§3-6

 留理絵るりえの部屋を後にして、フェレスは文楽と一緒に彼の私室へと戻ってきていた。


 そしてなぜか、大量に積み上げられた洋服の山を一枚一枚広げてはたたみ直す作業を繰り返している。


 洋服はどれも明るい色をした、女の子向けの可愛らしいものばかり。


 帰り際、留理絵からお古でよければ是非着てほしいと譲られた洋服の数々だった。


「こんなにたくさんいただけません!」


「いいの! 私が着てほしいの! それで写真撮らせてくれれば私は満足だから!!」


 という熾烈しれつな攻防を十分近く繰り広げたのだが、最後にはフェレスの方が折れる結果となった。


「たまにはいつもと違った可愛い服着てるところ、文楽ぶんらく君に見て欲しいでしょ?」


 という、留理絵の耳打ちが最後の決め手となった。


 もっとも、果たしてどちらが真の勝者だったかは謎だ。


 物資が不足しているこの時代、ただの服であってもこれだけの量と種類は貴重なものといえる。フェレスは楽しそうに、服の色やデザインを一枚一枚確かめている。


 半分も目を通し終えたところで、浮かれたフェレスはふと文楽に向かって問いかけた。


「あの。文楽さんは、どんな見た目の方が好みですか?」


「何の話だ?」


「あっ……!? えっと、その。お互いのことをより深く知るべきだと思いまして」


 口にしてしまった後で、なんてことを聞いてしまったのだろうとフェレスは思わず顔を赤くする。いかにも『あなた好みの服を着たいです』と宣言してしまったようなものだ。


 だが、一際そういった色事に鈍い文楽は、フェレスの内心になど全く気づく様子がない。


「俺は勉強で忙しいんだが……せっかくだし話に付き合うことにしよう。いや、本来なら勉強をしなければいけないんだがな、仕方が無い」


 机に向かって教科書を開いていた文楽は、どこか溌剌はつらつとした声で問いに答える。


 どうやらちょうど、勉強が進まず煮詰まっていたところだったようだ。


「そうだな……やはり余計な装飾の無い、足回りが軽いものがいい」


「なるほど、動きやすいものですか……」


 つまりスカートよりパンツルックの方が好みということだろう。


 文楽の答えを聞いたフェレスは残念そうな表情を浮かべて、服の山からスカート類を隅の方へと追いやる。


「え、えっと……他にご要望はありますか? 例えば色とか」


「そうだな。紺とか黒とか、目立たない色が望ましい」


「し、渋いご趣味なんですね……」


 フェレスはレースのついたピンク色のブラウスを目線の高さに持ち上げる。


 せっかくならこういう服も着てみたかったが、好みでないと言われてしまった以上は控えるしかない。哀しそうな表情で、他の明るい色の服と共に視界の外へ追いやる。


 気が付けば地味で可愛げのない服ばかりが手元に残されてしまっていた。


 このままではまずい。


 フェレスは胸元が大きく開いたチュニックを見つめながら、意を決して尋ねる。


「あ、あの。外見と言えば外見の話なんですけど、こう……ボリューム感といいますか、肉付きといいましょうか。その、大きさについてはどう思われますか?」


「肉付き? 薄くて軽い方がいいに決まっている」


「え、えええっ!?」


「どうした、変な声を出して」


 フェレスはかたかたと小刻みに震えながら目線を下げ、自分の胸元を見つめる。


 自分の数少ない武器すら通用しないだなんて。


「あの、おかしいです! 普通、大きければ大きいほどいいんじゃないですか!?」


「甘いぞ、フェレス。それは素人の考え方に過ぎない」


「素人とか玄人とかあるんですか!?」


「俺も一応、大抵の人間よりは理解している。あまり大きすぎても手に余るだけだ。小さくてコンパクトな方が、手に収まるし扱いやすい」


「手に収まる……収まる……」


 軽く目眩めまいを覚えながら、フェレスは力なく項垂うなだれる。


 〝扱う〟って一体どんな意味なのか。想像するだけで頭がくらくらしてくる。


「ほ、他には何か、気になる点はありますか!? そ、その……性格とか!」


 引くに引けなくなったフェレスは、遂に当初の目的とは何の関係も無い質問を始める。


 文楽も文楽で、勉強する気が起きないのかなぜか真面目に取り合ってしまう。


「内面についてか。やはり多少反抗的でも、言うべきことを言ってくれる方がいい。それと、こちらが一を言うだけで十を理解してくれるとやはり助かるな」


