第二章~ネビア・フォレスタ①~


 傾斜の低いなだらかな丘を登ると、まだ明け方なのにもかかわらず白い靄で覆われている森林の先に、石垣で囲まれた巨大な城が築かれているのが見えた。

 この場所には何度か足を運んだことはあるが、王が復活するまでは緑の森林に靄なんてかかっていなかったし、白い宝石の様に輝いていた城も石垣なんかで囲まれてはいなかった。

 まるで、わざと誰も寄せ着かせなくさせている様な、近寄り難い禍々しい雰囲気が漂っていた。


 「あそこに見えるのがリア城だよ」

 「なんていうか、いかにも悪者の住処っていう感じだね」


 僕の隣に立つティノは、眉間にしわを寄せて誰が見ても嫌そうだと分かる表情を顔に浮かべながら言った。

 ティノが不満なのも無理はないと思う。なんせアウェーである敵陣に少数の二人で歯向かっていくなんてどう思考を凝らしてもこちらが不利すぎる。可愛い子には旅をさせよと言う言葉を風の噂で耳にしたことがあるが、危険の限度に差がありすぎて、いくら何でも旅をさせすぎだと思う。

 それにティノは魔法も使える神様からの使者だとしても、あくまで一人の小さな少女だ。このか細い身体に傷跡が残ることがあったとしたら僕と母の誓いを裏切る事になってしまう。

 絶対にティノを守らなければ。ティノの横顔を見て、この言葉を僕の胸の奥で何回も繰り返した。

 

 「しかも、あの森お化けとか虫とか絶対いっぱいいるじゃん!」

 「あの森は霧の森林、『ネビア・フォレスタ』と呼ばれているんだ。国王が復活するまでは果物や木の実が沢山採れていたんだけど、今では霧に視界を奪われて遭難する人や生きて出られなくなった人が後を絶たないらしいよ」


 この噂が巷に出回ってから、余程の怖いもの知らずの人以外は誰も森林に近づかなくなった。よって市場や店に出回る果物や木の実の数が大幅に減少し、すでに何店舗かが赤字経営になって閉店に追い込まれていた。

 それだけではなく、その果物等から製造される多種の商品も売買ができなくなり、それらを取り扱っていた企業や会社なども倒産していった。

 結論から言うと、ネビア・フォレスタが悪循環を起こしてしまったせいで、地区の経済に多大な損害が与えられてしまったという事になる。


 「もしかしたら、このネビア・フォレスタもスピーリトの歪みのせいでおかしくなっているのかもしれないね」

 「という事は、国王を倒せば地区の経済を復興できる可能性があるという事?」


 ティノは澄ました顔で「あくまで推定だけどね」と言って僕の前を歩き始めた。


 「まあ、考えても無駄だし、私達二人ならなんとかなるよ! 行こう、アッズリ!」

 「うん! まずはネビア・フォレスタ突破だ!」


 僕とティノはこの先に立ちはだかる無数の試練のうちの第一の関門として、王がいる城へと繋がる道、ネビア・フォレスタを掻い潜るため、意気盛んな心持ちで緑色の大地を力強く踏み出した。


 


 「きゃぁぁぁぁぁ! 待って! 来ないで! アッズリ! 助けて!」

 「……何してるの」


 ネビア・フォレスタに入って間もなく、一段と霧が濃くなり視界が悪くなってきた頃、悲鳴を上げたティノが猫の様に全身を震わせて僕に飛びついてきた。


 「あれ! あれ!」


 ティノの低下した語彙力が指差す方を見てみると、木の枝にぶら下がった一匹のタランチュラが糸を吐いて蜘蛛の巣を作っているのが見えた。


 「これはタランチュラだね、何も僕達に危害を加えないから大丈夫だよ」


 ティノは虫類がすこぶるダメらしい。その後も毛虫や芋虫、ミミズなどを見て度々絶叫していた。

 僕が抱きつかれた回数が二十回を超え、日が時折差し込むような薄暗いネビア・フォレスタの半ばくらい進んだ辺りで、動き疲れて呼吸を乱したティノが言った。


 「なんか、人の気配がしない? 疲れてるから気のせいかもしれないけど」

 「待って、今見てみるよ」


 僕は左眼でフォルツァを発動し、青々とした木々の葉が擦れる音、風の流れなどの微かな変化に傾注した。

 

