ルインズアーク・ブレイズ

アカサオオジ

第1話 1-1

0.プロローグ


 暗闇を炎が引き裂き、駆け抜ける。

 炎は刃となり、暗闇に漂う瘴気のヴェールを焼き払うと、大地に炸裂し、その表面を強かに揺さぶった。

 そこは洞窟の中にある、端がうかがえぬほどの広大な空間だった。閉鎖された空間を破壊の音が反響し、それらは複雑に絡み合って不協和音を奏でた。

 砂利と赤土に塗れた大地の所々には、風化した青鉄の床板が覗いている。大地の上には無数の岩石が転がっており、その無機質的な表面を炙るように炎が照らしたかと思うと、すぐさま新たに生まれた瘴気が覆い隠していく。

 大きなものでは十メートルを超える、大小様々な岩石によって作られた天然の列柱群。その柱の隙間を縫うようにふたつの影が飛び交い、交差するたび、宙に赤と黒の火花が散った。

 再びの爆発。巨大な岩石が雨細工のようにあっけなく縦に砕かれ、破片と煙を上げて倒壊する。

 熱と煙が戦場に充満し、幾分かのあとに晴れていく。残火と破片が降り注ぐ破壊の余波の中、煙を押し払うように、一体の【影】が悠然とした足取りで姿を現した。

【影】の正体は、黒き全身鎧をまとった騎士だった。

 一目見てわかる。騎士は人ならざる化け物であった。

 二メートルを優に超えるその体躯からは瘴気が絶えず溢れ、顔をすっぽりと覆う兜の奥からは黒霧が蠢いている様が見える。その背中には血のように赤い――いや、血そのもので作られた外套が不気味に脈動し、それは意思を持っているかの如く黒き騎士の周囲を漂い、主を熱と煙から守っている。

「――……」

 黒き騎士は何かを探るようにおぼろげな紫の眼を瞬かせたかと思うと、ふと一歩を踏み出し、手に携えていた黒剣を上空へと流れるように閃かせた。

 衝撃に火花が散った。見れば黒剣の刃の先に赤き剣槍の刃が食らい付き、ぎりぎりと音を立てせめぎ合っている。

 突如として上空からひとりの少年が現れ、重力の勢いに任せて剣槍を振り下ろし、黒き騎士へと強烈な斬撃を繰り出したのだ。

 その風貌からは成人の二つか三つ手前とうかがえる少年は、己の一撃が受け止められたことにはさして驚きを見せなかった。身を包む深き青の戦闘衣の裾をはためかせ、たたみかけるように連撃を見舞った。

 一閃、二閃と緋色の剣槍が宙を薙ぐ。刃に込められた赤き魔力の残滓が暗闇に光の軌跡を描き、休むことなく黒き騎士を攻め立てた。

 剣槍の重量、そしてそれを難なく操る少年の技量から鑑みるに、攻撃の一つ一つは決して軽いものではない。だが、触れるだけで身一つなどもっていかれかねない豪撃を前にしても、黒き騎士の動きに焦りは見られない。黒き騎士は見た目にそぐわぬほどの繊細な剣技を以って少年の猛攻をいなしてみせ、お返しとばかりに反撃に打って出た。

 数度の打ち合いによって、少年は己の立ち位置の不利を悟ると、一旦距離を取るべく地を蹴った。連なる岩石と岩石を壁走りの要領で駆け抜け、黒き騎士の側面に回りこむ。そして、剣槍を前に突き出して突撃した。

 剣槍の切っ先が唸りを上げ、黒き騎士を襲う。必殺の威力を持った一撃は、しかし角度をつけた黒剣の刀身にあっさりと受け流された。少年と黒き騎士はすれ違い、威力を失った剣槍の切っ先が地を叩いた。

