ハルヒとキョンが失恋した日

猪座布団

チェイサー

 涼宮ハルヒが失恋した。らしい。

 らしいというのは俺が直接聞いたわけでもなければさりとて伝聞で聞いたわけでもなく、ましてや現場に居合わせたわけでもないからだ。

 ただ……なんとなく、察してしまったのだ。

 明日の七夕のために準備した笹を見ながら愁いを帯びたハルヒの表情を見て。ガラにも無いことは自分でも自覚しているが、なぜかそのときの俺は「ああそうか」等と、天啓に似た直感に導かれたとしか言いようの知れない感情によって、理解してしまった。

 涼宮ハルヒは、失恋、したのだと。

 

 

 七月六日。このところの急な雨やそれに反逆するかのような猛烈な日照りのせいで、俺の身体の恒常性がイマイチ環境に追従することが出来ていないのだが、さてそれでも我らが唯我独尊の団長さまがこの程度の時節に負けるなどあり得ないであろうと半ば確信を持って言えるのは、涼宮ハルヒを知るものなら当然の帰結であろう。

 それが普段のハルヒであれば、俺もそう断じるにやぶさかではない。いやむしろ諸手を上げて賛成するところであろうが、今回だけは少し事情が違っていた。

 物憂げに外ばかり眺めるハルヒを見て、なんとも言い難い焦燥感に駆られるのはなんでだろうね。

 

 失恋……。それは相手に自分の気持ちが通じなかった、というコト。そしてそれの意味するところはつまり……相手がいるハズだというコトだ。

 涼宮ハルヒに言い寄るオトコは、まあ、理解できなくはない。とは言えSOS団を作って以来──谷口によればモテていたのは中学の一年のときだったらしいが──実際にモテるハルヒというのは俺の知らないハルヒでもあるのでどうにも実感が沸かないが、黙ってさえいれば……と思う奴もいるだろう。今はそれほど大それた奇行も取らないしな。

 だがハルヒからしてみれば恋愛なんてのは精神病の一種であるし、そもそもハルヒが気に入る男なんてのも想像出来きなければSOS団を差し置いて特定の男に走るなんてことも、やはり、想像出来ない。

 だいたいハルヒは……とここでいつもなら更なるイイワケによって思考を停滞させるところだが、正直に言おう、俺はハルヒが好きだ。今までのらりくらりと韜晦してきたが、ここに来てようやくはっきりと自信を持って言えるようになった。

 ……そのきっかけがハルヒの失恋だなんて、たいした皮肉だけどな。

 

 

 ☆ ★ ☆ ★

 

 

 また七夕が来る。

「あれからもう四年ね」」

 あたしは明日の七夕の準備にと笹を部室に持ち込んで窓際に立てかけたあと、指定席であるパソコンの前に陣取りながら窓の外を──正確には空を──見上げていた。

 みくるちゃんも有希も古泉くんも、もう皆帰ってしまったのに、

「何がどうしたって?」

 バカキョンが空気も読まずに話しかけてくる。いつもはノホホンとアホ面してるくせに、こういうときに限って目ざとい。まったく、ホントに、キョンときたら。

「別に。七夕にはちょっと思い出があるのよ」

「そうかい」

 それっきりキョンは何も言わなかった。ただあたしと同じように、西日の差し込み始めた部室で並んで空を見上げていた。

 

 

 四年前のあの日、あたしはジョン・スミスと名乗る冴えない男と出会った。

 あいつはあたしのやることを、分かったような顔でほいほいとこなしていった。……変なやつ。今改めて思い出してもそう思う。

 

