すれば、それは仕方の無い事だと言えた。

 それは、人としての弱さ……軍人としての欠点を指している訳では無い。

 その容姿からつい忘れてしまいがちとなるのだが……エルナーシャは、実際に2年しか生きてはいない。

 そう……彼女の年齢は2歳なのだ。

 もっともその姿とて、アエッタと同じくらいでしかないのだが。

 如何に驚くべき成長を遂げたエルナーシャであっても、圧倒的に人生経験が足りていない。

 長く生きたからと言って忌避すべき行為を行えるのかと言えばそれは別の話なのだが、兎に角精神的に幼い部分を残すエルナーシャに、例え敵であろうとも自分達と同じ姿をした「人」を斬り倒すなど、早々決断できる事では無かったのだ。

 それは例え昨晩、シェキーナを前に散々話して来た事だとて同じ事。

 頭で考える事と実践するとでは、言うまでもなく天と地ほどの開きがあるのだ。


「ヤアッ!」


「セアッ!」


「……くっ!」


 今度はエルナーシャに向けて、2人の戦士が同時に剣を向けて来た。

 幸いなことに、技量ではエルナーシャがエルフ族の戦士を大きく上回っている。

 頭と胴に向けてそれぞれ振るわれた剣を、エルナーシャはその手に持つ2本の剣で見事に捌いて見せた。


「グハッ!?」


 その直後、エルナーシャに襲い掛かって来ていたエルフ族戦士の1人が突如、悶絶の表情と声を出したかと思うと、すぐに喀血した。

 早々に剣を交えていた相手を屠ったレヴィアが、エルナーシャの援護に回った結果であった。

 やられたエルフの戦士にしてみれば完全に死角からの攻撃であり、命の尽きる瞬間までレヴィアの接近に気付けなかったであろう。


 ただしそこには、レヴィアにとって僅かばかりの誤算が発生していた。


 エルフ戦士の口から噴き出した大量の血が、彼の正面に立っていたエルナーシャの顔面に吹き掛けられたのだ。


「……エルナーシャ様?」


 突如目の前で人が喀血し絶命する姿を見せられたエルナーシャが、呆然自失の表情でその動きを止めてしまったのだ。

 小さく投げ掛けられたレヴィアの問い掛けにも、エルナーシャが応えるそぶりは見せない。

 それどころか、顔中にこびりついているその血を拭う素振りさえ見せないのだ。

 そこへ、再び中2階より矢が射かけられる。


「……ちぃ」


 レヴィアは小さく舌打ちをすると、それを見事な小太刀捌きで叩き落した。

 しかし、それだけで事態が落ち着く訳では無い。

 やや距離を取ったエルフ戦士と入れ替わるように、奥で身構えていた2人のエルフに動きが見られたからだ。


風遊ぶベント自由なるフリーヤ精霊ラウフ我等のウマノ呼びかけにカロ応えよフォニ風をヴァン刃と化しクスィフォス彼の者をアドゥ切り刻めマタル!」


 そしてエルフ達は、聞きなれない言葉で精霊魔法を唱えたのだ。


 動けないエルナーシャとそれを庇うレヴィアへと、エルフ達の作り上げた風の刃が襲い掛かったのだった。

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