第24話 豊穣神の怒り

 かれこれ、二十日に及ぶだろうか。

 中空に立ち昇るクローネスの姿を眺めながら、ペルイは呑気なことを考えていた。

 平穏な雰囲気の所為か、仲間たちが争っているというのに焦燥感はまったくといっていいほど生まれてこない。

 

 二人の少女も例に漏れず、無邪気に観光を楽しんでいる。

 

 クロノスの城下街は防衛戦の最中とは思えないほど活気に満ちており、誰もが日常の生活を営んでいた。

 シアは店先に飾ってある寄木細工に夢中になり、シャルルは食い気優先なのか様々な果実に噛り付く。

 

 ――これで何件目だ?

 

 二人して遠慮の欠片もない。クローネスが付けた条件の誇大解釈によって、ペルイは支払いの全てを受け持つ羽目になっていた。


「おーい、そろそろ行くぞ」

 

 ペルイは声をかけ、一人で歩き出す。二人は文句を口にしながらも、小走りで両脇に並んだ。


「つーか、リルトリアの奴は何を狙っていやがるんだ?」


「さぁ? あいつもけっこう馬鹿だから、実は何も考えてないんじゃない?」

 シャルルが身もふたもないことを言う。

「それか、本気でなんとかなると思ってるとか?」


「……さすがに、そこまで馬鹿じゃねぇだろ」

 

 ジェイルじゃあるまいし、とペルイは内心で付け加える。

 正義神の聖奠は大義名分があればあるほど力を与える。その性質を根拠に、ジェイルはよく単騎で敵地に突っ込んでいた。

 曰く、不利な状況のほうが正義の味方っぽいと。

 傍から見れば、無謀や馬鹿としか形容できない行動が多かった。


「えー、だったらさっさと大軍で攻めるべきじゃん。リルトの奴、たっくさん仲間がいるみたいだし」

〝大地の声〟を聴いてか、シャルルが遠くを見やる。

「それに、まだ沢山……こっちに向かって来ている」


「おぃ、クローネスとの約束憶えてんだろうな?」

 

 彼女が課した条件の一つは聖別の使用を禁ずるであった。シャルルに関しては破壊神の行方を探られないように、シアについては〝森の民〟に悟られないようにと。


「使ってないってば。勝手に聴こえてきた聖寵だって」

「ならいいが……」

 

 なんだかんだ言って、クローネスはシャルルたちに甘い。なので、もし破ったとしても怒られるのはペルイだけなのだ。


「けど……なんだろ。今までとなんか違う気がする……」

 

 いつになく真剣な表情にペルイは嫌な予感を覚え、口を挟む。


「あー、それとだな。いくら大勢で攻めたって、落とせねぇと思うぞ。クローネスの聖奠があるからな」

 

 あの〝投擲〟の前では数も鎧も関係ない。


「ペルイ、それはないよ」

「あん?」


「ロネは絶対に、そんな真似はしない」

 らしくない音色に顔を向けると、シャルルは見たこともない表情を浮かべていた。

「そんなことをしたらどうなるか、ロネならわかるはずだもん……」

 今にも泣きそうだと感じられるのに、目尻も口元も笑っている。


「……悪い」

 何故だか謝らなければならないと思い、ペルイは素直に詫びた。


「こっちこそごめん……なんか、昔のこと思い出しちゃってさ」 

 明るい声を出しているものの、無理しているのがわかる。

 

 ――シャルルは長い間、神として祀られていた。

 

 その生活がどういったものだったのか、ペルイには想像も付かない。それこそ、彼女はなんの力も持たない時から崇められていたのだ。

 それが力を得て――本当の神となった。

 シャルルが最初、村の人たちにどんな力を見せたのかは知らない。

 どんな気持ちだったのかも定かではない。

 

 ただ、神となった少女は孤独に苛まれていた。

 

 誰からも名前を呼ばれず、誰からも愛されず。大人は貢物を持ってきては汚い欲望を突きつけ、親はその欲望に値段を付けては娘に叶えさせた。

 無理な願いについては自分たちや、金で雇った人間の手で成し遂げ――それがどんな汚い事柄であってもシャルルの行いにした。

 

 ――神が奪うというのなら、それは罪ではなく受難である。

 ――神が壊したとなれば、それは罪ではなく試練である。

 ――神が殺したというのなら、それは罪ではなく天罰である。

 

 あの村の有り様は思い出しただけでも吐き気がしてくる。全てをシャルル〈神〉に押し付けといて、自分たちは聖人の気分でいやがった。

 今に至るまで、ペルイが我を忘れるくらい怒り狂ったのはその時だけだ。

 なんせ、止めに入ったジェイルやリルトリアと本気でやり合った。あんな奴らを庇う二人が許せなくて、レイドと組んで死闘を繰り広げた。

 