「宇宙人、いると思う?」

 あたしは一息付いたあいつに、そう問いかけていた。自分なりの礼のつもりだった。

「いるんじゃねーの」

「じゃあ、未来人は?」

「いてもおかしくはないな」

「超能力者なら?」

「配り歩くほどいるだろうよ」

 こんなことを言ってくれた奴は初めてだった。こんな『そんなの当たり前』みたいに肯定する人間がいるなんて。

 あたしはあいつがどんな顔してんのか見ようとしたけど、暗闇のせいで制服くらいしか伺い知ることが出来なかった。学校が分かれば別にいいか、なんてそのときは思っていたけど……。

「それで、これはいったい何なんだ」

「見れば解るでしょ。メッセージよ」

「まさか織姫と彦星宛じゃないだろうな」

「どうして分かったの?」

「似たようなことをしてる奴に覚えがあったんだよ」

「へえ? ぜひ知り合いになりたいわね。北高にそんな人がいるわけ?」

「まあな」

 

 北高。ジョンスミス。あたしはその二つをしっかりと頭に入れると、家に帰ることにした。もう遅いし、両親も心配するから。まだ聞きたいことはあったけど、明日にでも北高に行ってみればいいと思ったから。

 結論から言えば結局この日以来、あいつ、ジョン・スミスと会うことは無かった。ジョンの言っていた「似たようなことをしている奴」ってのにも。

 そしてまた普通の日常がやって来た。

 

 

 二年後の中学三年のときの七夕にもこっそり学校に侵入してみたけれど、やはりジョンの姿は無かった。その日は満月で、月明かりがグラウンドを照らし、かすかな希望を持っていた一人きりのあたしを完全に打ちのめしたのだった。

 ジョンにはジョンのパートナーが居る。でもあたしには居ないのはなぜ?

 寄ってくる連中は判を押したように『普通』で、誰もあたしの話をまともに聞こうとする奴は居なかった。

 くだらないことでいちいち騒ぐクラスメイト。街ですれ違うカップルたち……ひょっとしたらあの中にジョンとその変な奴も居たのかも知れない。

 毎日同じことの繰り返しで飽き飽きしそう。人生の無駄使いだわ。ジョンは今頃変な奴と楽しくしてるのかな……。

 どうしてそれがあたしじゃないんだろう。

 どうしてあたしの周りはこんなにも普通なんだろう。

 不思議なことと言えばあの七夕の夜くらい。

 あの夜のコトは夢なんかじゃない。でもあいつはほんとに実在したのだろうか? ジョン・スミスなんてふざけた名前……。

 もしかして幻だったのかもと思ったこともあった。

 でもあたしは確かに覚えている。ジョンと共に作った七夕のメッセージ……あれは確かに存在したのだ。

 ジョンが語っていた、似たようなことをしている奴。そいつと一緒にいるジョンの姿を思い浮かべて、あたしはそれがジェラシーなのだと気づいた。そしてそれが失恋という感情だということも。

 

 

 ★ ☆ ★ ☆

 

 

「どうした? また思い出し憂鬱ってやつか」

 どうにも元気が無いハルヒに付き添って茫洋と空を眺めていた俺だったが、さすがに終始無言なハルヒとでは調子が狂う。まったくどこの色男だ? うちの団長さまをここまで意気消沈させるなんてな。まったく、腹立だしい。

「憂鬱ってほどじゃないわ。今はもう、ね」

 導火線の火が消えるどころか引っこ抜けてしまって、まるで体育倉庫に転がっている空気の抜けたバスケットボールのような謙虚さでハルヒは応えた。その表情を見て、俺は己の勘違いを悟った。

「何? どうしたの、キョン?」

 どこか吹っ切れたような、優しげな目をしたハルヒをずっと見つめていたことに気がついて俺は慌てて視線をそらす。てっきり失恋で落ち込んでいるものだとばかり思っていたが、どうやらそんな大層なことでは無かったようだ。ここはほっとするところなのかね。

