エルナの眼覚め

 数日後……。


 シェキーナとの合流を無事に果たしたレヴィアとアエッタは、魔王城「隠れの宮」へと帰り着いた。

 道中に変わった様子もなく、疲弊の色が濃いシェキーナであったがその様な素振りなどおくびにも出さずに、今まで通り2人と接していた。


 もっとも……シェキーナが内に秘めた憎悪は隠し様も無かったのだが。


 城に着いてすぐに、シェキーナは「疲れた」とだけ告げると早々に自室へと引き籠ってしまった。

 そんなシェキーナを、レヴィアとアエッタは心配しながらも見送ったのだった。


 シェキーナの事を考えれば、正しく心身ともに想像を絶する疲労を抱えている事など想像に難くない。

 激闘を繰り広げ自身も消耗し、挙句の果てにエルスとメルル、カナンを失ったのだ。

 これで平気でいられる訳など無い。

 扉の内へと消えて行くシェキーナを、2人は不安を顔に浮かべて見送ったのだった。


 



 そしてその3日後。

 メルルの魔法で眠りについていたエルナーシャが目覚めた。

 

 目覚めてすぐのエルナーシャは、魔法の影響からか微睡から回復するのに時間が掛かっていた。

 それはレヴィアとアエッタにとっては、何とも有難い事でもあった。


 エルナーシャが眠っている間にエルスとメルル、カナンがこの世を去っているのだ。

 その事をどう説明すれば良いのか、2人には良い手立てが浮かばなかった。

 アエッタがメルルより受け継いだ“知識の宝珠”には、それまでに積み重ねられている膨大な知識が収められている。

 それでもそれには、あくまでも「知識」が記されているだけであって、「気持ち」に対しての良いアイデアなどはアエッタにも知る事など出来なかったのだった。


「……あの……シェキーナ様……。エルナーシャ様が……お目覚めになりました……」


 結局、2人の導き出した最善の策とは、エルナーシャの (名目上だが)母でもあるシェキーナに説明してもらうと言うものだった。

 エルナーシャ自身も彼女を「母」と呼んでおり、何よりも先の戦いに於いては唯一の生存者である。

 エルナーシャへと事情を説明するのに、これ以上に打って付けの人物など居ない。


 ただそれが分かっていても、レヴィアとアエッタはすぐにシェキーナへと声を掛けると言う行動を取れなかった。


 ―――自室にこもってから3日……。


 シェキーナは1度として、2人の前に姿を現さなかったのだった。

 給仕の者の話では食事は摂っている様なので、シェキーナが自室にて重篤な状態にあると言う事は考えられない。

 それでも姿を現さないと言う事は……つまりはまだ、誰とも話したくない状態だと言う事なのだ。

 それを考えれば、エルナーシャが目覚めたと言う事をわざわざ報告すべきかと言う事一つをとっても、レヴィアとアエッタには躊躇してしまう事だった。

 