 突撃は失敗――だが、刃同士の摩擦で起きた火花が全て散るよりも早く、少年は次の攻撃へと移った。

「はあああああ!!」

 剣槍の切っ先で地を掻き、なぎ払う。摩擦に火が生まれ、火は炎へと燃え上がる。紅蓮の炎に燃え盛る剣槍を振り向き様に叩きつけ、黒剣で防御した黒き騎士を弾き飛ばした。

 有り余る応力に黒き騎士の巨体が宙を舞う。しかし、黒き騎士は冷静に空中で体勢を立て直すと、血の外套に命じ、無造作に周囲に広げさせた。

 拡散した血の外套の先端が幾重にも割れ、鋭利な血針へと姿を変える。数百にまで増えた血針は一群の雨となり、少年へと襲い掛かった。

 それは避けようにもないほどにまで広がった面の制圧攻撃だ。走って引き離すことも、切り捨てることも難しい。

 ――驚くな、たいしたことじゃない。

 数秒後には全方位から襲い来る死の雨を睨み据えたまま、少年は支えるように剣槍の腹に左手を当て、右手で引き絞るように構えた。

 少年の意志に呼応して剣槍から緋色の魔力が溢れ、溢れた魔力は炎となって刃を伝った。魔力の炎は血針との衝突の寸前に収束し、そして少年の技は完成した。


 炎熱系統、共鳴絶技レゾナンスブレイク【シアリング・ブレイザー】


 烈火の尖槍が神速の突きとなって宙を貫いた。

 放たれた炎の長槍は降り注ぐ血針をすべて飲み込み、破裂。数十もの流弾となって黒き騎士を襲った。

 黒き騎士は血の外套を翼の如く羽ばたかせ、熱煙の尾を引く流弾を空中で器用に回避してみせる。避けきれぬものは切って捨て、しかしすべてをかわし切るのは難しいと判断すると、黒剣の刀身に瘴気を奔らせ、流弾をまとめてなぎ払った。

 瘴気の大刃に切り捨てられた流弾が爆散する。黒き騎士の視界を奪うように、爆煙と瘴気が吹きすさんだ。

「らああああああ!!」

 その隙を狙い、少年は煙を突き破り、黒き騎士へと吶喊の一撃を繰り出した。

 そのままでは持ち手の長い細身の大剣とも見える剣槍だが、その本質はあくまで槍である。槍の持つ突破力を十二分に生かし、少年は膂力すべてを込めた必殺の突きを黒き騎士の胴へと放った。

 黒き騎士は少年の突槍の一撃を前にしても、逃げる気はないらしい。黒剣を正眼から上段へと振り上げ、真っ向から打ち下ろす。

 衝撃に大気が弾けた。

 剣槍に込められた赤き魔力と、黒剣に秘められた黒き魔力が拮抗し、それは赤と黒の稲妻となって周囲に放出された。

 一見、互角に思える攻防だが、その実は少年の方が押されている。

 全身全霊をかけた綱渡りの攻防を演じている少年に対して、黒き騎士には未だ余力がある。その証拠と、少年がどれだけ練り上げた必殺の一撃を放とうとも、黒き騎士はあっさりとそれを相殺してしまう。真正面から力比べをしようとも、虚を突こうとも、そのすべてが無駄に終わってしまうのだ。

 体格差からくる筋力の差、内包する魔力量、武器を操る技の熟練度……力量の差は明白で、一撃をかすり当てることすら難しい。難解なこの強敵を打ち破るために必要な能力が、少年にはまるで足りていない。

 ――だが、今この場においては、少年の気迫にはその上をいく力があった。

「おおおおおおおおおおおお!!!!」

 少年は竜の咆哮にも似た声を上げ、相棒である剣槍――【赤槍の炎神レッドランサー・イフリート】の切っ先、そのただ一点へと力を送り込んだ。

 赤熱化していた刃がさらなる熱量を生み出し、それは放熱によって斥力すら発生させ、黒剣を防御の上から押し飛ばす。そして無防備となった胴体へと、少年は渾身の一槍を突き出した。

 激震。激しい爆発が起き、余波だけで岩石のいくつかが亀裂を伴い破砕する。土砂が乱雑に弾け飛び、数秒のあとに豪雨の如く地に降り注いだ。

「…………」

 少年は、大技のあとの虚脱感に膝を折りそうになりながらも、しかしその目には戦気を途切れさせることなく、前方をきつく睨んでいる。

 直撃を受けた黒き騎士は、炎と爆発の威力を一身に受け、岩石をなぎ倒しながらふき飛んでいった。

 少年が今まで相手してきたどのような存在も、これほどの攻撃を受けて無事であったケースなど一度もなかった。黒き騎士の守る鎧がいかに堅牢であろうとも、タダで済むはずがない。

