§4 REINCARNATION

§4-1

――いつになれば忘れられるのだろう。


 


 戦いに明け暮れる日々の中、たった一度だけ触れた温もりのことを。


 手に入れたいと願って、なのにこの手からこぼれ落ちてしまった小さな花のことを。


 それはまだ、文楽が名も無き少年兵として、戦場に居た頃のことだ。


 ある前線基地に駐屯していた少年は、哨戒任務から帰還する途中、ゲーティアに襲われている集落を目撃した。


 日本の各地にはゲーティアの被害を免れた、郊外の過疎地と呼ばれていた場所が数多く点在している。人々は残された木造家屋や自動化されてない農業施設を利用して、昔ながらの自給自足の生活で生き長らえていた。


 襲撃を受けているのは、そうした抵抗能力を持たない人々が穏やかに暮らす場所だった。


『民間人は二の次だよ、マスター。一刻も早く基地に戻って、敵の接近をしらせないと』


 相棒である人形知能デーモンの提案は、残酷だが最善だと少年には理解できていた。


「だが、俺達で片付けてしまえば、報告の必要はなくなるんじゃないか」


『ボクには理解できないな、君のそういうところ』


 理解していながら、少年は機甲兵器の大群にたった一機で挑みかかった。


 彼はまだ幼く、無謀で、自分が何でもできると疑わなかった。事実、それだけの力量もあった。


 圧倒的な戦力差を前にしながら、少年は燃料と残弾を余さず使い果たしたものの、集落を守り抜くことに成功してしまった。


『もう、指一本動かす燃料もないよ』


「仕方ない。近くに開けた平原が見える。あそこに着陸して迎えを待とう」


 少年が機体を下ろした場所は巨大な植物園の跡地だ。


 管理する人間が居なくなった今も草木が自然のままに咲き続け広大な花畑と化している。


 モニターをふと見ると、腕の中に何かを抱いた少女が〈リヴァイアサン〉に向かって駆けてよってくるのが見える。


『マスター。民間人が近づいてきたけど、どうする?』


「何か緊急の報告かも知れない。話を聞いてみる」


 少年は即座に機体を降りると、その少女に正面から向かい合った。


 集落に住んでいる民間人なのだろう。少女は恥ずかしそうに頬を赤らめながら、大切そうに抱いていた何かを、そっと少年へ向かって差し出す。


 それは白い小さな花を集めた、可愛らしい手製の花束だった。


「これは、どういう意図だ……?」


 少女は恥ずかしがっているのか、声を上げずただ黙って花束を差し出し続ける。


 見かねたレヴィアが、呆れた口調で彼に疑問の答えを返した。


『マスター。彼女は君に、感謝の意を表わしたいんだよ』


「そうなのか……俺は、どうすればいい」


『受け取ってあげれば? ボクは不本意だけど』


 その花束が〝贈り物〟なのだと気が付いた少年は、小さな花を恐る恐る両手で包み込む。


 受け取る瞬間、少女のか細い手が自分の手に触れてしまった。


 驚いた二人が、同時に「あっ」と微かな息を漏らす。


 触れた少女の手は、あまりにも温かく、柔らかかった。


 今まで触れたことのない感触が胸に宿る。


 少年が花束を受け取ると、顔を赤らめた少女はにこりと嬉しそうに微笑む。


 


 初めて自分が、人間になれた気がした。


 


 人として生きた記憶も持たず、ただ戦いに明け暮れる日々の中で生きてきた人形遣いパペット・マスターの少年にとって、その花束はいかなる栄誉にも勝る自分だけの勲章だった。


 貰った花束を部隊の人間に見せると、彼らは楽しそうに少年のことを冷やかし、〈リヴァイアサン〉の操縦席にその花を飾ってくれた。


 レヴィアは嫌がるような言葉を口にしてはいたものの、どこか嬉しそうだった。


 


