第3話【ふたつの心の花】

 「おいっ!始業のチャイムが聞こえなかったのか?」

僕の背後から図太い声が聞こえた。

 慌てて振り返ると、二年の学年主任が仁王立ちをしていた。僕は慌てて自分の教室へと急いだ。誠也に文句を言うつもりが、すっかりペースが崩れてしまった。


 授業中も僕は舞花の事を考えていた。今までは入口の右半身だけの存在だった舞花が、今は全身をさらけ出し、更にまるで昔から知っているかのように人懐こく話し掛け、自ら名前を明かしたのだ。

 バンドの練習中は空気みたいな存在だった舞花が、今はっきりと僕の中に一輪の花の種が飛んで来たかのように根を付けようとしている。


 僕は今まで誰とも付き合った事がなかった。付き合ってくれと言いに来た子はいたが、もともと恋愛に興味がなかったからだ。バンドが最盛期の頃には年上のファンが何でも希望を叶えてくれた。付き合うと言うのはそう言う事でいいと思っていた。だから同世代との恋愛など考えた事もなかったのだ。

ギターと、願いを叶えてくれるファンがいればそれで満足だと思っていた。その考えが間違いだと今日初めて気付いたのだ。


 ボーッと過ごした一日が終わり、放課後になった。

僕はいつも通りにスタジオに行き、ギターの練習を始めた。時々ドアを見ては、

『舞花は来ないのかなぁ?』

などと考えてしまっていた。しばらくすると誠也がやって来た。

「遅かったじゃないか!」

僕は今朝、誠也に言いたかった文句を思い出した。

「ホムペ、どういう事だよ!僕、聞いてないぞ!」

僕の質問に誠也は、

「2人でやっても前ほど盛り上がらなかっただろ?わざわざ聴きに来るファンも激減だったし。少し2人でも聴く側のハートを掴めるような曲を考えなくちゃ、このままじゃおしまいだよ。」

と言った。

「そうかもしれないけど、何で1人で勝手に決めるんだよ!僕は無能なのか?」

僕が言うと、誠也は

「いや・・・そんなことはない。でも2人で考えてから更新してたんじゃ、俺の決心が鈍ると思ってな。黙って更新したのは悪かったと思ってるけど、結果的には俺たちも少し時間が取れる分、いいものが作れるんじゃないか?」

と言って来た。僕は

『確かにそうかもしれない』

と思い、朝の激怒はもうどこにもなくなっていた。

「分かった。んで、今後はどうするんだ?練習は今まで通りここで続けるのか?曲を新しくするならそれぞれの家で書いた方がいいのか?」

僕は気持ちを切り替えて尋ねた。誠也はしばらく黙っていたが、やがて

「俺・・・ここでやりたいんだ。」

と言った。そして、

「俺、なんか分からないけど無性に【ドア枠の美少女】が気になるんだ。」

と言いながらドアの方に目をやり、話を続けた。

「惚れたとか・・・そう言うのかどうかも分からないんだけど、あの子と話がしてみたいって。もしかしたら、辞めて行った3人の中にあの子のお目当てがいたかもしれない。けど、もしかしたらまだ残ってる俺かタケルかどっちかがお目当てかもしれないだろ?・・・」

そう言いながら今度は僕の方を見ながら続けた。

「なんか俺、おかしいよな?自分でもなんか変だって思うんだけど、何か無性にあの子に近付きたいって思ってるんだ。やりたいとかそう言う気持ちじゃなくて・・・なんて言っていいか分からない気持ちなんだ。」

と誠也は意味もなくスタジオ内を行ったり来たりした。言葉を探しながら話している様子に僕はドキッとした。誠也は舞花のことが好きなんだと確信したからだ。

『誠也は舞花が同じ学校にいる同級生だって知らないんだ!しかも名前も・・・』

そう思うと、何故か自分の方が優位に立ってる気がして悪い気はしなかった。今までいつでも誠也の下・・・と言う立場だっただけに、今は自分が誠也の上に感じてむしろ気分が良くなった。僕は、