 ――だが、そうであるはずなのに……。

「ッッ……!」

 不安が拭えない。額から生まれた一筋の汗が頬を伝い、地に落ちて一点の染みを作ったが、少年にはそんなことを気にする余裕もない。

 隙を見せることなく剣槍を構えた少年に答えるように、巨大な岩石のひとつが中ほどから横に断たれた。

 それは黒き騎士が放ったものなのか。剣圧の余波に小さな岩石のいくつかが巻き込まれ、四散する。立ちこめていた黒煙は切り払われ、そして、ひとりの騎士の輪郭が浮かび上がった。

「無傷か……!」

 少年の言は正しく、黒き騎士は無傷だった。

 精緻な文様で縁取られた全身鎧には、目立った外傷は見受けられない。せいぜいがかすり傷程度だ。疲労のうかがえない足取りで少年の元へと迫るその姿は、どこか気品と優雅さすら匂わせているほどで、まるで少年を嘲笑うかのようだった。

「これだけやってもその程度か……正直、嫌になるな……」

 素直な言葉がもれた。

 だが、どれほど相手が強大であろうとも、少年に退く気はない。愛槍を水平に引き、相手を指し示すような構えを取ると、目を閉じ、一度だけ大きく深呼吸をした。

 精神を集中した一拍のあと――。

「――それなら、次はその鎧ごと燃やし尽くしてやる」

 少年は冷酷な言葉とともに黒き騎士を睨みつけ、大地をより一層の力で蹴り弾いた。




1. フォーサイトⅠ


 異世界【ルインズアーク】。

 一世紀以上前に発見されたこの異世界は、人類の住む地球とは異なる時間軸に存在する世界だ。

 当時は人類史に残る大発見として騒がれた期待の新世界も、しかし、異なる時間軸にある以上、人類はその世界に干渉できる術を持たなかった。【仮想物質マナ】と呼ばれる特異な物質模倣粒子によって構成されたルインズアークは、地球に似た環境と、【悪演の敵ヴィラルエネミー】と呼ばれるモンスターが跋扈する、幻想的な、一部の人間にとっては理想的な異世界だったのにも関わらず、その大地を人々が歩くことは許されなかった。

 長らくは観測するのみに留まっていたルインズアークは、数十年にも及ぶ研究とその成果によって、ようやく人類の干渉できる世界となる。

 人類がルインズアークに干渉するための方法。それは地球世界の一日と一日の合間にルインズアーク世界の時間軸を置き、地球とルインズアークを交互に一日ずつ過ごすこと。そしてマナによって作られた【義体アバター】を、体内に投与されたナノマシンによって操り、その世界での仮の肉体とすること。これらふたつの要素が合わさって、人類は初めてルインズアークの世界を旅することができるようになった。

 古の竜が空を支配し、異形のモンスターが大地にひしめき合う。魔法と剣の力に彩られた、まるでおとぎ話のような新世界。

 人類がルインズアークをもうひとつの日常世界として受け入れてから、早くも六十年の月日が過ぎた。

 今では誰も、この世界に疑問を持つ者はいない。





 少年、榊亮太さかきりょうたのアバター名は『サカキ・ソーマ』という。

 半分は実名と、半分はとある理由から名付けられたこのアバターは、現実のサカキ瓜二つの外見をしている。

 一部に銀のメッシュを入れた、青みがかった黒の髪と黒の瞳。身長と体重は中肉中背と特に目立ったものはなく、その身を守るものは左右非対称の青の戦闘衣。外観だけなら特段変わったものはなく、どこにでもいそうな少年だ。

 基本的にアバターの外見は、地球世界の肉体を模している。地球との肉体に差異が生じすぎると、脳が拒絶反応を起こすことが理由だと聞いた覚えがあるが、細かいことはサカキ自身にもわからない。だが、そうである方が都合の良いということはわかる。今まで経験したこともない化け物みたいな体を操らされるよりは、なじみのある肉体で行動できた方がいい。

「――ソーマ、どうだ?」

 後方から投げかけられた青年の声に、サカキは手に掴んでいた木の枝を持ち上げ、外を見た。

 そこからは森林の一風景が見えた。

 苔生した小川の透き通る流水。色とりどりの花と生い茂る草。並び立つ樹木の幹は厚く、遥か空へと向かって自由に伸びている。その芽吹く緑葉の合間からは太陽の光がこぼれ、それは生命に満ちた大地を暖かく照らしていた。

