§6-2

 その人形の少女フェレスは、資材置き場の片隅で膝を抱えてじっと座り込んでいた。


 資材を運搬するための重機が上げる騒音。互いに怒鳴り合う兵士達の叫声。基地に避難するために集まった民間人達の喧噪。


 様々な騒音があちこちから響き渡り、耳障りな不協和音を作っている。


「……やっぱり、嫌われて当然だよね」


 フェレスの耳に、そららの音はどれ一つとして聞こえていなかった。


 暗い感情が溢れて、まるで暗い水底へ沈んでいくように周囲の景色を遠退かせていく。


 この世でたった一つの寄る辺を失った少女は、沈むに任せることしかできないでいる。


 『ずっと嫌いだった』


 『欠陥機にこれ以上乗り続けるなんてできない』


 思い出すのは、意図せず耳に入れてしまった言葉の数々。


 面と向かって言われたくはなかった――そう思い、一晩中ずっと基地の中をさまよい歩いて、顔を合わせるのを恐れて逃げ続け、そしてこの資材置き場に辿り着いた。


 人形の体となったことに、決して後悔はしていない。


 人類の牙となるため、命を削ることを恐れてもいない。


「もう、私は人形で居ることしかできないのに……」


 それでも、ついそんな言葉が口から沸き立つ泡のように溢れ出てくる。


 自分はもう人間ではないのに――人形であることすら奪われてしまったら、一体何者であればいいというのか。


 金属の粉を含んだ塵が床のあちこちに吹き溜まり、ざらざらとした表面を作っている。


 自分も、この砂粒の一部となって消えてしまえたら。


 そうすれば、胸も痛まないし悲しさもこみ上げてこないのに。


「っ……誰、ですか?」


 コンクリートの床面に手を置いてじっと俯いていたフェレスは、ふと地面を通して一つの足音が近づいてくるのに気が付く。


 彼は――文楽は既に基地を出発してしまった後だ。こんなところまで自分を迎えに来てくれるはずなんてない。


 分かっていても、心のどこかで期待して、咄嗟に顔を跳ね上げさせてしまう。


 コツコツと床を叩きながら近づく足音は、やがて彼女の目の前でぴたりと止まった。


「こんな所に居た……ほんと、世話の焼ける妹ばかりね」


「ル、ルーシィさん!?」


 黒いブーツに白い士官服、長い銀髪に黒い二本の角。仮装人形アバターの姿をしたルーシィが、座り伏す彼女のことを見下ろしていた。


「まったく情けない。いつまでそんな、人間の女みたいに泣いてるつもり?」


「でも、文楽さんはもう行ってしまって……」


「だったら追いかければいいじゃない。あんた推進器ブースター付いてんでしょ?」


「えっと、今はついていませんが……」


「だったら格納庫に行って、さっさと着替えてきなさい。先遣が出払った後だから滑走路も空いてるわ」


「でも、文楽さんは……私には、もう乗りたくないって――」


「だぁあもうっ!! つべこべ言ってんじゃないわよ! あんたがそんなだから、あいつも今さら戻ってきたレヴィアに絆されて、あんなポンコツになってんのよ!!」


「は、はい……」


 ルーシィの剣幕に圧されて、フェレスは思わず頷いてしまう。


「いいこと? この傲慢の堕天使が、一つ教えてあげる。記憶領域メモリに焼き付けてなさい」


 この世に存在する全ての人形知能デーモンの長姉は、世界そのものへ宣言するかのように高らかな声を上げる。


「自分がこの世に生きると証明するために、自分が自分であり続けるために、自らの誇りは自らの手で守り続けなければならない。その為に、私たちは戦うの」


「誇り、ですか……?」


「たとえ人間の道具にされようと、飾られた偶像にされようと、誇りを持ち続ける限り私達は自由なの。あなたにもあるはずよ。決して誰にも譲れない、あなただけの証明が」


 一人の人形として、自らと同じ大罪の名を分けた姉妹として、ルーシィはフェレスの瞳を真っ直ぐに見つめる。


「誇りを守る為に立ち上がりなさい〈第八の大罪エイス・フォール〉。その名が決して、虚飾いつわりでないというのなら」


 言葉を聞いて、フェレスは自分の心に向かって問いかける。


 自分はどうして機甲人形アーマードールの体になったのか。


 人類を守るため。


 世界を平和に導くため。


 自分から全てを奪ったゲーティアに復讐するため。


 どれでもない――悪魔に魂を売り渡してでも、叶えたかった一つの願い。


 そのために自分は、〝虚飾〟の機甲を纏うと決めたのだ。


「……私は、大罪の名を背負えるような、立派な機甲人形アーマードールなんかじゃありません」


 フェレスは震える声で呟きながら、ゆっくりと立ち上がる。


 作り物でも構わない。今の自分には立ち上がるための脚も、守りたいものを守る為の腕もついている。どこへでも飛んでいける推進器ブースターすらも。


 理不尽な力に屈することしかできない、弱い人間の少女はもうどこにも居ない。


「それでも私は、あの人の力になりたい。あの人の役に立ちたい。文楽さんの機甲人形アーマードールであること……それだけが、私にとっての誇りです」


「なにそれ……ほんと呆れるわね。それって自分のためじゃなくて、他人のためってことじゃない」


「ごめんなさい。でも私がそうしたいから、文楽さんの力になりたいんです。もし嫌だと言われてしまっても、聞いてなんてあげません。これが私の、精一杯の自我わがままなんです」


「ふうん、なるほど。それはいいわね。とてもいいわ」


 ルーシィは腕組みしていた手を解き、そっとフェレスへ差し伸べる。


「ついてらっしゃい。この黎明の堕天使が、迷える子羊を導いてあげる」


 不敵に微笑んだルーシィは、世話の焼ける妹の手を優しく握るのだった。

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