蒼眼の旅人~traveler of gray eyes~
北斗 白
第一章~始まり①~
第一章~始まり~
そこには、無音の空間の中に一つ、
僕は一つ一つ形が違う色々な種類の小さな貝殻や、盛大に広がるこの世界の何処かから流されてきたであろう短い流木などが
労働で疲れ、重くなった身体を引きづりながら。
「今日も、大変だったな」
僕は目の前に広がる橙色の大海原の先に見える一本の線、波の上に浮かぶ淡い水色の水平線に向かって言葉を飛ばした。
三年前、僕が住んでいる国、「リア王国」の国王が病気を
以前の国王はとても国民思いで誰にでも親切だったので信頼と支援が厚く、復活した当初は国民達が何回も両手を空に掲げて万歳合唱をしていた。だが、復活してから間もなく、リア王国に奴隷制度が発令された。
その時からだ、リア王国がおかしくなってしまったのは。
国王が復活する以前のリア王国は平和主義を掲げ、他国との貿易を有効利用しながら両国の親睦を深め、助け合いながら自分達の国の経済を豊かにしていった。
だが現在は戦争を繰り返し、過去にリア王国に敗北した周辺の国々は、この国の植民地支配を受け、リア王国所属の奴隷国として働らかされていた。
僕は疲れているのは、リア王国の戦争に駆り出された成人達が次々と血を流して死んでしまい、全国民の人口が以前の二分の一になってしまったので、成人未満の未成年である僕も労働者として働かされているためだ。
快晴だったリア王国の経済が、いつしか雲行きが怪しくなり、遂には血色の真っ赤な色に染まっていた。
「海の向こうには、僕の知らない世界がたくさんあるんだろうな」
僕は、淡い水色の水平線から目を逸らさず、口だけを動かした。
僕の夢は、自由を手に入れることだ。それも、誰からも支配されない、みんなが幸せになれる様な自由を。そして、無限に広がる世界を全て見て回ることだ。
国王が復活してから毎日、一日の労働作業が終わると、国の外れにあるこの場所へ来て届きそうもない自由を
辛いことがあったり、悲しいことがあったりすると、目の前に広がる盛大な大海原がこの感情を大きな自然の心で包み込んでくれる。明日も頑張れと励ましてくれる様な気がした。
僕はいつもの様に視線をずらしながら、淡い水色の水平線上に右端から左へと眺めていく。
半ばくらい眺めた所で、気温も暖かくなったために北の方へ群れを成して帰っていく鳥達が見えた。鳥を見ても、自由というものが連想させられる。
僕が鳥になったら、戦争をしている兵士達の頭上に
そして、世界を飛び回って集めた仲間の鳥の大軍を率いて戦争をしているこの地へと再び舞い戻り、最初と同じ様に戦争中の兵士達の頭上へ糞を落として戦争を止めさせたい。一匹では叶わないとしても一万匹の鳥達を集めて一万個の糞を落とせば、強烈な臭いに懲りて戦争を止めてくれるかもしれない。
こんなくだらない発想をしていると、あっという間に僕の視線は水平線の最終地点辺りに差しかかっていた。
今日もこの時間が終わるなと思ったその時、水平線の左端を通り過ぎた辺りの、三日月形の砂浜の一番奥に動かない人影が見えた。
「……誰だろう?」
その一点に目を凝らしながら歩いていくと、正体を薄っすらと理解した僕は砂浜に足を取られながら一目散にその人影に向かって駆け出した。
「あの! 大丈夫ですか!?」
僕は、全速力で駆け出して着いた先に、ハァ、ハァと荒くなった息と共に精一杯出した
動かない人影の正体とは、砂浜に倒れた一人の少女だった。
「起きて! 起きて下さい!」
もしかして彼女も漂流してきた流木達の様に、この世界の何処かからこの盛大な大海原を
僕はそんな事を考えながらピクリとも動かない少女に声をかけ続けた。
「……死んでるの?」
「……そんな……訳……ないでしょ、げほっげほっ」
「うわっ!」
僕は少女が突然動いた事に驚いて、情けなくその場で尻もちをついてしまった。
少女は幼い声で細々に咳き込みながら、砂浜に倒れていた体を起こした。
「すみません、ここはどこなんですか?」
