魔界の行方
まるで、話が一段落した事を見計らったかのような見事なタイミングで、エルナーシャの寝室の扉がノックされた。
レヴィアがゆっくりとエルナーシャの元を離れ、扉の元へと近づいて行く。
「……恐れ入りますじゃ……。少し宜しいでしょうか……?」
レヴィアが扉の元へと辿り着くタイミングで、その外側からそう声が掛けられる。
その声はその場にいる全員が良く聞き知ったものであり、今更誰かと問いかける必要等無い。
振り返り、エルナーシャとシェキーナの合意を確認したレヴィアがゆっくりとその扉を開く。
「エルナーシャ様……目を覚まされたのですな。シェキーナ様……良くお戻りになられましたじゃ」
部屋の中に歩を進めながら、その年老いた魔族は二人に目を遣ってそう口にした。
その老人は……アヴォー=ディナト老。
南大陸では最大の勢力を誇る部族「ディナト族」の長にして、魔王城の政務総括をメルルより一任されている老人である。
穏健派でありエルナーシャ支持派でもあり、城内の強硬派を抑える役回りをしてくれている人物であった。
随分と高齢で好々爺とした雰囲気を醸し出しているが、その眼は相手の一挙手一投足を見据えて逃さない、中々に
そんなアヴォー老は杖を突きながら部屋の中央までやって来ると、勧められたわけでもないのにそこに据え置かれた椅子に腰を掛けた。
エルナーシャの臣下ならばその行動は失礼に値するのだが、その場の誰もその行動に眉を
彼の
「……報告は……聞きましたじゃ」
席に着くなり、アヴォー老はいきなりそう切り出した。
ただそれだけで、彼がエルナーシャやシェキーナの様子を見に来ただけでは無いと言う事が窺い知れたのだった。
それまではどうにも和んだ雰囲気の室内であったが、アヴォー老の発したその一言でその場の全員が知れず姿勢を正して、次の言葉に注意を向けた。
「シェキーナ様……エルナーシャ様……。心中如何ばかりか……お察しいたしますじゃ……。ですが……刻は留まってくれないのも事実ですじゃ」
まずはシェキーナとエルナーシャに哀悼の言葉を告げるも、アヴォー老は即座に本題を切り出した。
当然と言えばそうなのだが、何も彼は一緒になってエルス達の死を悼む為に此処へと来た訳では無いのだ。
「我等が……魔界が存続して行く為には……早速にも新しい体制を確立する必要がありますじゃ」
アヴォー老はゆっくりと言葉を選びながら、それでも話の核心を語り出した。
彼の話は、シェキーナを始めとしたその場にいる全員が分かる事であった。
今まで魔界の中枢はエルス達が……更に言えばメルルが全て掌握していた。
彼女の、その類稀なる能力で、魔界の運営の全てを取り仕切っていたのだ。
そんなメルルが、ある日突然に居なくなった。
いや……突然と言う訳では無いのだろうが、残されたものにしてみればそれ程の衝撃を受けてもおかしくなかったのだった。
また、軍務を司り、兵達の気持ちを掌握しつつあったエルスとカナンももう居ない。
彼等が殊更に権力を掌中に収めていた訳では無いのだが、魔界の中央で従事している者達は少なからずエルス達に依存していた事は否めない。
それ程に……エルス達は「実力者」だったのだ。
今の魔界……魔王城では、エルス達の後釜をどうするかで右往左往と言った状態だった。
誰も彼等の代わりなどにはなれない。
それが分かっているだけに、余計に混乱を収拾できない状況に陥っていたのだ。
「そして新体制の旗頭として……シェキーナ様……。あなたに、この魔界を統べて頂きたいのじゃ」
しかしアヴォー老の次の言葉で、その場にいる一同が息を呑んだ。
勿論それは、指名されたシェキーナも例外では無い。
「アヴォー老……待って欲しい。私は魔族では無い。それはあなたも、分かっておいでだろう?」
「……はい……。存じておりますじゃ」
シェキーナの反論に、アヴォー老は
どうにも
「魔族で無い者が、どうして魔族を率いる事が出来よう? 今までは、あくまでも“助力”と言う形で手を貸してはいたが、それもエルナを立てる形で……だ。魔族の代表と言うのであれば、次期魔王候補でもあるエルナが最適では無いのか?」
シェキーナの反論はもっともなものだった。
如何に魔界の中枢に深く食い込んでいたとはいえ、それはあくまでも“助力”の域を出ない。
メルルにしても、あくまでも「エルナーシャの名代」と言う事で助言していただけだ。
―――もっとも、その施策はかなり強硬なものだったのだが……。
エルスやカナンにしても、あくまでも「教師」「指南役」として兵を鍛えていただけである。
決して、権力を手中に収める為では無かったのだ。
そしてそれは、シェキーナも同様であった。
―――勿論……実情はともあれ……ではあるが。
エルナーシャを近々に魔王とする事は、先の言葉通りシェキーナも承諾し難い事だった。
人の上に立つ……魔界を統べるには、どうしてもエルナーシャの経験不足が露呈してしまうからだ。
それでもシェキーナは、魔族では無い自分に白羽の矢が立つことを考えればそれも止む無しと考えたのだが。
「……エルナーシャ様は、未だにエルス様から引き継いだ力を顕現為されておりませぬじゃ。エルナーシャ様をいま矢面に立たせる事は、あまり得策とは言えますまい。そしてシェキーナ様……あなた様は、『
シェキーナの正論を、アヴォー老は正論を以て反論した。
これにはシェキーナも、すぐには反論できない。
確かに、アヴォー老の話はシェキーナと全く同じ考えだと言って良かった。
エルナーシャ自身の経験不足も然る事ながら、何よりもエルスより受け継いだ力が未だ目覚めていない。
足りない経験を圧倒的な力で補うならばまだしも、それすらも不可能な今は矢面に立つだけ危険が付き纏う。
力を持たない権力者に、下々の者が何時までも付き従うとは考えられないからだ。
そしてシェキーナにしても、自身が魔族では無いと言う言い訳を切り替えされてしまった。
彼女は既に「闇堕ちのエルフ」の烙印を押されている。
その事を引き合いに出されれば、「魔族では無い」と言う言葉は詭弁にしかならなかったのだ。
「……シェキーナ様……。今の魔界に、あなた以上に力のある魔族は居りませんですじゃ。ですが、今のような状態であっても好戦的な輩は少なくないのですじゃ。先程も申した通り、いまの魔界を統べるには、強力な力が必要なのですじゃ。そしてそれはシェキーナ様……あなた様を置いて他に居りませぬじゃ」
此処に至っては、シェキーナに反論する言葉は出てこなかった。
エルナーシャを矢面に……危険に晒すと言うのも、彼女の本意では無い。
魔王……若しくはそれに類する立場に立てば、自然と刺客に狙われる可能性が高くなるのだ。
そして何よりも、シェキーナよりも力のある魔族は確かに……居ない。
好戦的な魔族を……各部族を抑え込むには、反論の余地など無い程の力が必要なのは言うまでもない事だった。
「……老……お話は伺いました……。魔界の現状を鑑みるに、確かに私が適任なのかもしれません……。しかし……良いのですか?」
観念した様なシェキーナがアヴォー老にそう話しかけた次の瞬間。
シェキーナからあの……恐ろしい程の憎悪が吹き出したのだった。
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