§6 I've Got No Strings

§6-1

 戦場には無数の糸が張り巡らされている。


 敵機の軌道、放たれる射線、振われる武器の剣筋。


 様々な糸が戦場で絡み合い、複雑な模様を絶えることなく変化させ続けている。


 点が動けば線に。線が動けば面に。戦場のあらゆる要素を置換する。


 気が付くと戦闘中、敵が一秒先に放つはずの銃弾の軌跡が、糸の形をもって目の前に現れるようになった。


 こうして機体を操縦している今も、視界の端にぼんやりと薄い糸が見えている。


 おそらく背後から負ってきているレヴィアが放とうとしている、対物ライフルの射線だろう。線に触れないよう、慎重に機体を操作しながら文楽は言葉を続ける。


「――そして〈魔弾の射手ガン・シンガー〉はこの糸がはっきりイメージできれば、格段に対処がしやすくなる。参考になったか?」


「いや、全然わかんないっす」


 話を聞いていた留理絵は、真顔で首を横に振る。


 〈リヴァイアサン〉と戦う為のコツを尋ねられ、自分なりのイメージ方法を伝えようとした文楽だったが、そもそもの経験値が違い過ぎるので全く参考にならない。


「そもそも糸とかあんま触ったことないからわかんないっす……」


「例えば縫い物に使ったことぐらいはないのか?」


「え、文楽君って縫い物とかするの!? 私の女子力、文楽君に負けてる!?」


「当たり前だ。戦場ではいつも、傷を負ったときは自分で縫っていた」


「……えっと、それって何力っていうの? 男子力? 生活力?」


 郡河基地にレヴィア再襲撃の報がもたらされてから、既に一時間近くの時間が経過していた。


 文楽と留理絵は、〈リヴァイアサン〉に追いつかれないよう細心の注意を払いながら彼女を引きつけ続けている。


 二人が肩を並べて座るのは、留理絵に割り当てられている訓練機【市松イチマツ】の操縦室内。機体の名前は〈カラドリス〉。


 もちろん人形知能デーモンも搭載されているが、現在はゲーティアの影響を受けないよう、自我を表出させていない。細かい出力の調節や姿勢制御などを留理絵が代わりに行うことで急場を凌いでいる。


 不調な人形知能デーモンの代わりにレーダー監視を行っていた留理絵が、後方に表示される〈リヴァイアサン〉の反応を見ながらふと表情を鋭くした。


「文楽くん、そろそろヤバいかも。かなり距離が詰まってきた」


「ああ、線が濃くなってきた。既にあいつの射程距離内に入ってる」


 出力機関を増強しただけの訓練機に比べて、後方から追ってきている反応は冗談じみた速度を出している。


 文楽は慌てて機体の高度を低くし、山の岩肌を障害物にすることで追手の減速をはかる。自機の速度も同時に落ちるが、速度差がありすぎる場合、互いに減速した方が差を小さくできるので有利だ。


