第2章 神と人と神となった人

第9話 攻城、人の苦労と神の余裕

 戦において、攻城は避けるべき下策であった。

 

 何故なら、立ち塞がる分厚い防壁や堅牢な門を打ち壊すには、どうしても攻城兵器が必要となり、お金と人手がかさむからだ。

 それも、一台や二台では事足りない。深い堀に急な勾配が侵入を妨げるので、悩ましいほどの数が必要となってくる。

 

 また、よしんば近づけたとしても、敵の迎撃になんの成果もあげられないまま壊されることもしばしば。

 

 指揮官としては、それだけでやってられなくなる。

 が、兵器を運搬する前線部隊は、その比ではないほどやってられない。

 

 ――なんせ、色々なモノが飛んでくるのだ。

 

 高さを活かした飛来物に始まり、人や動物の糞尿、果ては煮えた油まで……。

 とてもじゃないが生半可な防具で防げるレベルではなく、死傷者は恐ろしいほどの速度で増えていく。

 

 城は防衛側に最大の利点が得られるように造られているので、成功不成功にかかわらず、突破を試みれば多大な犠牲を支払わなければならなかった。

 

 よって、籠城に徹する相手に仕掛けるのは攻囲戦。交渉、裏切り、策略、飢餓。囲むことで都市を孤立させ、それらを誘発させる。

 

 ところが、今回ばかりはそういった正攻法も通用しなかった。

 

 王都クロノスは、正門以外を森に覆われている。包囲するには当然、森の中を進軍しなければならないのだが、これが絶望的に難しい。

 

 ファルスウッドは狩猟神と豊穣神を信仰しており、前者は動物、後者は植物との意志疎通を可能としていた。

 全ての民に聖寵せいちょうが与えられているわけではないが、成聖者のクローネスが複数の動物を使役できる段階で、隠密は不可能と考えるべきであろう。

 

 森での行動は、全て筒抜けと思って間違いない。それにファルスウッドは狩猟を生業としているだけあって、罠の類も得意である。

 森は彼等の領域。踏み入れた時点で勝ち目はない。

 

 かといって、焼き払う真似だけはできなかった。

 

 理由は主に二つ。帝国の狙いが自然の財源――森の生み出す利益であるのと、〝森の民〟の逆鱗に触れない為だ。

 

 ファルスウッドは統一王国ではない。

 

 現に森の中には、村から街まで無数の集落が存在しており、それぞれが独立して自治を行っている。

 大半は前時代的な暮らしぶりで――なんでも、整備された道はおろか硬貨という概念すら持っていないらしい――酷く、外からの干渉を嫌う性質を有している。

 

 そんな彼等の意を汲み、守ることでクロノスは先住民との共生を図っていた。

 

 力で押さえつけて来た帝国からすれば、理解できない苦労。それが、クロノスの守りを盤石にしているという皮肉。

 

 恐ろしいことに、〝森の民〟の支援を受けたクロノスは籠城に限りがなかった。

 だからこそ、門を閉じたままでも平気でいられる。

 

 囲めない城に開かない門。

 原始的な人間には、裏切りも策略も通用せず――

 

 そうなると、ミセク帝国は正面突破という下策を取るしかなかった。

 

 王城は森の奥深く。整備された道は正門へと続く一本のみ。それも狭く、馬車がすれ違える程度と数で押すことさえ難しい。

 

 それでも、リスクに応えるだけのリターンはあった。

 

 森を守ってさえいれば、〝森の民〟たちは甘い蜜を運び続けてくれる。彼等は、森を傷つける恐れのある争いを好まない。

 彼等の信念を汚すような真似さえしなければ、自由にさせていればいい。

 あの場所クロノスさえ奪えれば――


 


 帝国側が必死で攻略を考えている中、ペルイたち一行は、彼等が諦めるしかなかった森への進軍を易々とこなしていた。


「――よろこびとさかえに満つオー・クアンタ・クオリア

 

 シアの歌に応え、梢が揺れ奏でる。視界が見る見る内に開き、道を形成していく。

 豊穣神の聖別対象は云うまでもなく植物である。


「え? 罠があるの? ありがとぉ~」

 

 聖寵は〝植物の声〟を聴く。

 豊穣神の聖成者であるシアにとって、森はなによりも安全な道行きであった。


「あ! あとね、動物さんたちにわたしたちのこと教えといてくれる? うん、ロネの友達だからだいじょうぶだって。けど、森のみんなには内緒、ねっ」

 

 不自然な動きの動物を見つけ、シアがお願いをする。木々に声をかける姿は頭が悪そう……いや、残念そうにしか見えなかった。

 それでも、ここでは彼女の先導に従う他ない。

 ペルイとシャルルは腑に落ちないものの、シアの後ろをついていく。


「えぇ! そうなの? うわぁ、知らなかったぁ」

 