「こ、ここはツアレラ地区の外れの海岸です」
僕はリア王国のツアレラ地区で生まれ、今まで生きてきた中でこの国の敷地以外に出たことがなかったので、他の国の人を見たのは初めてだった。
僕は外の世界への好奇心を抑えて目の前に存在している名も知らない少女に警戒しながら、一つ、二つと後退りをして距離をとろうと試みた。
「そんなに警戒しなくて大丈夫だよ、決して怪しいものではないから」
「じゃあ、名前教えてよ」
少女は真っ白な生地の服に付着した黄土色の砂を手で払いながら立ち上がり、尻もちをついている僕に蒼色の瞳で真っ直ぐな視線を送った。
「私の名はティノ・フルール。そうだね、職業で言うなら旅人ってところかな」
僕は橙色の背景に照らされたティノと名のる少女の影に覆われながら、ティノが実は僕らが存在している世界の人間ではなく、一般人がどういう風に思考回路を
いや、本当のところは、彼女自身の雰囲気ではなく、彼女の蒼い瞳が僕の心にメッセージ性の何か大切な事を伝えているような気がした。
彼女の蒼い瞳に見惚れていると、薄い橙色に染まった黒髪が、僕の顔面を覗き込んで訊ねてきた。
「あの、良かったら君の名前も教えてよ」
「僕はアッズリ・アベントリエロ。アッズリって呼んでよ」
「良い名前だね。よろしくね、アッズリ」
僕は尻もちをついて動けなくなっていた腰を上げて、ティノと軽い握手を交わした。
「そういえばティノはこれからどこか行く当てがあるの? 良かったら僕の住んでいる国に来ない? 寝床くらいなら準備できるよ」
ティノは少しの間首を傾げて、「じゃあお言葉に甘えて」と照れくさそうな満面の笑みを浮かべて僕の提案に了承した。
僕達が移動をし始めた頃、緩やかな波の音を奏でていた橙色の大海原が、日が落ちて静寂とした夜空色の
「アッズリ、まだ着かないの?」
「いや、まだ歩き始めて五分くらいしか経ってないよ。それに、もう少しで着くよ」
僕とティノは、リア王国へと繋がる山道を登っていた。
毎日の様に坂を上り下りしている僕は最初の頃と比べて苦は感じなくなったが、初めて傾斜が大きい坂を上る小さな少女には少々きつかったらしい。
「じゃあ少し休憩にするかい?」
「ごめんね、少しだけ休憩」
ティノはそう言った数秒後、近くにあった大きめの岩石の上に座り込んだ。
「ちょっと待ってて、すぐ戻るね」
僕は先程にも言った様に毎日この山道を歩いている。そのため、ここの地形については他の誰よりも僕が一番詳しいだろう。例えば、すぐ近くの水が沸いている岩石から上の平らな土台を目指して上がっていくと、ピーチィと呼ばれる桃色の甘い果物や、レープと言った紫色の巨峰が少々だが実っている場所がある。しかも、これらの果物はこの辺りの厳しい自然環境の中で育っているため、どれも一級品で三ツ星が付く程美味しい。
僕はティノが倒れてから何も口にしてないだろうと考えたので、何個か採っていってあげることにした。
「おまたせ、これ近くに
「え、良いの? ありがとうアッズリ! 本当は空腹でお腹が何回も鳴ってたんだよ、じゃあ、いただきます!」
ティノは待ってましたと言わんばかりに、獣の様な勢いでピーチィとレープに交互にかぶりついた
むしゃむしゃと音を立てて食事をとる彼女の姿は、砂浜で僕が感じた違和感の存在をを掻き消す様なもので、この部分だけを見れば、ただ単に三時のおやつで果物を食べている子供と言われてもおかしくはなかった。
「ん~美味しかった! 本当にありがとうねアッズリ! それとさ、果物達が無くなりかけている頃に気づいたんだけど何か火薬の臭いがしない? 私の気のせいかもしれないけれども」
僕は鼻に神経を集中させて、リスが鼻を小刻みに動かす様に周辺の空気に混じった匂いを探っていった。すると、リア王国の方角から吹いてくる風に乗って火薬の臭いが飛んできていることに気づいた。
「リア王国から火薬の臭いがする、もしかしたら町で何かあったんじゃ」
僕はティノをその場に置き去り、鼻につんと来る火薬の臭いを辿って山の上にある拓けた場所へと向かって早足で歩き始めた。