 「……いた。ティノ、六時の方角からこっちに向かってくるよ」


 蒼い視界に映った人の影は、僕達が今通ってきた黒松の林の中に身を潜めながら移動していた。僕達の方に近づいてくるという事は、もう既に此方の居場所が認知されているのだろう。

 しかも、人影の右手には鋭利な物が携わっている。陽の当たらない暗い森でうろつく武器を持った人影となれば、正体の選択肢は一つに限られる。


 「国王軍の兵士だね。多分、城に近づかせない為に警備にあたっているんじゃないかな。そうなると一人だけで警備している可能性は低いから、他に何人かいるはずだよ」

 「そっか、じゃあさ、特訓しようよ! フォルツァを使い慣らすために!」


 僕の左手を両手で持ち上げたティノが、霧がかって視界が悪くなった森林でも判別できるくらいに目を輝かせて言った。


 「確かに、この森を抜けたらすぐ城なんだよね。使い慣れる為の特訓をするとしたらこの森しかないのか」

 「しかも実戦形式だから本番を意識して対人戦ができるよ。まあ、本番と言っても今も本番みたいなものなんだけどね」

 「でも、また人の命を奪わなければいけないのかな。何か兵士達を止める別の方法みたいなものってないかな」

 「確信はないけどあるよ」


 ティノは右手に持っている竹箒を、幹の先を地面に垂直の方向に突き刺して、目線を落としたまま話を続けた。


 「方法は分からないけどね。アッズリ、フォルツァって何を意味するか知ってるかい?」

 「フォルツァの意味? うーん、わからないな」

 「『鎮静』だよ。決定的な証拠として、昔全世界を統一した若者は、最後の敵である元凶の一人の命以外、誰の命も奪っていないと言われているんだ。フォルツァを使ったのは間違いないけど、怒り狂った人々を敵だからと言って殺さず、鎮静させて統一したらしいよ」

 

 だとしたらどうやって怒りを鎮めたのか。僕は立ち止まったまま頭の中で思考を凝らそうとした。だが、その時背後から草を切り裂く飛び道具の様な音が聞こえた。


 「ティノ! 避けて!」


 僕はティノを抱きかかえて横の草むらに回避すると、元居た場所を突き抜けて「シュン!」と空を切り裂く一本のナイフが木の幹に突き刺さった。


 「おいィ、避けるんじゃねえよォ」


 林の中から聞こえた声は、ゾンビの様にふらふらとした足取りで姿を現し、ニヤニヤとした気色の悪い表情で腰に携えた刃を手に取って舌で舐める素振りを見せた。


 「アッズリ、命を奪いたくないのならその方法を考えながら戦うしかないね。でもこれだけは忘れないで。いくら君が心の広い優しい少年でも自分が死んだら意味ないからね」

 「わかってるよ。ティノは下がってて」


 僕はそう言ってフォルツァを発動し、左手から噴出された蒼い炎で大剣を形成した。

 

 (……命を奪わないで敵を鎮める)


 昨夜フォルツァについて少し頭を整理した時、確実に理解した法則がある。それは、自分の感情を信念に誓うことでフォルツアを発動し、その覚悟を達成する為のものに蒼い炎が姿を変えるという法則だ。

 だが、僕はこの法則に沿ってまだ試していないことがある。


 「よそ見してんじゃねぇよォ!」

 「おっと」


 僕は兵士の右手で振り抜かれた刃を大剣で受け止め、「ガチィン!」という剣同士が衝突し合った音から離れる様に両足で後方に飛び下がった。

 

 (僕のまだ試していない事、それは感情を変えることだ。この前は強くなりたい、力が欲しい云々によって大剣と壁が形成された。だが、今誓うべきことは……)


