§2-2

 ココココンとリズミカルに扉を叩く音で、少年は深い眠りから意識を取り戻した。


「……騒がしい」


「よお、ピオ助! 元気してたか!」


 医療用のカプセル型ベッドの中で上体を起こした少年は、陽気な表情で病室に入ってきた男を不機嫌な表情でじっと睨み付ける。答える前に入ってくるのなら、ノックをした意味は一体どこにあったのだろう。おそらく嫌がらせの意図しかあるまい


 金色の長髪に茶色がかった色素の薄い瞳。一目で白人だと分かる顔立ちに、心の底から楽しそうな笑みを貼り付けた青年。


 カール=マキャフリーという名前の米国人だが、短く縮めた愛称で親しい人間からは呼ばれている。


「……これが元気に見えるのか、カルマ隊長」


「手も足もついてて言葉も喋れてるんだ。表情に覇気が無いのはいつものことだしな」


 体中に包帯を巻き付けた少年は、憮然とした表情で呆れたような視線を向ける。


 少年に名前はない――ただ〈蛇遣いアスクレピオス〉という異名だけが、彼を表す言葉として存在するのみ。


 もっとも、同じ部隊の人間は「呼びづらいから」という理由で、〝ピオ助〟という愛称を勝手につけて呼んでいる。発案者は彼の目の前に居る隊長だった。


「ところで、その着衣の乱れはどうした。何かあったのか」


「いやあ。ついさっき知り合ったここの看護師と、ちょいと愛を確かめ合っててな」


「……相変わらず軽薄な男だな」


「言っておくがな、ピオ助。俺は愛情の安売りは積極的にしていく主義の人間だ!」


「既に知っているし、堂々と言われたところで軽蔑けいべつしかしない」


 カルマ隊長は元々、日本に駐屯していた在日米軍の一人だった。だが、ゲーティアによる汚染が広まったせいで帰国できなくなり、事実上日本に帰化して国防軍の操縦士として戦っている。


 本国が現在どうなっているか――世界中のあらゆる通信という通信が途絶えてしまった今、知る術は一つとして無い。


 少年はどこか不機嫌そうな表情のまま、一つの紙束を隊長へ見せつけた。


「まあいい。そんなことより、聞きたいことがある。これは一体どういうことだ」


「これって何の話だ、ピオ助?」


「新聞は知っているな」


Newspaperニュースペーパーだろ?」


「にゅ……な、なんだそれは?」


「今のは俺が悪かった。お前はそのままで続けてくれ」


 少年が取り出したのは、白黒で印刷された数枚の紙束だ。


 政府によって発行された戦果報告書、言ったところの広報新聞である。


 日付はおよそ三ヶ月ほど前。見出しには、大きな文字でこう書かれていた。


『偉大なる英雄〈蛇遣いアスクレピオス〉希望を遺し東海の空につ』


 その文面にしげしげと目を通してから、カルマ隊長は呑気な口調で問いかけた。


「これ、何かおかしな部分でもあったか?」


「この記事が事実としよう。どうやら、俺はもう死んでいる」


 〈蛇遣いアスクレピオス〉は東海地区解放作戦にて人類のために戦い、その愛機諸共もろともに散った。彼が手渡した新聞の紙面には、確かにそう書かれている。


 おまけに彼に助けられた兵士達による涙ながらのインタビューや、京都の国防軍本部で行われた国葬に数千人規模の軍人が参加した様子など、英雄の死を哀悼する人々の様子が何項にもわたって記されている。


 震える声で問いかけた英雄その人に、隊長はポンと手を叩いて陽気な声で応じた。


「そういや言い忘れてた。お前、世間的には死んだことになってたわ」


「軽く言うな! どういうことか説明しろ!!」


「どうって言われても、そこに書いてある通りだ。国葬だって大々的にやっちまったし、本部にはお前を称える記念碑が建てられてることになってんだぜ?」


「なんだその『むしろ死んでない方がおかしい』みたいな言い方は」


 少年はむすっとした表情になって文句を言い返す。


 一方の隊長は素知らぬ顔で、懐から細い葉巻を取り出しながら話を続けた。


「確かにお前の言う通り、英雄なんてのは基本的に死んでる人間の方が都合がいいからな。しかもお前は正式な手続きを踏んで操縦士になったわけじゃない、名前すらない身元不明の孤児上がりだ。生きてるお前に勲章やら階級やらを与えるより、死んだことにして全部無かったことにした方が面倒は無いってことだろうよ」