途中、転びそうになって岩石に植生していた
(……嫌な予感がする)
ただこの言葉だけが僕の心の中で
足場の悪い砂利道を気分が曇ったまま進んで行くと、絶対にあり得ないだろうと心の奥底で薄っすらと考えていた最悪な予感が的中し、その景色は僕の目に飛び込んできた。
「……何……これ。ツアレラ地区が……燃えている」
僕が山道の拓けた場所に出た所で目に映したものは、この山の
その赤い光景を見て真っ先に頭に思い浮かんだのは、いつも暇な時間を費やして遊んでいる一番仲の良い親友のリッキーを始めとした、母親や町の大切な人達の存在だった。
そんな思いには慈悲もくれず、一切の遠慮を許さずに燃え盛る炎が僕の頭の中に次々と嫌な想像を生む。
段々と脳を駆け巡る思考回路が麻痺していき、力無く立ち尽くしている僕の額に冷や汗が滲んできて目尻に溜まった無色透明の雫と一緒になって零れ落ちた。
僕は必死に声を出そうとしたが、どんなに両拳に力を入れて振り絞っても僕の口からは悲しみを嘆く嗚咽以外何も出て来なかった。
僕の頭が混乱と怒りなどの色々な感情で痛み始めた時、耳元で小さな少女が声を出した。
「これは酷いね。これからどうするのアッズリ?」
「どうするも何も、皆を助けに行く以外の選択肢が思いつかないよ」
僕よりも年下に見えるティノの言葉は落ち着いていた。まるで、こういった光景を以前に何度も見たことがあるかの様に冷静だった。
そういえばティノは僕と最初に出会った時、私は旅人だと明かしていた。ティノがこんなに落ち着き払っているのは、外の世界でこんな残酷な物事が往々にして起こっていて、旅をしている最中の彼女にとって見慣れた光景であるからなのではないか。
何にせよ、ティノが投げかけた質問のおかげで、次に僕がしなくてはならない一つの事が明らかになった。
「ティノ、急いでツアレラ地区に向かうよ。用意は大丈夫?」
「うん! いつでも良いよ!」
腰に手を当てて元気よく返事をしたティノと共に、僕は汗や涙で汚れた顔を服の袖で素早く拭って勇気を振り絞り、ティノと共に燃え盛る炎が躍る町の中へ
「バキュン! バキュン!」と鈍い銃声が響く。
僕達がツアレラ地区に到着した時には、燃焼した建造物がすでに崩壊を始めており、町中には爆薬や硝煙の臭いが立ち込めていた。更に外周を囲んでいた緑の木々たちが全焼し、栄えていた市場には発砲されて殺されたであろう人々が死体となって転がっており、十六年住んで見慣れたいつもの景色がただの地獄絵図と化していた。
「皆……、逃げててくれればいいけど」
「今はそう願うしかないね、とりあえず先に進もう」
僕とティノは崩れた
「アッズリの友達、誰か見つけた?」
「いいや、まだだよ。多分賢い奴ばっかりだから遠くへ避難しているはずだよ」
僕は全く根拠のない希望をティノに話した。そう楽観的に合理化しないと考えたくもない最悪の事態が本当に起こる気がしてならなかったからだ。
吹いてくる熱風と火薬の臭いに喉を痛めながら粉々になった瓦礫の道を進んで行くと、急に僕の目の前の地面に火を
「うわ! 危なかった!」
「火の矢だね。これに刺さると二秒もしないで全身に火が回って焦げ死ぬから気をつけた方が良いよ」
戦争にはこんな危険な武器も使っているのか、と僕は改めて戦争の厳しさを感じた。
中心部に近づくにつれて、瓦礫に埋もれた人の
それは、国王軍が中心部に向かって破壊活動を繰り返しているという決定的な証拠を表していた。
「ねえアッズリ、何で国の兵士達が自分達の国の領土を壊しているの?」
「ここは国の領土と言っても、反リア主義の地区だからだよ。ここに住んでいる人達は今の国王が嫌いで命令に逆らう事が多々あったんだ。だからとうとう目の敵にされたみたいな感じかな」
一年前、国王が復活してから国の経済が回らなくなってくると、リア王国の中の多くの地区が反リア主義を掲げていった。中にはリア王国を離脱し、小国ながら自分達だけで生活していこうと独立していった地区も存在する。