 僕は形成された蒼い大剣を材である煌めく蒼い炎へと還元し、心臓に近い左胸に燃える左手を構えて感情を誓った。


 --闇に包まれた人々を鎮める為の力が欲しい。


 信念に誓った時、左手から噴出していた蒼い炎が爆発的な白い光を放出し、周囲の霧を全て取り払うかの様にして暗然たる木々を照らした。

 暫く経って白光によって眩んでいた視界が元に戻り、次第に瞼が開けてくると、僕の蒼い瞳がこれまでに見たこともない一齣いっせきを映した。


 「……蒼い炎が、白くなっている!」


 僕の瞳に映ったのは、これまで左手を覆っていた蒼炎が淡い雪色の様な白炎と化して燃えている姿だった。

 掌から伝わる雪の炎は、僕の心の芯を優しく包み込む様な温かさを示唆し、激しく燃え盛る蒼炎とは違って心なしか柔らかく感じた。

 蒼炎が敵を燃やし尽くす剛の炎だとしたら、白炎は荒れてしまった人々を深い内懐で包み込む柔の炎と言ったところだろう。

 問題は、この白炎をどのように扱って兵士を止めるかだ。この方法がわからなければ、いつまで経っても先に進めないどころか、最悪の場合僕が殺されてしまうという結末に陥るだろう。


 「目眩ましは効かないぜェ!」

 「……白炎の壁!」


 僕は兵士が先程と同じ体制で振り下ろした刃を噴出した炎の壁で防御すると、白炎の壁は向かってくる闇を浄化するかの様に刃を包み込むと、兵士と一緒に遠方へ弾き飛ばした。

 

 「ぐぁぁぁ!」

 「ちょっと聞くけどさ、君達兵士は何のために戦っているんだい?」

 「はぁ、はぁ、国王様の為に決まっているだろォ! 俺はあのお方の為に命を燃やすと決めたんだァ!」


 僕にはこの兵士の信念がよくわからない。仮に僕達が命を懸けてでも忠誠を誓いたいと思うのは以前の国王のはず。奴隷制度を取り入れ、戦争を繰り返し、国の経済を衰退させ続けている現国王に誓う覚悟は一体その心のどこから来るものなのか。僕は全く理解ができない。

 私情は腹の内に据えておくことにして、兵士の刃が白炎の壁に触れた時、彼の心臓部辺りに白い灯の様なものが光り輝いたのが見えた。それに兵士の今の証言からして、何かの覚悟を持って行動しているという事が明らかになった。

 ここで兵士の覚悟と、鎮静を持つ僕の白炎が共鳴したという仮説を立てたとすると、僕の白炎は信念に誓った敵の感情を鎮静できる能力を持つ。つまり、敵を落ち着かせる事ができるという結論に至る。


 (……希望が見えた)


 心の中で呟いた僕は白炎を纏った左拳を固く握りしめ、木の幹に寄りかかって倒れている兵士を見据えて勢い良く地面を蹴った。

 兵士は取り乱した形相で、背中を木に寄りかけているのにもかかわらず後退りを試みようと、慌てふためく手足を動かし続けたが、僕が接近するに比例して蛇に睨まれた蛙の様に身体を縮こませて表情が悪化していった。


 「来るな! 来ないでくれェ!」

 「大丈夫だよ、君を悪夢の中から救ってあげるだけだから」


 僕は鎮静の念を込めた左拳を銃の様に解き放ち、兵士の厚い左胸板へと捻じ込んだ。


 「うわぁぁぁァァァ!」


 兵士が発した絶叫を覆い隠す様に、僕の左手から噴出された白炎が蒼い光を纏いながら、闇に飲まれた彼の身体を大きく包容した。


 「……これがフォルツァの第二の力」


 その光景は、邪悪な魔物達が暮らす常闇の暗森にひっそりと現れた一つの美しい氷輪を思い上がらせた。

 僕が釈然としない気持ちで余韻に浸っていると、氷輪に包まれていた兵士が、輝きを増して漏れる白光と共に蒼白の殻から解き放たれた。


 「アッズリ、鎮静は上手くいったのかい?」

 「いいや、まだわからない。この兵士が目を覚ました時、僕達を襲ってきたら失敗だよ。そうなった場合、僕はこの人を斬るよ」


 ティノは知らない人を初めて見た子犬の様に警戒心を強める態度を見せながら近づき、僕の背中側に回った。

 僕は旅立つ時腹を括って誓ったんだ。生きて帰ると。約束したんだ、強くなると。

 こんな事で迷っていたら天国にいるリッキーや、家で僕等の帰りを待ってくれている母さんに心配をかけてしまう。


 「アッズリ、変わったね。凄く強くなったと思うよ」

 「……そうかな」


 僕とティノが話していると、木にもたれ掛かっている兵士が意識を取り戻したらしく、「……うぅ」と頭に手を当てて身体を起こそうとしていた。


 「気が付いたかい? 兵士さん調子はどう?」

 「うぅ、確か俺は国王のところに行って、変な炎を浴びせられて、記憶が……」


 (……変な炎?)