「大丈夫、この周辺に敵はいないみたいだ」

 返事とともに邪魔な枝を避け、サカキは隠れていた草木から身を出した。

「そうか、じゃあそろそろ本隊に戻るか。あんまり先行しすぎてもしょうがねえしな」

 軽薄な声音が響き、サカキに続いて青年が姿を現した。

 青年の外見年齢は二十前後。アバター名は『カツジ』だ。金色青目の長身に、赤の防護服に黒の皮鎧という派手な出で立ち。顔つきはよく整ってはいるが、それを台無しにする不真面目そうな目つきをしているため、二枚目というよりは三枚目な雰囲気が強い。パッと見は不良に見えるが、本人はただド派手が好きなだけというだけで、実際はそうではない。

 サカキとカツジはもう何年もともにルインズアークを冒険している仲だ。今では相棒と呼べるほどになった彼と並び、サカキはもう一度森林の様子を注意深く観察した。

「なんだ、まだ気になることでもあるのか?」

「気になることってわけでもないけど、一応念のためにね。あらためて何か気付くことがあるかもしれないし」

「はは、お前はそういうところが真面目だな。こういうのは直感でビシッと決めときゃいいんだよ。何回もチェックしてたら疑心暗鬼になるぞ?」

 カツジは軽口を叩くと、振り返り、一足先に本隊に戻るための帰路についた。サカキは彼のいい加減さに鼻息をひとつつくと、何も言わずにその後ろを追った。

 サカキとカツジは、とある依頼を受けてこの場所にいる。ふたりはルインズアークにいる時は【探求士連盟ファウンダーズ・ギルド】と呼ばれる仲介組織に所属しており、その組織の元で自由に依頼を受ける【探求士ファウンダー】と称される雇われ者である。

 冒険者と同じ意味を持つこの職業は、遺跡探索やヴィラルエネミーの討伐、または護衛や希少種品の採取など、いわゆる何でも屋としての活動が多い。

 本日の依頼もそれであり、内容は「未踏査エリア【オルドナの森】の調査、及び攻略」。

 誰もその先を見たことのないエリアを仲間とともに進む。邪魔をするヴィラルエネミーがいるのならば打ち倒し、財宝があるのならば頂戴する。

 それはファウンダーが最も得意とするものであり、代名詞とも呼べる仕事だ。

 現在のふたりは依頼主のいる本隊より離れ、予め障害がないかを確認する斥候の役割を与えられている。それが一通り済んだため、こうして本隊に戻ろうとしているのだ。

「しっかしよ、なんか全然敵が出てこねえな。これじゃまるでピクニックじゃねーか。こっちはあのオルドナの森を攻略するっていうから気合を入れてきたんだぜ? なのに、こう肩透かしを食らっちゃあなあ」

 カツジが冗談めかす。

 事前の会議では、オルドナの森は攻略難度の高いエリアだと説明されており、出現するヴィラルエネミーの質と数は相応なものになると依頼主は予測していた。そのため、サカキとカツジを含む二百人ものファウンダーが集められ、万全の体制で挑むことになった。

 だが、エリアの序盤は確かに敵の数は多かったものの、その後は少数のヴィラルエネミーとの偶発的な衝突が起きるのみで、本格的な戦いは起きなかった。

「まだ中頃を過ぎた程度なんだし、あんまり気を抜くなよ。これからが本番かもしれないんだ。油断してやられたら、いい笑い者だよ」

「へいへい、気をつけやすよ、相棒殿」

 サカキの忠告にカツジは適当に応じると、適度に反省したのか、そこからは無言になった。

 彼は見てくれも態度も不真面目そうな三流冒険者に見えるが、その実力は確かなものだ。いい加減そうに振舞っていても重要な点はしっかりと押さえており、今も言葉と裏腹に周囲への警戒を怠ることもなく、油断の無い足取りで森林を歩いている。