僕達が住んでいるツアレラ地区は独立こそしなかったが、リア王国の貴族部からの貿易や交渉事は全て断り、自給自足を前提とするため、古くからの付き合いである隣の地区としか交易を開かず、町人達が互いに協力して助け合う暮らしを営んでいた。
だが、リア国の王は巣から旅立つ小鳥の様に数多の地区が独立していく姿を、黙って見て見ぬ振りをすることは決してしなかった。
国を離脱した地区には放火や破壊活動などを起こして、その地区の経済が
だからとうとう国王の堪忍袋の緒が切れて、非人道的である物理的な手段に変更して攻撃してきたのだろう。
僕は呼吸を確保するため口と鼻を左手で覆い、酷くなる熱風と口の中に侵入してくる細かい木灰を払いながら地区の中心部へと足を進めた。
「見て、あそこにいっぱい人がいるよ」
瓦礫が積み重なった山影に身を隠したティノが指差す先には、砂埃が螺旋状に舞う大広場で銃を乱射し、連続して火の矢を放っている者達と、前者に追われ必死に逃げ走る者達の影があった。
この短時間の激しい戦闘によって、大広場を囲んでいた出店の多くは跡形もなく崩れ去り、この地区の象徴とも言える大理石で出来た鮮やかな噴水が
「あれは、国王軍だ。生き残っている町の人達が危ない、すぐに助けなきゃ!」
「待ってアッズリ、武器も何も持っていない君が行ったところで殺された人の二の舞になるだけだよ」
ティノは大広場へ飛び出そうとした僕の背中を引き止め、肝が据わった言葉を僕に言った。
「確かに何もできないかもしれないけど、殺されていく人達を黙って見ている訳にはいかないんだ!」
「君は、命が惜しくないの?」
熱く煮えたぎっている僕の心に、人間として真っ当な冷えた意見が響く。
「じゃあ僕はどうしたら……」
覚悟と共にきつく握りしめていた拳の力を緩めた時、大広場の方から「ぐぁぁぁ!」とけたたましい叫び声が聞こえた。背中から頸(うなじ)にかけて、細く鋭い緊張が電光石火の速さで駆ける。
それは、少年時代から行動を共にしてきた耳馴染んだ声に似ていた。
僕は緩めた拳を再び固く握り直して、余計な事は一切何も考えず、声がした方に向かって無我夢中に走り出した。
思い切り地面を蹴っ飛ばしたとき、後方で「アッズリ!」と叫ぶ声がしたが、目の前のことで脳の最大容量が埋まってしまって後ろを振り返る余裕がなかった。
「リッキー‼ 大丈夫か⁉」
僕は大声で言葉を飛ばしながら、木端微塵となった石屑やガラスの破片が散り散りに混じった広場の隅を抜けた先に見えた、肩の辺りの深い傷口から暗褐色の血をドロドロと流して横たわっている人物に向かって行った。
「……ああ、アッズリじゃねーか。……はやく……逃げろ」
「何言ってるんだよ! リッキーも一緒に逃げるんだよ! 親友を置いて行くことなんて出来る訳無いじゃないか!」
「……へっ、お前の優しさは相変わらずだな。でも……」
リッキーが続けて言葉を言いかけた時、僕等二人の時間は最悪な形で一気に遮られた。
「おいまだ生きてる人がいるじゃねえか! そこのガキィ、今殺してやるから待ってなァ!」
恐らく先程リッキーを刺したと思われる長身の兵士が、短剣を構えながらコツコツと
「リッキー立てるか? おぶるからこっちまで手を回してくれ」
「いや、本当に嬉しいけどよ……俺を置いて行ってくれ。……このままじゃ二人とも殺されちまう、アッズリだけなら今から巻き返せば何とか間に合うから」
「嫌だ! 僕は……僕は!」
「早く行けよ!! 頼むからその優しさを今だけ捨ててくれ!」
リッキーと出会ってから今まで一度も聞いたことがなかった彼の怒声が、地震の様に僕の心臓を強く揺らした。
僕はリッキーの表情に目を向けると、彼は迷走している僕の選択肢の背中を押してくれるかの様に精一杯の笑顔を作って応えた。
「わかった。リッキー、今まで僕と遊んでくれてありがとう。そして、僕の親友でいてくれてありがとう。絶対君のことは忘れないから、さよなら」
僕は酷く惨めで狭苦しい感情の中、唯一無二の親友であるリッキーから貰った勇気を振り絞り、意を決して親友の頭上に続いている瓦礫の道へと目を向けた。