 それから、一ヶ月あまりすぎた頃。


 操縦席の花束もすっかりしおれて色あせてしまっていた。


 だから少年は、再び少女と会った集落を訪れた。


 あのとき微笑みかけてくれた少女に、また会えるだろうか。


 もしそれが叶うなら、枯れてしまった花の代わりに、もう一度新しい花束を手渡してくれるだろうか。


 淡い期待を胸に集落へ辿り着いた少年が目にしたのは、廃墟となった集落の姿だった。


 誰一人生きている人間は見いだせない。住居の崩れた跡と、焼け焦げた死体。そして、草木の燃え滓が辺り一面に広がっている。


 ゲーティアの襲撃を受けたのだと、少年は他人事のように理解する。


 あの日花束をくれた少女も、一面に咲いていた花畑も――その光景のどこにも、見つけることはできない。この世界のどこを探そうとも、見つかりはしない。


『マスター、悲しむことはないよ』


 廃墟の中で呆然と立ち尽くす少年に、レヴィアは諭すように言葉を続ける。


『悲しむことなんかじゃないんだ。これは、この世界のどこでも目にする、ありふれた光景なんだから』


 涙は出なかった。


 声を上げることもなかった。


 焼け焦げた土を手で掬いながら、少年は応える。


「レヴィア。俺は、泣いてはいない」


 土を掬って小さな穴を掘り、萎れてしまった花束をそっと埋める。


 まるで、枯れた花の墓標を作るように。


 あの日触れた温かな感触を、そこに置いていこうとするように。


「……泣き方なんて、俺は最初から知らないんだ」


 〈蛇遣いアスクレピオス〉という英雄は、きっとその時に生まれた。


 ゲーティアを根絶するために作られた、機甲人形アーマードールという強大無比な戦闘機戒。


 その存在を完全無欠の兵器として完成させるために組み込まれた最後の部品。


 人形デーモンと同じ存在になることを、少年は自分の胸に誓った。


 笑うことも怒ることも悲しむことも――全ての感情を人工知能に任せ、己を機甲人形アーマードールの部品として研ぎ澄ます。そうすることで、機甲人形アーマードールの四肢は自らの手足よりも自在に動かせるようになった。


 だから自分にはもう、感情なんてものは存在しないのだと、思い込んでいた。


 レヴィアをという半身を失う、あの日までは――


***********************************


「――また、あのときの夢か」


 文楽は陰鬱な呟きと共に、目を覚ます。


 廃墟と化した集落。


 どこまでも無情に広がる焼け野原と、むせ返りそうな炎の匂い。


 そして炎の中で燃え尽き崩れていく、顔も思い出せない少女の姿。


 死せる英雄が見る夢は、いつも同じ光景で締めくくられる。


「おはようございます、文楽さん。どうされました? 顔色が優れないようですが」


「戦場に居た頃の夢を見ていた……何度も、同じ光景ばかりだ」


「もうっ。夢に見るほど戦場が恋しいんですか、文楽さんは」


 フェレスは呆れたような表情で言いながら部屋の中にクッションを並べている。


 今日は日曜日、学校に行く必要は無い日だ。


 文楽は体に纏わり付く気怠さを振り切るように、軽く頭を振るいながら起き上がる。


「……さっきから一体、何を並べているんだ?」


「これですか? 昨日、町へ出てお店で買っておいたんです」


「なんだか知らない間に、色々と物が増えているな……」


 文楽は呆れ顔で、いつの間にか賑やかになっている部屋の様相を見回す。


 軍務で稼いだ給金は隊長が手を回してくれたおかげで手元に残っていた。だが、訓練生は軍の配給だけで充分生活できるので、財布の管理は全てフェレスに任せている。


 おかげで日々の食事は充実しているが、余計なものまで充実してしまっているようだ。


 窓際に小さな花の鉢植えを並べるフェレスに、文楽は険しい表情を浮かべる。


「……その花はどうした?」


「綺麗な花ですよね。えっと、名前は確か――」


「別に興味はない……花は、*嫌い*だ」


「えっ。そうだったんですか?」


 辛辣な文楽の言葉に、フェレスは今にも泣き出してしまいそうなほど項垂れてしまう。


 せっかく並べ終わった鉢植えを元に戻すべきかと思案しながら、ふと問いを返す。


「好きではない、というわけではないんですか?」


 文楽の言葉に、何か引っかかりを覚えたのだろう。フェレスは恐る恐る問いかける。


「花が嫌いだったら、何かおかしいのか?」


「文楽さんはこういうとき、いつも『好きではない』と言います。『嫌い』という言葉を聞いたのは初めてです」


「……そうか。俺にも、嫌いなものがあったんだな」


 虚ろな目で鉢植えの花を見つめながら、文楽は苦々しい口調で答えた。


「確かに俺は、花が嫌いだ。たとえ今この瞬間、綺麗に咲いていたとしても、いつかはやがて枯れてしまう。そのことに……ひどく、苛立つんだ」


 文楽の虚ろな目に、咲き誇る花の美しさは映り込んでいない。


 彼の瞳に映し出されているのは、枯れて萎れた白い花の姿だけ。


「そうだったんですね――」


 言葉を聞いたフェレスは、鉢植えの花を愛おしそうにそっと撫でながら言葉を零す。


「――あなたは枯れてしまうことに、怯えていたんですね」


「俺が、怯えている?」


「いえ……今のはその、忘れて下さい。花はあとで宿舎の裏庭に埋め直しておきます」


 まるで自分で発した言葉に驚くかのように、フェレスは戸惑った様子で答えながら並べた鉢植えを窓際から取り除いていく。


 そんな彼女の動作を見つめながら、文楽はふと思い出したように口を開いた。


「お前は、花には詳しいのか」


「えっと。少しなら分かると思います」


「白くて小さい、このぐらいの大きさの花なんだが……どんな名前か、知っているか?」


「ええと……それだけでは、ちょっと解らないです」


「そうか……変なことを聞いたな。忘れてくれ」


 ふとした拍子に、残された心の一欠片が、自身に向かって問いかけてくる。


 あの白い花は、一体何という名前だったのだろうか――と。


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