 サカキもそれに習い、周囲に気を払うと、ふたりで役割を分担しながら道を歩いた。

 渓流を飛び越え、崖をよじ登り、本隊の行軍に向いた安全な道を探しては目印を残す。

 そうして本隊のいる場所まであと少しといったところだ。

 サカキはふと、代わり映えのしない景色の中で微かな違和感を覚えた。

「カツジ、ちょっと待った」

 青年の前に出るなり、彼を手で留めた。怪訝な表情を浮かべたカツジを横目に、近くにあった一際高い樹木を駆け上り、見晴らしの良い場所を確保する。

「どうした? 本隊に何かあったのか?」

「いや……」

 カツジの言葉を否定しながら遠くを見回し、違和感の元凶を探す。

 ――……何かが起きている。

 違和感の元凶はそれか。遥か遠くに気配を感じる。それは追われるものとそのあとを追うもの――恐らくはヴィラルエネミー、このふたつの存在だ。

 サカキの知る限り、本隊から斥候として出されたのは自分たちだけのはずだ。だとすれば、自分たち以外の誰かがこのオルドナの森にいて、そして現在進行形でヴィラルエネミーに襲われ、窮地に陥っていることになる。

 大気の微細な振動を捉え、どんな変化も逃さないように五感を研ぎ澄ました。

 ――場所は……本隊からは遠い。相手の数は……。

 アバターの持つ超人的な感覚器官を総動員して、その正確な情報を割り出す。そして十分と判断するなり、樹木から飛び降り、

「おい、ソーマ!?」

 サカキは脇目も振らずに駆け出した。





 もはやどちらが北で、どちらが南かもわからない。

 少女は息を切らしながら森林を走り抜け、歩くことすらままならない獣道を辿った。

 少女の銀色の長い髪は汗で肌に張り付き、白を基調とした露草色の装飾が施された法衣には所々の汚れが目立つ。優しげな琥珀の瞳を今は緊張で力ませ、視界に映る光景から、自分が生き延びるために必要な情報を必死に探している。

「ミナみー! こちらです!」

 先頭を走っていたもうひとりの猫耳姿の小柄な少女が、後ろを振り返って合図する。

 銀髪の少女よりくすんだ銀色の髪を持つ小柄な少女は、茶屋袴に似た服の裾を滑らせ、その手に持っていた白柄白刃の打ち刀で前方の邪魔な枝を切り捨てた。そして人ひとり分を超える高さの段差を軽快に飛び越えると、その小さな手を銀髪の少女に向かって懸命に伸ばした。

「フミコ、ありがとう」

 その手を掴んで段差を登り、短く礼を言う。そして即座に、ミナみーと呼ばれた少女――『ミナ・ディセット』は、小柄な少女――『フミコ』とともに駆け出した。

 数秒後、彼女たちに続いてひとつの影が草むらを突き破り、ふたりのあとを追った。

 それは体高が成人男性ほどもある巨大なカマキリだった。

 特徴的である鎌の形状をした前足に、地を掴む四本の節足。森林の環境に適合した茶色の甲殻で草を押し退けながら、一直線にふたりを追っている。

「二十……いえ、三十はいます! 追いつかれたらひとたまりもありませんよ!」

 周囲から迫る多数の気配にフミコは声を荒げた。振り返って確かめれば、すぐ後ろの一体のほかにも、跳ねるように森林を駆ける同種のモンスターたちの姿が見えた。

 瞬時、アバターがその情報を解析、システムとして視界に表示する。

『見識判定:成功。ヴィラルエネミー:リッパーマンティス。属性:震地。トータルランク:C』

 システムがもたらした情報に、ミナは再度モンスターの姿を確認する。

 現実では存在しえない巨大な体躯に、人など容易に切り捨てられそうなほど大きな鎌。対面すれば一体だけでも恐ろしい化け物だというのに、それが三十体もいる。たったふたりしかいないこちらとの戦力の差は歴然で、もし捕まればどうなることか、想像するまでもない。

 絶対に逃げ切らなければいけない場面。――だというのに、現実とはかくも残酷なものだ。

「ぐっ……!?」

 先を行くフミコの足が急に止まった。何事かと近づき確かめれば、それまで続いていた道が何の脈絡もなく途切れており、その先には下を見ることもできないほどの深い崖が大口を開いていた。

「そんな……こんなところで!?」

 ミナは悲鳴とも、非難ともつかぬ声を上げた。

 飛び越えようにも、対面までの距離は三十メートル以上もある。超人的な身体能力を持つ戦士型アバターであるフミコならまだしも、身体能力の低い魔術士型アバターであるミナにはとても飛び越えられない距離だ。