だがその刹那、一気に様変わりした冷ややかな空気が僕を包むと共に、長身の大きな影が僕とリッキーを飲み込んだ。
「死ねェェェ!」
「アッズリ!! 後ろ!!」
僕の真後ろに迫った黒い影は、ガタイの良い筋肉が付いた腕を旺盛に振り上げ、その手に持っていた鋭利な刃を僕の背中に向かって息つく間もなく豪快に振り下ろした。
「ザクッ!!」
気が付くと、僕は腰に強い衝撃を覚え、数メートル先へ弾け飛ばされていた。
破片や
「リ……リッキー」
僕を兵士から庇ったリッキーは、姿勢を前のめりに崩したまま胸を一突きにされ、彼を刺した短剣は血を纏いながら背面へと貫通していた。
ひと時の空白に、貫かれた彼の背中から剣先を伝って
空白が赤く染められていく中、兵士がリッキーを刺した短剣を体内から抜刀すると、「ぐはぁっ」と口内から血溜りを吐き出した彼が跪き、顔面から地に向かってうつ伏せに倒れ込んだ。
「何で……」
倒れたリッキーは、火煙で黒くなった肌と傷だらけの顔で、両目から溢れ出る涙を僕に向けながら、荒い呼吸で精一杯の掠れた言葉を飛ばした。
「……アッズリ、俺は……お前の優しさにいつも励まされてた。そんで、元気を貰ってた。だから、いつの日か……恩返しをしたいなと思ってたんだ。まぁ、それがこんな形になっちまったんだけどよ。はぁ、はぁ、本当に、俺の親友でいてくれて……ありがとう」
「リッキー、そんな終わりみたいなこと言うなよ! まだ、まだ! 終わってないぞ!」
「ごちゃごちゃうるせえなァ! 終わりなんだよォ! こいつも! お前もォ!」
リッキーの血を纏った刃を持った兵士が、トドメの一撃を与えるかの様に、地面に転がったボールを蹴るかの如くリッキーを蹴飛ばした。
「ぐぁぁぁ!」
「やめてくれー‼︎」
「はぁ、はぁ、……お前は優しすぎるから……この先も、俺が死んだことを自分のせいだと気負ってしまうと思うけど……この結末は俺が望んだことだ。だから……何も心配するな、前だけを見て進め。……愛してるぜ、親友」
横たわったままそう言い残したリッキーは少し微笑むと、身を知る雨を降らせている瞼を静かに閉じた。彼の影には、
「リッキィーーー‼」
僕は、孤独な崖の頂上に立ち、闇を照らす満月に向かって吠える狼の様に果てのない空の彼方へと
リッキーは僕を優しいと言ってくれた。そしてありがとうと言ってくれた。でも実際、僕は結局何も出来なかった。
茫然自失に包まれた僕は腹の内側からじわじわと滲み出る、何も出来なかった無力な自分に対しての怒りと、止まないどころかいっそう強くなる銃声の音が鼓膜に響き、動けないままの状態で焦燥に駆られた。
「おいィ、次はお前の番だぞォ!」
(……優しいだけじゃ、何も守れないんだ)
--力が欲しいなら、己の心に誓え。
「……え?」
今にも
--強く、
「……僕の感情」
僕はガラスの破片などが刺さった切り傷まみれの両足で力強く踏ん張り、体のあちこちの痛みと疲労で体幹がずれる身体でふらふらと立ち上がった。
そして、神経を集中させた左手で心臓に手を当て、神に祈りを捧げる聖者の様に、黄土色の砂埃と赤く細かい火の粉が飛び交う夜空へ向けて願った。
--何もできない自分は嫌だ。ただ優しいだけの僕は嫌なんだ。
--僕はもう誰も失いたくない。だから、大切な人を守れる……、
「お前も死ねェェェ‼」
僕に向かって怒声を飛ばした兵士が、リッキーの血液が付着し暗褐色に染まった短剣を血管の浮き出た両手で腰の辺りに構え、ぎろりと眼球をぎらつかせながら怒りを露わにして興奮した猪の様に突進してきた。
ーー力が欲しい。
至近距離に迫った兵士が、僕に向けた矛先を真正面に力強く振り抜いたその時だった。
「ぐわぁぁぁ!」
僕を突き刺すはずだった兵士が宙を舞い、両手に握りしめていた短剣を放り投げて大袈裟に吹っ飛んでいった。
気づいた時には、心臓に当てていたはずの僕の左手がゆらゆらと静かに
