第29話 人に救われし神
その時、森を進行する三人の間には大きな空隙があった。
シアは後ろを顧みず突き進み、ペルイは思案に更けながら歩いていたから、シャルルが足を止めたのに気付かなかった。
「……いま、のは?」
声が聴こえた。大地の悲鳴だ。それもクローネスが聖奠を行使した時の比ではない。
駄目だとわかっていながらも、シャルルは聖別に手を出してしまう。
「――
――大地よ、応えて。
意に従い、大地はシャルルの求めていた回答をくれた。
「……破壊神」
耳ざとくペルイが足を止めるも、
「おぃ、シャルル――!?」
駆け寄ることはかなわなかった。突如、風を切る音。咄嗟に身体を捩じり、飛来した矢をかわす。
「誰だ!」
完全に油断していた。シアがいるからと警戒を怠った。思考に没頭してしまい――気付けば囲まれている。
「ペルイさん!」
さすがのシアも踵を返すも、見慣れぬ人々が遮る。
「……誰だ?」
ペルイの疑問を晴らすように、
「……〝森の民〟」
シアが答えた。
「おぉ、豊穣神様――お迎えにあがりました」
弓を番えた者以外がシアに向かって一斉に
その光景にを見るなり、シャルルの動きが鈍った。思い出したくない過去を見せつけられ、心が悲鳴を上げたのだ。
「弓をどけて! さもないと……」
「――シアぁ!」
大丈夫だと、ペルイは頷きで伝える。
「おまえは手出すな。シャルルも目瞑ってろ」
ぐるりと見渡し、
「俺やこんな奴らの為に、おまえらが傷つく必要なんてねぇ」
吐き捨てるように笑う。
嘲笑の色を感じ取ってか、〝森の民〟たちは弓を引き、離した。
「当たるかよ」
警告すらないとは、噂に違わぬ野蛮さだとペルイは相手を見下す。
「人の言葉がわかるんだろ? だったら、話し合いで解決しねぇか?」
集中していれば弓矢など恐れるに値しない。風が軌道を教えてくれるので、ペルイは易々とかわしてみせた。
「去れ! 野蛮な人間と交わす言葉などもたぬ」
「そうだ! 人の分際で神を謳うなど、愚かにもほどがあるぞ!」
「身のほどを知れ!」
聞く耳に持たず。
彼等は次々にペルイを罵倒する言葉を連ねていくも、
「だぁー、うっせぇなぁ!」
荒波で揉まれた漁師ならではの一声が雑音を掻き消す。
「てめーら、一つ訊かせろや!」
ペルイは保護者の仮面を脱ぎ捨て、素を曝け出した。
「シアを連れ帰ってどうすっ気だ、あぁ? てめーらはこいつを捨てたんだろ? どの面下げて迎えに来たってんだ?」
本来の彼は一般的な漁師の例に漏れない輩であった。
「無礼な! 我々は捨てたのではない。精霊の身元にお返したのだ」
「おぃ、こら、もっぺん言ってみろ。殺すぞ? つーか、最初の質問に答えろや」
通常なら接する機会がないタイプの人間に、〝森の民〟たちは萎縮していた。
「……豊穣神様には、子を産んで頂く」
「いやぁっ!」
生理的嫌悪感丸出しの声が響くも、
「相手は厳選に厳選を重ねておりますのでご安心を」
〝森の民〟はまったく理解していない。
「子を産ませるだぁ? しかも、相手は用意しているだと……? ふざけんじゃねぇ!」
そうして、彼等はあっさりとペルイの琴線に触れてしまった。
「てめーらは、子供をなんだと思ってやがる? 結婚をなんだと思ってやがる?」
知らず知らず、彼の手が背中の銛へとかかる。
「貴様こそ、ここを何処だと思っている! 神聖なる豊穣神様と狩猟神様の領域だぞ!」
「――そういう貴様こそ、我を誰だと思っておる」
ペルイが言い返す前に、荘厳なる響きが割り込んできた。
「それとも、我を創造神と知っての狼藉であるか?」
一歩一歩、少女は音を鳴らして進み出る。
「だとすれば、実に愉快ではないか」
流麗だった。
歩き方から言葉の発し方に至るまで神懸っており、誰一人として口を挟む隙を見出せない。
「一から教えてやらねばなるまいな。この世界が誰のモノであるか」
幾星霜を生き抜いた老婆のように、シャルルは老獪な笑みを浮かべる。
「折角だ。この森で破壊神と共に興じるのも良かろう」
その発言に、
「リルトっ!」
シアを始めとした、豊穣神の聖別を扱える者たちが一斉に逼迫しだした。
「……馬鹿な!」
「何故、破壊神が……」
「早い、早すぎる!」
「――黙れ」
静かな一喝だったが、森までもが静まり返った。
「黙れ、人間」
〝森の民〟たちは不服そうな顔を浮かべるも、シャルルは容赦なく続けた。
「どれだけ信奉を捧げようとも、所詮貴様らはただの人間に過ぎぬ」
痛烈な台詞を浴びせられ、〝森の民〟たちは項垂れる。
「それを忘れるな。人間に神を縛ることなど出来ぬ。成聖者とて同じ。あの娘にも、豊穣神の意志を無視する真似は出来やせぬ」
急に話を振られたシアは戸惑いながらも、頷いてみせる。
「……つまり、森に帰られないのは豊穣神様のご意志だと仰るのですか?」
弱々しい瞳がシアを見据える。
「……うん。わたしは帰らない。破壊神を倒すまでは、帰る訳にはいかない。そのあとだって……きっと帰らないと思う」
拙いながらもシアは続けた。
「ここはわたしの生まれた場所だけど、帰る場所じゃない。ここはとても豊かで、わたしがいなくても大丈夫だもん」
それに貴方たちもいるからと付け加えて、
「世界には、もっとわたしを必要としている場所がある。わたしはそれを知っている。枯れた大地を、緑のない世界を――だから、わたしはずっとここにいる訳にはいかない」
豊穣神は神託を下した。
これには、さすがの〝森の民〟たちも従うしかなかった。
さもなくば彼等の存在意義に関わる。
初めて〝森の民〟は豊穣神に託されたのだ。
自分たちがいれば森は大丈夫だと。その期待に応えらないようでは、創造神が指摘した通りの人間になってしまう。
〝森の民〟としての誇りを守りたければ、彼等はシアを諦めるしかなかった。
去っていく〝森の民〟の背中を眺めて、
「人には手出すなって言っといて、自分はすぐに出すんだもんな」
シャルルが零した。
「まだ、出してなかっただろう?」
「いーや、あれはおれが止めなかったら絶対に手ぇ出してたって」
負けを認めるように、ペルイは銛を背負い直す。
「あの時だってそうだったじゃん。……だから、おれは大丈夫になった」
満面の笑みで言われ、ペルイは気恥ずかしく頬をかく。
「つーか、破壊神は?」
彼だけは、確信を得るに至っていなかった。
「……いる。位置的に、そろそろリルトの軍とぶつかる」
「だったら、急がねぇとな」
「うんっ! リルトは殴ってやらないといけないから、助けないと」
かくして、三人の英雄は動き出す――
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