「ミナみー! 危険ですから離れてください!」

 手で押し退けるようにしてフミコはミナと距離を取り、急いで後方に刀を向けた。

 数瞬の遅れのあと、ふたりに追いついた先頭のカマキリが躊躇せずにフミコに飛びかかる。振り上げられたモンスターの大鎌が、空を裂きながらフミコの体へと振り落とされた。

「――ッッ!」

 攻撃が当たる寸前。フミコは、抱きつくように覆い被さってきたモンスターの左側面へと体を滑り込ませ、白刃を一閃。モンスターの左足二本をまとめて斬り飛ばした。

 続く連撃。フミコは体を捻り倒しながら、刀を上空へと振り上げる。体勢を崩したモンスターは避けることもできず、胴体をふたつに断たれて絶命する。

 モンスターは、自身の肉体を構成するマナを血のように吹き散らしながら、形を失って霧散する。あとには【核】となる固形のマナの宝石が残るが、それに注意を取られている場合ではない。フミコは白柄白刃の愛刀――【一刀・此花朔夜このはなさくや】を手繰り寄せ、さらに襲い来る五体のモンスターを迎え撃った。

 一体目の頭部を先制の突きで貫く。左右から繰り出された二体目、三体目の大鎌の強襲を避ける。反撃を試みるが、四体目と五体目の波状攻撃に邪魔をされてしまう。どうにか二体を斬り刻み、さらに一体を蹴り飛ばすが、続々と到着するモンスターの援軍に勢いを徐々に殺され、ついには防戦一方となってしまう。

「フミコ!」

 窮地に陥った少女を救うべく、ミナは宙に手をかざして集中する。

 アバターを構成するマナと、大気中に存在するマナを共鳴させる。複雑な術式を介してマナの流れを掌握し、己が求める形へと昇華させていく。

 ミナの意に従ってマナは集結し、彼女の手の先にアクアマリンの結晶を生み出した。

「爪弾け水針! 汝は悪しきを責めゆく、報いの標なり!」

 詠唱から結晶を掴み取り、天に掲げて砕く。


 透水系統、共鳴晶術レゾナンスドライヴ【ウォーターニードル】


 結晶の破片が無から水流を呼び、水流は鋭利な長針と分かれてモンスターを襲う。

 うねる水針が巻き込むように三体のモンスターを穿ち、内部から四散する。魔術の一撃はモンスターたちの勢いを削ぎ、反撃の機会を生むには十分だった。

 ――だが、

「駄目です! 下がってください!」

 フミコはその行いを𠮟咤する。モンスターの大多数がミナを優先順位の高い脅威と認定し、一斉にその矛先を変えたのだ。

「ぁ……」

 迂闊な行いだった。護衛のいない魔術士が目立ち、狙われれば、そのあとがどうなるのか考えるまでもない。

 十数体にも及ぶモンスターが、殺意の波と化してミナの元へ殺到する。

 先行の一体の大鎌をミナは転がるように避けた。その隙を狙うように突撃してきた大カマキリの体当たりを避けようとするが、ギリギリ避けきれなかった。

 衝突から続く浮遊感。

「かはっ!?」

 僅かなあと、ミナは樹木に背中から激突した。その重く広がる鈍い痛みにミナの全身は囚われ、まるで縫い付けられたかのように樹木の幹によりかかった。

 苦痛に呻き、しかしどうにか霞む瞳で状況を確認すれば、――遅かった。目の前にはモンスターが一体、大鎌を振り上げている姿が見えた。

 ――そんな……。

 時間の流れが酷く遅く感じられた。鋭い刃が恐怖を煽るようにぎらつく光を放ち、ミナを射すくめる。モンスターの複眼が無機質的にミナの姿を捉え、それがより恐怖を増長させた。