「それって惚れたんじゃね?」

と誠也の気持ちを確かめるために聞いてみた。

「それが・・・自分でも分かんないんだ。」

誠也はいつになく弱気な発言だった。いつもクールで、相手を見下して、自信たっぷりな誠也が弱々しく見えた。僕はさらに優越感に浸った。多分、誠也と出会ってから初めての感情だ。誠也はいつだって自分より先に何でも知っていた。それが今は、僕しか知らない情報があるのだ。ガキみたいだが、こんなことでも今は嬉しくて自然に口角が上がっていくのが分かった。

『僕、性格悪いな・・・』

と思いながらもこの感情は抑えられなかった。

 しばらく沈黙が続いた。僕はギターを抱えたままの姿勢で動かなかった。誠也は椅子に腰を下ろしカバンだけは床に置いた状態だった。


と、僕は不意に入り口付近に気配を感じた。ちょうど誠也は入口に背を向けている。僕は誠也に気付かれないようにゆっくりと目だけ入口に向けた。


舞花だ!


今朝、言っていた通り、やはり舞花は練習を見に来てくれた。2人が黙り込んでいる様子をそっと見ている舞花に僕は声を掛けようかどうか迷った。

誠也の上に立ちたい気持ちと、自分だけが【ドア枠の美少女】が舞花だと知っているアンフェアな立場が闘っていた。

 そして僕は思い切って、誠也に告げた。

「誠也。【ドア枠の美少女】だけど、僕たちと同じ高校にいたんだ。しかも同級生だ。」

舞花には聞こえない小さな声で告げるタケルを見た誠也は動揺を隠せないと言った顔をしていた。

「お前・・・何でそんなこと知ってるんだ?」

僕が小声だったからか、誠也も小声で聞いて来た。僕は、今朝の事をすべて話すことにした。手を握り続けた事以外は・・・。


 今朝の事を話し終わると、誠也は下を向いた。自分より僕が先に舞花と知り合った事に腹を立てたのか?この段階では誠也の行動が理解出来なかった。

 しばらく下を向いたままだったので心配になって覗き込んで見た。誠也の顔を見た僕は予想外の表情に驚いた。誠也は笑っていたのだ。それも不気味な笑いだった。

「何笑ってんだよ?!」

僕が聞くと、

「チャンスじゃねぇか。【ドア枠の美少女】と喋るチャンスが出来たってことだろ?俺、明日学校で探すわ!」

さっきまで気落ちしていたのと同一人物とは思えないほどの切り替えの早さだった。僕は何となく、入口にその【ドア枠の美少女】がいる事を言いたくないと思ってしまった。

が、誠也はいきなり立ち上がり嬉しさを表現したかったのか、クルクルとターンを始めてしまった。

当然、入口にも目が行く。


僕のたくらみは見事に失敗に終わった。


「あ・・・」


誠也は入口側を向いてターンを止めた。舞花と目が合っている様子だった。僕は、この状況でも何とか誠也より優位に立ちたいと思い、叫んだ。

「舞花!今日は、練習もないからそんな所にいなくていいよ。こっちに来いよ。」

僕は朝、あんなに何も言葉が浮かんで来なかったと言うのに、今は自然に・・・いや、自然ではないな。自分の方が優位だと思わせたくて不自然に言葉が飛び出して来た。

 誠也の肩が一瞬ピクッと動いた。舞花は、ゆっくりとスタジオの中に入って来た。そして、

「ホントに今日は練習しないの?残念・・・」

と言った。誠也はまだ固まったままだった。それを見た舞花は、

「今晩は!お喋りするのは初めてよね?私はずっとホムペでカキコしてるから初めてって感じがしないけど。あ、私、舞花。ホムペでのハンドルネームは<かすみ草>よ。・・・ん?誠也?どうしたの?」

舞花は誠也を覗き込みながら言った。それでも誠也は固まったままだった。


『朝の僕の衝撃と同じ状態だな』

と僕は思った。

固まったままの誠也を見ながら舞花は僕に、

「ねぇ。誠也はどうしちゃったの?」

と聞いて来た。僕は、

「さぁ?舞花と話がしたいって言ってた時に舞花が居たから心の準備が出来てないんじゃないかな?準備出来たら動き出すんじゃね?」

と言った。説明がおかしかったのか、舞花はまた朝のように透き通る声で笑い出した。この声を聞いているだけで心が癒されて行くのを僕は確かに感じていた。

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