 「とりあえず兵士の覚悟を鎮めることができたみたいだね。良かったねアッズリ!」

 「うん、だけれどもちょっと気がかりなところがあるんだ。兵士さん、今の国王は嫌いかい?」

 「あ、当り前さ! あのレッダの野郎、俺達が真心込めて育てた野菜を全部持って行っちまったんだ! 何か気に食わないことがあれば俺らの地区にも嫌がらせしてきやがって、おまけに俺の友達が何人奴隷にされちまったかわかんねぇよ!」


 兵士は慚愧ざんきの念を浮かべた表情で嘆きの言葉と共に地面に拳を叩きつけた。

 レッダ・テルーノ、現リア王国の王様だ。年齢は不詳だが、未だ肌の艶が残っていて容姿は若く見える。何より、復活した後の底知れない闇を感じさせる風貌ふうぼうと鬼のような性格から国民達に恐れられている。

 自我を取り戻した兵士がここまで言うとなると、先程僕の炎と接触した時に見せたあの感情の炎は、自分の意志ではなく他人の感情が宿っているという可能性が考えられる。そして、変な炎に浴びせられた後の記憶がない。となると、


 「操られちゃってたのかな、この兵士さん」


 僕の背中に隠れていたティノがようやく前に出て、地面に膝をついている兵士の前に立って言った。


 「確証はないけれどその可能性は高いね、という事は他の兵士達も操られていることになるってことだ。何よりまた国王を止める理由が増えたね」

 「国王を止めるだと!? ならば私も手を貸すぞ、どうだ?」

 「いや、良いよ兵士さん。貴方は一刻も早く家に帰ってすべきことがあるでしょう」

 

 それに、この兵士の身体のあちこちに切り傷や打撲の痣の様なものが見える。恐らく本人の意識がないまま町へ駆られて戦わされた後だろう。


 「アッズリ、先を急ごう。私達は一秒でも早く国王を止めなければならないよ。こんな所で道草食ってる場合じゃないよ」

 「そうだね。兵士さん、僕達はもう行くから。ここら辺に他の兵士達を見ても絶対に声を掛けないで、あいつらは前の状態の貴方みたいに自我を失ってる。なるべく見つからないように家に帰って」


 兵士は「わかった、世話になった、ありがとう」と僕達に簡潔に礼を言った後、僕達が辿ってきたルートをそのまま折り返して行った。


 「さて、僕達も……」


 --こっち。


 僕が足を前に出そうとしたところで、突如僕の頭に幼い声質の言霊ことだまが流れ込んできた。

 驚いてティノの方を振り返っても、彼女は色々な種類の花が集合した上を飛んでいる白い蝶々を追いかけていて、僕が聞こえた声に気づいていない様だった。

 

 --こっちよ。


 「ティノ、聞こえた? 僕達を呼んでるみたいだけど」

 「え、何が? 蝶々が喋ったの?」

 「いや違うよ、ティノと同じ幼そうな声だよ。あっちの方から聞こえたけど」

 

 声がした場所は城への小路から大方離れている訳でもなく、ここから真っ直ぐ進んだところに見える、草と草の隙間から光が漏れているくさむらを抜けた所にあるようだった。


 「じゃあ行ってみようか! 私達を呼んでいるなら何があるか分からないけど行かなきゃ冒険じゃないよね!」


 ティノは楽しそうな表情で、右手に持った魔法の竹箒を車輪の様に一回転させて見せた。

 

 (……さっき道草食っていられないよって言ったのどこの誰だよ)


 「じゃあ行こうか、出来るだけ兵士に見つからない様に静かに歩いてね」


 ティノは「わかったよ」と頷き、僕の横に並んで歩いた。

 言霊の先には何があるのか。率直な印象から言うとあの幼い声からして悪者という感じはしなかった。ただ、これから何が起こっても不思議ではない状況だ。僕は如何なる状況でも戦える様に兜の緒を締める気持ちを心に置いて、覆い茂った長草を魔の雑念を取り払う様に掻き分けながら姿が見えない声の元へ進んだ。

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