 花と長話するシアに頭痛を覚えたとしても、決して急かしてはならない。

 彼女は紛れもなく、豊穣神の代行者なのだ。この地に植物を生み出した存在で、全ての植物を統べる王。

 森は彼女を歓迎するかのように色彩を帯び、芳醇な果実を差し出してくる。


「なぁ、本当にシアのペースに合わせないと駄目なの?」

「あぁ。少なくとも、人神の聖成者でしかない俺はな」

 

 ペルイは一度、痛い目にあっていた。

 当時はシアを信じておらず、頭の心配を口に出した途端、上から硬い木の実が落ちてきた。


「悪意がなくても、こいつらは関係ねぇんだ。まっ、植物にそんな難しいことを理解しろってのが無理な――ぁっ!?」

 

 シャルルは腰を落として、ペルイの脳天を捉えた物体を拾う。


「いが栗?」

 

 激痛だったのか、いい年をした大人が蹲っていた。

 シアは話に夢中で気づいていないのか、楽しそうに笑っている。


「なぁ、シア。さっさと行こうぜ?」

 

 試しに、シャルルは言ってみた。

 すると、


「いでっ!」

 

 ペルイがまた、声をあげた。


「えー、もうちょっと待ってよぉ。久しぶりに帰ってきたんだからさぁ」

 

 悲鳴など聞こえていないかのように、シアは我侭を述べる。


「ったく! 呑気なんだから」

 

 言いながらペルイに目をやると、案の定植物に襲われていた。長い木の枝が不自然にしなり、お尻を打っている。


「やっぱ、創造神には逆らわないのかぁ」

 

 実質的に、創造神は破壊神と並んでこの世界の最高神であった。

 

 それより高位の存在に、原初神の三柱――天空神、海洋神、地母神――がいるものの、長いこと暇  な  神デウス・エティオーススとなっている。

 早い話が、空と海と大地を作ったら飽きたのか、何もしなくなったのだ。その為、原初神は人間から礼拝を捧げられることも少なかった。

 

 そんな、主のいない世界に生まれたのが創造神。同時に破壊神も生まれ、創造と破壊を繰り返す中で、豊穣神と狩猟神が誕生した。

 新たに誕生した二柱は、自らの〈子〉として植物と動物という生命を産み出し――結果、死神も生まれ落ちた。

 

 ――それが、この世界の創世記。

 

 ちなみに、人間は創世神の争いの影響から偶発的に誕生したと言われている。

 つまり、人間は複数の神々から生まれた。唯一絶対神を持たない、神の理から外れた存在。

 ゆえに原初神は恐れ、隔離した。

 

 ――文字通り、世界を切り離して――

 

 対案として、苛烈な神々の争いによって、世界そのものを傷つけられたのを怒ったからだという説がある。

 

 現に、この鎮守の森は終わりが見えない。

 他にも、果てのない海や山々や砂漠がこの世界には蔓延っていた。


 それが技術の問題なのか、現初神によって切り離されたのかは未だわかってはおらず、学者たちの間では激しい議論が繰り返されている。

 ただ、海からこの森に流れ着いたペルイからすれば、答えは決まっていた。


「おぃ、シャルル。頼むから余計なことは言わないでくれ……」

 

 息も絶え絶えで、ペルイは懇願する。

 どうやら、かなり痛かったようだ。


「ごめんごめん。ちょっとした好奇心でさ」

 

 悪びれもなく、シャルルは笑う。年相応の子供の笑顔には文句が出てこなかったのか、ペルイは溜め息を吐くだけに留めていた。


「急がねぇと……そろそろ、始まっちまうんじゃないのか?」

 

 森を進軍しているのは、門が閉ざされていたからだ。頼めば開けて貰えただろうが、クローネスの立場を考慮すると、とてもできなかった。

 

 なんせ、クロノスは籠城戦の最中なのだ。

 

 かような時に、友人が来たからといって門を開けていては示しが付かない。城には、かつて彼女を貶めた人間もいる。

 そのような連中に、付け入る隙を与えるわけにはいかなかった。

 英雄と名乗れば公的にも問題なかったかもしれないが、そちらは個人的な理由で却下となった。


「別に、始まってもいいじゃん」

「おぃおぃ……」

「ロネだって、リルトを殺したりはしないっしょ?」

「そりゃぁそうだろうがよ……あいつは今、王女だぜ? 戦いには参加しねぇだろ?」

「さぁ、それはどうだろうねぇ~」

 

 にやにやと、シャルルは悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「なんだ? その顔は?」

「いや、ちょっと〝大地の悲鳴〟が聴こえてさ」

「大地の……悲鳴だと?」

 

 大地の声を聴くのは創造神の聖寵でなんら不思議はないが、悲鳴となると別だ。強靭な大地に悲鳴をあげさせる方法など、さほど多くはない。


「まさか……?」

 

 ペルイの予測を裏切らないで、シャルルは言い切った。


「ロネの奴、聖奠せいてんを使ったよ」

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