「理屈は分かる。だが、どうして俺の同意を取らなかった」


「だってお前、三ヶ月もずっと半死半生だったし」


「なるほど、焦れったいから死んだことにしたわけか。納得がいった」


「それで納得できるのはお前さんぐらいのもんだな」


 つまり英雄の死という状況は、情報の齟齬そごや誤解によるものではなく、国防軍の組織ぐるみの陰謀として、本人の意思を無視して作り出されたというわけだ。


 笑い話のように軽い口調で事の真相を聞かされた少年は、深刻な表情を浮かべている。


「そんな……だったら俺は、もう戦場には戻れないのか?」


「おまっ、心配するところそこかよ!?」


 大声を上げた隊長は口にくわえていた葉巻を危うく吐き落としそうになってしまう。


 少年は冗談を言っているとは思えない、真剣そのものの表情だった。


 カルマ隊長は肺を丸ごと吐き出してしまいそうなほど大げさなため息をつく。


「あーあ、嫌だねえ。戦う以外に生きがいのない戦争中毒ワーカーホリックってのは」


 咥え直した葉巻に火を点けながら、隊長は呆れた様子で続ける。


「世の中、もっと面白いこといっぱいあるぜ? 葉っぱ吸うとか、美女の唇吸うとか」


「どちらも興味無い。それよりここは病室だ。煙草なら外で吸ったらどうだ」


「心配するなって。こいつは煙草じゃなくて、もっとハッピーな気分になれるやつだ」


「……そっちの中毒の方がよっぽど問題だ」


「このご時世、どいつもこいつも素面しらふじゃやってられねえのさ。お前みたいのと違ってな」


 部下に突っ込まれて、隊長は渋々といった表情で怪しげな葉巻を懐に戻す。


 久しぶりに同じ隊の人間に会えて多少は気分の晴れた少年だったが、予想外の衝撃的事実を耳にして一気に暗雲が立ちこめてくる。


「俺は……どうしたらいいんだ、隊長。死人のままでは、レヴィアの仇も討てない」


「おいおい、そんな青ざめた顔するなって。まるで死人みたいだぞ。まあ本当に死人にされてるんだけどな。ハッハッハ!!」


「こっちは笑い事じゃないんだが」


「まあ、世の中そこまで残酷ってわけじゃない。実はお前に、二つ渡すものプレゼントがあって来たんだ。ほら、こいつがその一つ目だ」


 隊長はポケットから一枚のカードを取り出すと、少年に向けて差し出す。


 表面には、少年の顔写真と一つの名前が記されていた。


「あいなま……? なんて読むんこれは」


愛生あおい文楽ぶんらく。今日からそいつがお前の名前だ」


 少年――改め文楽は、カードに書かれた自分の名前を見つめながら、怪訝けげんな表情を浮かべる。いきなり「これがお前の名前だ」と言われても、いまいち実感が湧いてこない。


「ぶんらく……変な名前だ」


「そう言うなって。隊の皆でお前のために考えてやったんだぜ? ちなみに愛生って名字は俺が考えた。〝愛に生きる〟と書いて愛生。カッコイイだろ」


「別にカッコよさは求めていない。それで、この〝文楽〟というのは?」


「文楽ってのは、日本に古くからある絡繰からくり人形を使った劇のことだ。〈人形遣いパペット・マスター〉と呼ばれるほどのお前には、ぴったりすぎる名前だな」


「隊長にそう言われても皮肉にしか聞こえない」


「お、俺のこと誉めてくれてんの? もっと敬ってくれてもかまわんぜ」


「できることなら俺も、もっとあんたのことを敬いたいんだが、不思議とそんな気になれない」


「ま、下手な敬語使われるより、今みたいに可愛げの無い方がイイ」


 隊長はにやりと笑みを浮かべて、文楽の頭をくしゃりと撫でる。


 文楽にとって隊長は「自分よりも優れた操縦技術を持つ」と認める、数少ない操縦士の一人だ。どれだけ人間性に問題があったとしても、その点だけは揺るぎがない。


 カードをじっと見つめる文楽は、ふと重大な事実に気が付いた。


「なあ、隊長……やはり、おかしいぞ」


「どうした? 写真写りが気に入らなかったか?」


「いや。このカード、〝学生証〟と書いてあるように見えるんだが……」


 文楽は顔を青ざめさせながら、恐る恐るといった様子で問いかける。


 問いかけられたカルマ隊長は、顔をにやけさせながら勿体もったいぶった調子で答えた。


「それが渡すものの二つ目だ、ピオ――じゃなかった、愛生文楽。お前には三ヶ月後から、北部にある訓練学校に操縦士の訓練生として入学してもらう」


「く、訓練学校だと!?」


 声を荒らげる文楽に、隊長は厳粛ぶった顔つきで大仰に頷く。


「新たに作った戸籍で訓練学校を卒業し、正式な操縦士として軍に入り直す。これがお前が戦場に戻る唯一の方法ってわけだ。ま、諦めて受け入れてくれ」


「そ、そんな……悪夢だ……そうに決まっている」


「おっと、お前の正体が〈蛇遣いアスクレピオス〉だってことは絶対バレないように気を付けろよ。お前の生存は極秘事項だからな。下手したら本物の死人に……って聞こえてねえか」


 文楽は頭を抱えて、呪詛のような呻きを漏らす。


 確かに彼は十六歳と、年齢の上でなら訓練生として教育を受けるのに適切な年齢だ。


 だが三年もの間、南部の最前線で戦ってきた自分が、教本に従って訓練機の操縦を習うことになるだなんて。想像するだけで頭がおかしくなりそうだ。


「くそっ、銃だ! 銃をよこせ!! 軍の連中が望む通り死んでやる!!」


 へらへらと笑いながら、隊長は楽しそうに言葉を返す。


「そう荒れるなって。お前が学ぶべきなのは、なにも操縦方法だけってわけじゃない」


「……操縦士が他に、何を学ぶというんだ?」


「それが何かは、甘酸っぱい青春の空気ってやつを胸一杯に吸い込んで、自分自身で思い知ることだな。ひゃっひゃっひゃ!」


「気色の悪い笑いをやめろ!」


 愛生文楽は枕を手に取ると、腹の立つ笑顔に向けて、抑えきれない苛立ちと共に力一杯ぶつけるのだった。

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