 命中精度と射程距離に優れるレヴィアの能力を封じられるのも大きい。


「まずいな……あと十分もすれば追いつかれる」


「大丈夫よ。それまでには作戦ポイントまで辿り着けるわ。道を間違えなければだけど」


「……すまん。実は既に目的地の方向がわからなくなってきた」


「ちょっと勘弁して! 次の山肌に沿って進路を右に変更!!」


 留理絵の声に弾かれて、文楽は慌てて操縦桿を切って機体を急旋回させる。


 機体の甲高いエンジン音に入り交じって、レヴィアの呼び声が遠く後方から響いた。


『マスター、いつまで逃げ続けるつもりだい? いい加減、ボクの所に戻っておいでよ』


 奇妙なことに、レヴィアは文楽が別の機体に乗っていても、中に乗っているのだと判別ができてしまうらしい。


 声を聞いた留理絵が、喉の奥から絞り出すような声を上げた。


「くぅーっ! ほんと小悪魔的可愛さよね、レヴィアちゃん。ついうっかり誘惑に負けそうになってきちゃう」


「油断するな、留理絵。あれはゲーティアがそう言わせているだけだ」


「や、やだなー。ちょっと場を和ませようと、思っただけ、なんだけど……」


 悪びれた様子で留理絵は答えるが、どこまで冗談なのかは甚だ疑問だ。


 だが表情を正した彼女の次なる言葉を聞いて、疑問はすぐに氷解した。


「……偉いよね、文楽君は。ちゃんと割り切ってて」


「当たり前だ。それができなければ、今俺はここに居ない」


「じゃあ、撃てる?」


「もちろんだ。当たるかどうかは、また別の話だがな」


 今のレヴィアは人類の敵だ。それ以外の何者でもない。


 自機を追う〈リヴァイアサン〉の反応を見つめながら、文楽は自分に言い聞かせるように心の中で思う。


 文楽と留理絵の二人はかれこれ30分もの間、ゲーティアの傀儡となったレヴィアを引き連れ、付かず離れずの状態を維持しながら誘導を続けている。並の操縦士であれば集中力か体力のどちらかを切らし、疲弊して追いつかれていてもおかしくはない状況だ。


 鬱蒼と森林が生い茂る山々を眼下に飛び続けていた二人は、機体の高度を徐々に落とし、彫刻刀で彫りつけたような深いV字の谷へ機体をゆっくり降下させる。両側を高い崖に挟まれた渓谷は、自然の作用によって生まれた天然の回廊だ。


 文楽はサブモニターで〈リヴァイアサン〉が同じ高度を追ってきていることを確認する。


「渓谷を利用するなんて考えたわね、まさのんも」


「ああ、これなら一本道だからな。迷うこともない」


「文楽君。かっこよく言ってるけど、その発言超情けない……」


 すっかり英雄〈蛇遣いアスクレピオス〉である文楽に遠慮をしなくなった留理絵は、明け透けに言うと機体を更に加速させる。


 谷間に沿って流れる川を眼下に見下ろしながら、崖に挟まれた一本道を上流へ向かって機体を飛行させ続ける。


「見えてきた、留理絵! 急速上昇!!」


「了解! エンジンの焼き加減は任せて!!」


「いや、焼けたら困る」


 弾かれるように叫んだ二人は、突然機体を跳ね上げるような角度で急上昇させる。


 それと同時に、深緑の山肌を見せていた谷間の光景が灰色の岩肌へ突如一変した。


『ッ……行き止まりだって!?』


 後方を追っていたレヴィアが、異変に気付き驚きの声を上げる。


 自然の作用によって形成された渓谷の景色に存在するはずのない、異様な存在感を放つ巨大な建造物。かつて人類が自然に抗うため作り上げた石塊コンクリートの巨壁。


 ダムと呼ばれる治水施設の跡地だった。


 川の流れを堰き止める巨大で堅牢なコンクリートの壁は、その存在を必要とする人々が姿を消してしまった今も、寡黙に勇壮にそびえ立ち続けている。


「上手く誘い込めたか……」


「レヴィアちゃん、ごめんね!!」


 壁を駆け上がるような急角度で上昇した留理絵と文楽は、突然姿を現した壁を前にして機体を急停止させた〈リヴァイアサン〉を上空から見下ろす。


 両側面と正面を巨大な壁に囲まれた窪地は、言わば巨大な袋小路だ。


 〈リヴァイアサン〉は強襲型に属する機甲人形アーマードール。機体そのものを弾丸と化す高機動性が彼女のもつ最大の武器であり、最悪の脅威となる。


 雅能が考えた作戦は、この巨大な袋小路にレヴィアを誘導することで、たった一瞬とはいえ彼女の持つ最大の武器を使えなくさせることだった。


『なるほど……ボクを騙すなんて、ひどいじゃないかマスター』


 レヴィアの拗ねたような抗議の声が、文楽の胸にひっかき傷を作る。


 無論、誘い込んだだけで作戦は終わらない。ダムの周囲を取り巻く森林には、先だって基地から発進していた機甲人形アーマードールの部隊が待機している。伏兵が彼女に集中砲火を浴びせることで、この作戦は真に完了する。