 更にレヴィアとアエッタがシェキーナへと願い出ようと考えている事は、彼女の心を更に傷つける行為となるかもしれないのだ。

 それを思えば、2人にはシェキーナにエルナーシャへの説明をお願いする事など安易に選択出来なかったのだが。


 それでも2人には他に手の打ちようがなかった。


 エルナーシャが目覚めたのだから、いずれは寝室を出てエルス達の姿を探すだろう。

 そう時間を掛ける事も無く、先日起った悲劇をエルナーシャが知る事は考えるまでもない事だった。

 永遠に隠し通せる事では無く、いずれは知れてしまうのだ。

 ならば早々に真実を打ち明ける方が良いに決まっていた。


「……そうか」


 思いもせず簡単に……。

 レヴィアがシェキーナの寝室へと通じる扉に声を掛けてすぐに、その扉が開き中からシェキーナが現れたのだった。

 声を掛けていたにも拘らず、レヴィアはまさかシェキーナが自身の呼びかけに応じるとは思っていなかった。

 だからだろう、その顔には驚きの表情がありありと浮かんでいたのだったが。


「……どうしたのだ? エルナが目覚めたのだろう?」


 その事を怪訝に思われて、逆にシェキーナからそう質問を受ける事となってしまった。


「は……はい。……申し訳……ありません」


 多分に動揺を滲ませて、レヴィアは綺麗なお辞儀をして謝罪を口にした。

 咄嗟の事とは言え、彼女の着ているメイド服も相まってその所作は実に様になっていたのだが。

 シェキーナにはその事が逆に可笑しかったのだろう。


「……何故謝るんだ? おかしな奴だな……では、行こう」


 僅かに微笑んだシェキーナはそう言うと、未だ顔を上げられずにいたレヴィアの前を歩き出した。

 即座に顔を上げてシェキーナの後に続くレヴィア。

 先程のやり取りだけを見れば、シェキーナは本当に今までの穏やかさを取り戻している様に見える。

 しかし……その内に秘めた巨大な憎悪が、強引に抑え込まれている様な気勢が洩れ出しており、それがレヴィアにさえ感じ取れる程だった。

 前を行くシェキーナの背中を見ながら、レヴィアはその気配に知れず一筋の汗を滴らせていたのだった。




「う……うう……父様とうさま……メルル母様かあさま……」


 ベッドで上体を起こしただけのエルナーシャはそこでシェキーナから事の詳細を聞き、シーツで顔を覆いさめざめと泣いていた。


 シェキーナは、実に淡々と事実だけをエルナーシャに語って聞かせたのだった。

 そこにはシェキーナの主観は勿論、彼女の心情などは一切含まれていない。

 その場で起こった戦いの概要を、簡潔に且つ客観的に説明したのだった。

 それを聞いていたレヴィアとアエッタは違和感を覚えずにはいられなかったが、それでもそれはシェキーナが哀しみを押し殺しているからだと考えて納得していた。

 今はその事に思考を取られるよりも、すべき事、考えるべき事が多かったのだ。


 泣きじゃくり落ち着く素振りを見せないエルナーシャを、レヴィアは優しく介抱していたし。


 アエッタは「視る」だけでは知る事の出来なかった戦闘の全容を知り、そこに感じ取れるメルルの想いを読み取り、何処か満足気に涙を流していた。


「……エルナ……。エルスも……メルルもカナンも、お前がしっかりと成長し立派な魔王になる事を望んでいた」


 それまで、自身の話で各々がそれぞれの感傷に浸っているのを黙って見つめていたシェキーナであったが、随分と間を取った後にゆっくりと口を開いた。

 言葉を向けられたエルナーシャは、目を泣き腫らしてはいるものの顔を上げ、涙ながらにシェキーナの方へと顔を向けた。

 

「そんなエルス達の想いに……お前は娘として確りと応えなければならない」


 シェキーナの眼差しは優しく、声音も正しく母親が幼子に言い聞かせるかのようである。

 エルナーシャはシェキーナを見つめながら小さく、それでいて力強く頷いて見せた。


「だが……まだその時じゃない。お前にはまだまだ経験が必要だ。だからエルナ……お前が一人前になるまで、私がお前の後見を務めよう」


「……シェキーナ母様……」


 シェキーナの言葉を聞き、エルナーシャは随分と落ち着きを取り戻していた。

 勿論、未だにエルスとメルル、カナンの死を受け入れ、気持ちを切り替える事が出来たかと言われればそんな事は無い。

 その姿こそアエッタと同年代にも伺えるが、その実年齢は1歳を過ぎたばかりなのだ。

 驚くべき速度で様々な知識を吸収しているエルナーシャとは言え、色々な経験をするにはどうしたって生まれてからの期間が短すぎるのだ。

 そんな彼女が身近に居た肉親とも呼べる者達の死を、僅かな時間で受け入れ気持ちを切り替える事などできよう筈も無い。


 それでも救いだったのは、やはりシェキーナだけでも帰って来てくれた事だろう。

 そしてそれにより、エルナーシャもただ悲嘆に暮れるだけでは無く、シェキーナの言葉により前を向く事が出来たのだ。


 シェキーナとエルナーシャが見つめ合う穏やかな時間を止めたのは、不意に扉を打ち鳴らしたノックであった。

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