「反発的で、察しが良い人ですか……」


 フェレスは自分で口にしてみて、心にずきりとした痛みを感じる。


――まるで自分とは正反対だ。


 胸に段々と、深く暗い穴が広がって、心を少しずつむしばんでいく。


「あの、それってやっぱり――」


 それが決定的な一言だと、分かっていた。


 それでも思い浮かんでしまった言葉を、フェレスは口にせずには居られなかった。


「――レヴィアさんがそうだったから、ですか?」


 掘り進めてしまった墓穴を、とうとう反対側に抜けるまで掘り進めてしまった。


 文楽は投げかけられた質問に、何のためらいもなく淡々と答える。


「ああ。確かにこれは俺の嗜好しこうというより、レヴィアがそうだったから、俺もそれに慣れてしまっただけかも知れないな」


「……そう、ですか」


 瞳の表面に、じわりと熱い感触が広がっていくのを感じる。


 こうなるとわかっていて、どうして聞いてしまったのだろう。


 自分は決して、彼の中で生き続ける永遠の存在に勝てることはないのだ。


 フェレスは零れ落ちてしまいそうになる涙を必死にこらえる。せっかくもらった洋服を、濡らしてしまわないようにと。


 しかし、そんなフェレスの葛藤かっとうになど気づきもしない文楽は、なぜかムキになった様子で語り始めた。


「だが、俺だって何もかもレヴィアの好みに合わせていたというわけではない」


「えっ……?」


「例えば搭載武装に関してだが、優秀なのはなんといっても吸着地雷だ。敵機に肉薄し、装甲の薄い場所を狙って直接貼り付ける。対機甲兵器戦でもっとも有効な戦法だ。だが、レヴィアは連射能力のある重火器を好んでいて――」


「ちょ、ちょっと待って下さい文楽さん!」


 フェレスは弾かれたように大声を上げる。


「あ、あの。一体、何の話をされてるんですか?」


「お前が聞いてきたんじゃないか。人形ドールの装甲はどんな色や厚さが好みなのかと」


「は、はい?」


「レヴィアに比べるとお前の機体からだは重装甲で、音速を超えると扱いが難しくなるんだ。今度、授業が無い日に一度全体のバランスを……おい。聞いているのか?」


「そういう意味だったんですか……」


 全身の力が抜けてしまったフェレスは、しおしおと小さくなって床にへたり込む。


 自分の不安など、所詮しょせんは下らないものに過ぎなかった。誰が何と言おうと、何があろうと、愛生文楽は結局こういう人間でしかないのだ。


 戦う以外のことが頭に無くて、自分のことを機甲人形アーマードールとしか扱ってくれなくて、年相応な子供らしさを押し殺し生きてきた――そんな〝私だけの英雄〟。


 だがほっとした表情で再び洋服をたたみ始めたとき、文楽は突然冷淡な一言をフェレスへ突きつけた。


「だが、何から何まで俺の好みだけに合わせる必要は無い。別に、ずっと俺だけがお前に乗り続けるわけではないんだからな」


「えっ……そんなっ!!」


 フェレスは悲鳴みたいな声を上げると、立ち上がって文楽の正面に詰め寄る。


 訓練学校を出た後まで同じ機体に乗り続ける必要は無い。それを選ぶのは操縦士である文楽次第だ。ゼペットからは、確かにそう聞かされていた。


「軍に入り直した後も、お前に乗り続けるとまだ決めたわけではない。ひとまずは、訓練生の間だけの関係に過ぎない。そういう話のはずだ」


「そんなの……そんなの、ひどいです」


 だが、文楽の言葉はただ冷たく、フェレスを突き放すようなものだった。


「私が文楽さんに相応しくない、だめな人形だからですか?」


「……お喋りが過ぎたな。話はここまでだ。宿題を終わらせないといけない」


 文楽は言うだけ言うと、再び机の方に向き直り教科書へ視線を落とし始める。


 必死に抗議の言葉を返していたフェレスは、そんな文楽の表情の変化に気づき、はたと冷静さを取り戻す。


 彼の言葉の裏にあったのは、嫌悪でも諦念でもない。


 


――あなたは、何に怯えているんですか?


 


 その瞳に宿っていたのは、まるで幼い子供のように傷つくことを恐れる不安の色。


 人類のために悲惨な戦場で傷つきながら戦い続けてきた英雄――そんな彼がふとした拍子に見せる無垢な少年の表情を、人形の少女はただ黙って見つめ続けることしかできないでいた。

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