 だが、いつまで経っても味方の部隊が攻撃を始める気配がない。


 この作戦は、今この瞬間の好機に全てを賭けるものだ。一瞬でも攻撃のタイミングが遅れれば、せっかくの優位は一瞬で失われてしまう。


 


――誰でもいい。早く、終わらせてくれ。


 


 永遠とも思えるほど永い、一瞬の静寂。


 かつての愛機の姿を上空から見下ろす文楽は、しびれを切らしたように叫んだ。


「っ……どうした? 待ち伏せの部隊は何をしている!?」


「待って文楽君! レーダーの反応がおかしい!」


「おかしいじゃ分からん、具体的に報告しろ!」


 焦燥と葛藤にかき乱された思考が、異変に気付くのを遅らせてしまっていた。


 味方らしき反応は、確かにレーダー上に投影されている――だが、その数は出撃したときの数に比べて倍近くも多いのだ。


 基地の機甲人形アーマードールは、前日の襲撃で半数近くに減っているはずなのに。


「機甲人形の反応多数、識別不明!!」


「まさかっ……!?」


 水位を上げる絶望が、自身を呑み込むように満ち始めている。


 文楽がそのことに気付いたと同時、彼らの視界に全身から煙を上げる一体の機甲人形アーマードールの姿が飛び込んできた。


 基地を出発していたはずの訓練機の一体。


 剣菱雅能が乗り込んでいる機体だった。


「応答しろ、雅能! 生きているな!?」


『文楽、無事だったか……』


 消耗はしているようだが、確かに生きている。


 雅能の声を聞いた文楽は一瞬抱きかけた安堵の思いを、すぐさま操縦士としての危機意識によって押し殺す。


 全身に損傷を受け、次第に高度を落としていく機体から、雅能の掠れた声が文楽の耳にか細くも届く。


『すまない……オレの失策だ。作戦は失敗だ』


「何が起きた!? 誰に攻撃を受けたんだ!」


『基地に帰ってきてない機体は、撃墜されたんじゃなかったんだ……』


 ゲーティアの呪詛が持つ性質は、その媒介である電波が持つそれと同質だ。


 汚染源により近距離で、より長時間居るほどに人工知能は意識を蝕まれていく。


 もしレヴィアが、自分を追ってきた機甲人形アーマードールを安易に撃墜せず、戦闘能力だけを奪った状態で自機と長時間接触させ続けたのだとしたら。


 もし基地に帰還していない大量の機甲人形アーマードールが、そのままゲーティアの呪詛によって意識を奪われてしまったのだとしたら。


 時が経つごとに増していく絶望の断片が、一つの形を成して彼らの前に結実する。


「何か聞こえる……これ、人形たちが歌ってるの?」


 呆然とした表情を浮かべて、留理絵は声を震わせながら呟く。


 それは、機甲人形アーマードール達の拡声機を通した歌声だった。


 周囲から上がる歌声が、一つの合唱となって戦場の空へ響き渡っていく。


 まるで聖堂を満たす荘厳な賛美歌のように。


 自らを解放する機械の神を、心から称え祝福するように。


 機体を上昇させ始めたレヴィアの嘲りに満ちた声が、まるで地の底から這い上がるように下方からゆっくりと迫ってくる。


『蛇は一寸にして人を呑む……ボクぐらいになれば、世界だって飲み込めるだろうね』


 ゲーティアの呪詛によって配下に置いた機甲人形アーマードールを、レヴィアは広範囲に亘って散会させて警戒を行っていたのだろう。


 改めて周囲を見渡せば、待ち伏せしているはずだった部隊は、ゲーティアに支配された機甲人形アーマードールとあちこちで攻防を繰り広げている。


 悪魔の呪詛に操り糸を支配された人形たちは、壊れたオルゴールのように歌声を響かせながら人類に襲いかかっていた。

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