 その間にクローネス〈神〉が全てを片付けたものだから、男四人で肩身の狭い思いをしたのも憶えている。

 エディンに説教をされ、テスティアに呆れられ――そこでやっとシャルルは笑ったのだ。

 シアに支えられたまま、子供のように泣いて泣いて……笑顔を見せてくれた。


「そいや、シアはどうした?」

 

 先ほどから一言も発していないと思ったら、隣にいなかった。振り返ってみると、棒立ちしている。

 こちらに背を向け――ペルイと並んだ位置からほとんど動いていない。


「シア?」

 シャルルが駆け寄り、


「何か、あったのか?」

 ゆっくりとペルイも続く。

 

 後ろから声をかけるも、反応がない。

 ペルイは回り込み、絶句する。先んじたシャルルが、口を噤んでいた理由を痛いほど思い知る。

 

 ――シアは……おそらく怒っていた。

 

 いつもの緩み切った頬は強張り、愛嬌のある涙袋が萎むほど双眸を引き絞り、遥か彼方を射抜いている。


「おぃ、シア……クローネスとの、約束……」

 

 ペルイは普段との落差に対応しきれず、しどろもどろと窺いをたてるような口調になってしまう。


「落ち着け! とにかく、深呼吸しようか? すーすーはーはー……」


「いや、おまえが落ち着けよ」

 シャルルのツッコミも切れ味が感じられない。


 ――シアを怒らせてはいけない。

 

 それがクローネスの付けたもう一つの条件だ。

 なんでもシアは聖別対象との同調性が高いので、彼女の感情は植物に多大な影響を及ぼすらしい。

 そうならないように、ペルイは奢ったりしてご機嫌を取っていたのだが――


「ペルイさん、わたし……ちょっと行ってくるね」


「……行くって、何処へ……だ?」

 ペルイは完全に気圧されていた。


「何処って? ははっ、そんなの――リルトのとこに決まってるじゃないですか」

 言葉の端々から、押し殺した怒りがひしひしと伝わってくる。

「ちょっと行って、リルトの奴をぶん殴ってきます」

 宣言して、シアは地面を踏み鳴らしながら森へと向かった。


「……もしかしてシアの奴、リルトの狙いがわかったんじゃない?」

「……だとしたら、なんだ? シアをあそこまで怒らせるなんてよっぽどだぞ?」

 

 近づきがたい背中を追いかけながら、二人は相談する。


「リルトリア側の問題はクローネスの聖奠をどうするかだよな」

「ぶっちゃけ無理だけど。創世神の聖奠を防ごうなんて」

「なら、クローネス自身をどうにかするか。たとえばレイドを人質に……」

「無理無理。ただでさえレイドのが強い上に、戦神は鍛冶神と相性最悪じゃん」

 

 そもそもレイドを拘束する術がない。鎖も縄も、鍛冶神の聖奠のまえでは簡単に断ち切られてしまう。


「だよなぁ。じゃぁ……」

 

 肝はシアの逆鱗に触れること。


「まさかっ! リルトリアの奴……!」

 

 一つだけ心当たりがあった。

 聖奠に限らず、聖別すら無効化する存在――


「あいつ、妊婦を連れてくるつもりなんじゃねぇか?」

 

 神が与えるギフトは生まれ落ちた全ての生命に与えられる。裏を返せば、まだ生まれていない生命には与えられない。

 

 ――胎児は可能性を秘めているのだ。

 

 どの神の庇護下に入るか。それこそ人神や創世神のみならず、原初神の祝福を授かる見込みさえあり得る。

 だからだろうか妊婦――胎内に別の命を宿している存在は、外部からのあらゆる神の奇蹟を拒絶した。


「ペルイ、妊婦は戦神の聖奠すら拒絶するぞ?」

 

 呆れたようにシャルルが指摘する。聖別した武具を扱うことはできても、妊婦本人を聖奠で操ることはできない。


「そうか……いや、待てよ。確か聖寵はいけたよな?」

 

 限らず、本人が使う分にはなんの問題もなかった。


「いけたとしてなんだよ? まさかおまえ、妊婦があの矢の雨を自力で踏破できると思ってんの?」

 

 危険を報せる戦神――それも成聖者の聖寵なくして、鉄の嵐をやり過ごせはしない。


「それに無効化できんのは聖奠のみで、余波までは無理だぜ?」

 

 ペルイはぐうの音すら出せず論破される。


「じゃぁ、いったいなんだってんだ?」


「っていうか、シアがわかったのにペルイが気付けないってどうなの?」

 にやにやと、シャルルは意地悪な笑みを浮かべる。

「ペルイって普段、シアのこと馬鹿にしてるみたいだけどさぁ~」


「そ、それはだな……」

 

 返す言葉もなかった。

 ペルイは必死になって腹案を練るも、芳しい効果はあげられそうになかった。

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