僕は伸ばした両手を視界の中に持ってきて、掌を返したりして左右を見比べた。どんなに両手を交互に見比べても、左腕の手首周辺から指先まで蒼い炎が覆い囲んでいた。
「左手が……燃えている」
「キサマァ! 一体何をしたァ!」
突進してきた兵士が剣を振り抜き、僕が心に力を求めた時、突然左手から蒼い炎が光り輝きながら勢い良く噴出した。蒼い炎は兵士の進行先に向かって空中浮遊すると、空気と平行に六角形を
恐らく兵士は、ほんの一瞬の想定外な出来事だったために、まだ十分に脳の処理が追い付いていないのだろう。
「……フォルツァ」
いつの間にか僕の背後に立っていたティノが口を開いた。
「別名、蒼の力。まさか、フォルツァを開眼した者にこんなに早く出会えるなんて思ってもいなかったわ」
「開眼って何のこと?」
「君はその左手だけが蒼く燃えていると思っている様だけど、以前まで暁色だったアッズリの左の瞳も炎と同じ色の『蒼眼』になっているんだよ」
僕は視線を右側にある崩れた店の瓦礫から角を出している硝子の板に目を向けた。
銀色の硝子板に映る僕の左の瞳はティノの言った通り「蒼眼」に変化していて、その蒼い瞳はこれまでに感じたことがない不思議な雰囲気を醸し出していた。
「……これが僕の眼?」
「そうだよ。君は、フォルツァに選ばれたんだ」
(……フォルツァに選ばれた?)
「舐めるなぁァ!」
僕が脳内の整理をしていると、吹っ飛んでいた兵士がいつの間にか
「説明は後だね、今は目の前のことを優先しないと」
「って言われてもこの力の使い方がわからないんだけど……」
「噂に聞いた説では、その蒼い炎は主が想像したものを具現化することができるらしいよ」
なぜか笑顔のティノは「やってみてよ!」と言って、僕の背中の影に隠れた。
ティノの話が本当であれば、僕が一番最初に力を使った時に「守りたい」という強い感情を信念に誓ったため、手から噴出した蒼い炎が壁という抽象的なものに具現化した、ということに合点がいく。
この仮説が成立するとしたら、僕が次に信念に誓うことは一つ。
「オラァァァ!」
--リッキーを殺し、僕の故郷を破壊した兵士達に復讐するための力が欲しい。
覚悟を決めた僕は左手を天に向けて掲げると、纏っていた蒼い炎が煌めきながら竜巻の様に渦まき、蛍光色に輝く稲妻を宿しながらどんどん巨大化していった。
やがて竜巻の根元が細くなり、渦が空気中に分散して消えていくと、蒼い炎で形成された大剣が刃を光らせた。
僕は左手で大剣を振り上げ、走ってくる兵士の肩を狙って斜めに振り下ろした。
「うわぁぁぁ!」
肩から綺麗に赤い斜め線が入った兵士は、宙を舞った瞬間壊れた噴水の様に勢い良く血を吹き出し、大量の出血によって気を失って倒れていった。
あくまで炎で作られたせいなのか、僕の身長くらいある大剣なのにもかかわらず重さを感じなかった。いや、それどころか腕にかかるはずの重力よりも軽く感じた。
「フォルツァをここまで使いこなすなんて、流石だねアッズリ。だけどこの程度で安心してられないよ、この広場で黒い服を着た国王軍の兵士達がまだ残ってるよ」
「うん、わかってる。ティノは危ないからここに近づかない様に瓦礫の影で休んでおいて」
「わかった」と一つの返事を残したティノは、
「……さて」
砂埃で視界が悪くなっているはずの僕の瞳に、十人ばかりの兵士達が蒼く明瞭に映る。銃を雑に乱射し、休む暇もなく火の矢を射ているその姿は、何故かとても惨めで哀れなものに見えた。
平和に生きるという選択肢は多岐にわたるはずなのに、どうして人々は互いに殺しあうという道を選んだのか、僕にはまだ分からない。だが、このもやもやの理由がいつか分かる日が来ると信じて、今は覚悟を決めるんだ。
親友の死を超え、己の信念に力を誓った若き少年が歩み始めて数分もせず、兵士達の怒鳴り声がだんだんと減っていった。
そして、これまで飛び交っていた銃声と火の矢が止み、肉が裂けて血の噴き出る音と共に、広場に幾多の断末魔の叫びが響き渡った。
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