「今朝からずっと心ここにあらずで元気が無いと思ってな」

「再認識してたのよ」

「何を?」

「あたしたちを」

 ハルヒは自分の胸に手を置きながら、やや俯きながら流れるように言葉を紡ぐ。

「あたしはずっとこの世界はつまらないものだと思っていたわ。でもそうじゃなかった。あたしはずっと一人で突っ張って、自分自身が世界を突き放していたんだって。つまらないのも当然よね。だってあたしは世界を否定しかしてなかったんだから」

「今は違うのか?」

「当然でしょ?」

 言いながらハルヒは部室をぐるりと見渡すとオーバーな身振り手振りでもって、今までのことを朗々と語る。最初に俺がいて、長門がいて、朝比奈さんを捕まえて、古泉を連れてきて……。

「自分が世界を受け入れて楽しめば、世界も応えてくれる。もっともっと楽しくなる。あんたが気づかせてくれたのよ」

 最後にびしっと俺を指差しながらハルヒは腰に手を当てながら仁王立ち。調子が出てきた途端これだ。

 俺を買いかぶってくれるのは勝手だがな。あんまり持ち上げてくれるなよ。高ければ高いほど落ちたときの衝撃はデカいんだ。

「あたしにはね、憧れてた人がいたのよ。ん、ちょっと違うかしら。正確には偉大なる先人ってところね」

「お前にも先輩を敬う気持ちがあったんだな」

 茶化すな! とハルヒは拳を振り上げる──なんてことはなく、はにかみながらそっぽを向くに留まった。そういえばハルヒの横顔はあまり見たことがないな……。どうにもよろしくない衝動に襲われそうになったがグっと堪えた。

「その人はね、あたしと同じように彦星や織姫にメッセージを送ってたりしてたそうよ」

「そりゃまた奇特な先輩もいたもんだな」

 ハルヒ以外にそんな人間がいるのかなんて一瞬思ったが、さて、俺は今いったいどんな顔をしてるんだろうね。まさにその奇特な先輩が俺の眼前にいる。ハルヒは気づきようも無いが、こいつは自分自身に憧れていたんだな。図らずもそう仕向けてしまったのは俺なんだが。しかしだとすると、ひょっとしてコイツの色男の正体は……まさか、だよな?

「あたしはその人みたいになりたかったのかも知れない。でもあたしは、あたしだから」

 ハルヒはその瞳に宿る銀河を再びかき回すかのような暴力的な光を発した両目で俺を見つめたかと思うと、そのままにこりと微笑んだ。クラっときた。ヤられた──と思ったときにはもう、遅い。ハルヒの唇が俺の唇に触れ、あっという間に遠ざかっていった。

「先に帰るわ。戸締りはキチンとするように!」

「おい、ちょっと待てハルヒ!」

 あのヤロウ、振り返りもせずに一直線に走って行きやがった。

 今日のは一体なんだったんだ。全部俺の勘違いだったのか? まるで恋に振り回される思春期真っ盛りの少年のようないたたまれない気持ちでいっぱいだ。

 と、開けっ放しの窓を閉めようとしたところで、校舎から出て丁度こちらを見上げていたハルヒと目が合った。

「今日はありがとね、キョン!」

「やり逃げしてんじゃねーぞ、ハルヒ! 俺だってな、お前に言いたいことが──」

 だがハルヒはそんな俺を見て、とんっと垂直に飛んだかと思うとまた走り出しやがった。っておいまたかよ!

「ちゃんと願い事、考えておきなさいよ~!」

「お前こそ! 今年はまともな願い事にしやがれー!!」

 結局言いたいことは言わせてくれないんだからよ、こいつは。そして部室からギリギリ見えるところで立ち止まり、窓から身を乗り出して叫ぶ俺の姿を笑うかのように眺めた後、今度こそ立ち去った。

 

 

「──あたしには、あたしのジョン・スミスがいるから」

 最後にハルヒがなんと言ったのかは、よく聞き取れなかった。







 

Good-bye, bye! first love



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ハルヒとキョンが失恋した日 猪座布団 @Ton-inosisi

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