 短く息を呑んだ。

「誰か助けて」と。そんな言葉を口にする暇も許されず、無慈悲な大鎌がミナの体へと振り下ろされた。

 彼女の身一つなど易々と切り裂けるであろう刃が、――しかし、それがミナに届くよりも早く。

『トン』と、指で叩いたような軽い音が響いたかと思うと、モンスターは何か巨大なものに轢かれたかのように真横に吹き飛び、樹木のひとつに激突した。

「……え?」

 驚きに目を見開き、飛ばされたモンスターの姿を確認する。

 モンスターは樹木の幹に叩きつけられ、ビクビクと情けなく痙攣していた。

 よく見ればその胴体には一本の細い投擲槍ジャベリンが突き刺さっており、モンスターは早贄のように樹木の幹に磔になっている。

 反射的に投げ込まれてきた方向を見た。

 木々の奥を探ったミナの琥珀色の瞳に、ひとりの少年の姿が映った。

 その少年は槍を投げつけた姿勢から立ち直ると、青い戦闘衣に闘気を迸らせ、戦意に満ちた瞳で、残るモンスターたちを睨みつけた。




「……間に合ったか」

 間一髪、少女の窮地を救うことに成功したサカキは、心の中で安堵した。

 だがそれも一拍の間のことで、油断することなく直ちに気を引き締めなおす。新たなジャベリンを何もない空間から光とともに呼び出し、手元で一転。狙いを済まして投げつける。

 懲りずにミナへと襲い掛かろうとしていたもう一体のモンスターが、鋭いジャベリンの一投に胴体を刺し貫かれて吹き飛び、絶命する。

 モンスターたちは、このままミナに近づくことは死を意味すると悟ったらしい。まずは邪魔なサカキを排除すべく、二手に分かれて動き出した。

「そうだ、それでいいんだ」

 目論見通りであると、サカキは挑発気味に微笑んだ。そして大地の表面を砕くほど強かに蹴りつけ、一足でモンスターの集団との距離を詰めた。

 空いた右腕で宙を払う。サカキの意思に呼応し、アバターの深奥に刻まれた【能力配列ルーンコード】が活性化する。

 空中に炎が生まれ、炎はサカキの右腕にまとわり付き、一振りの武器へと姿を変えた。

 現れたのは、一目見ただけでは大剣と見間違う、炎を称える赤き槍だ。

 魔力を内に秘めたその刃は薄光り、しかし力強い。持ち手は短槍の如き長さを持ち、それは、くり抜かれた刀身の内側からすらりと伸びている。

 剣と槍の中間。剣槍と呼ばれる、一風変わった風体を持つ緋色の槍。

 サカキは己の相棒――レッドランサー・イフリートを鮮やかに掴み取ると、さらに五体を加速させ、臆することなくモンスターの集団に突撃した。

 その動きはまるで変幻自在に軌道を変化させる弾丸だ。まずは相手が反応するよりも早く一体を串刺しにし、刃に込めた爆発性の魔力を開放。爆風と四散したモンスターの死骸で敵集団を牽制する。勢いを殺すことなく隙を見せた一体に切りかかり、袈裟懸けに両断。続いて樹木の幹を蹴りつけ、強制的に方向転換をなすと、二体をすれ違い様になぎ切りの一刀で処理する。

 ようやく反撃してきたモンスターの大鎌を、避けることなく真正面からその首ごと力技で砕き飛ばし、宙にマナの鮮血を吹き散らす。

 あれよあれよという間にモンスターは数を減らしていき、一分も経たないうちにその半数を消失。それはもはや狩りと呼べるほどで、一方的な戦いだった。

 全滅の危険を感じ取り、残る十体は同時に襲い掛かることに決めたらしい。ミナとフミコを無視してまで包囲陣形を築き、背中の羽を開いて飛翔する。

 少年がいくら手練れであろうと、大地と上空、四方八方からの一斉攻撃は交わしきれまい――そう判断でもしたのだろうか。

「……甘い」

 安直だ、数の力で押し切ろうとするのは。サカキは緋槍を水平に振りかぶり、刀身に赤々とした火を呼び熾した。


 炎熱系統、共鳴絶技レゾナンスブレイク【ブランディッシュ・フレイム】


 蓄えられた魔力が炎となって噴き出し、森林を紅蓮に染め上げる。なぎ払いの要領で放たれた炎の斬撃は螺旋を描き、全方位のモンスターをまとめて飲み込み、焦がし尽くし、薙ぎ飛ばした。

「しゅ、瞬殺……!? あ、あれほどいた敵をこんな短時間で……!?」

 モンスターの亡骸が降り注ぐ中、フミコが口を開けて驚愕する。それはミナも同様で、空いた口を両手で塞ぎ、信じられないとばかりの表情でサカキの姿を眺めている。

 魔力の炎が力を失って消失すると、サカキは周囲に残る敵を探した。

「……終わりかな?」

 さきほどの一撃で綺麗に全員片付け終えたらしい。サカキは体内のルーンコードに命じて、緋槍を炎に変えて送還した。

「えっと……とりあえずふたりとも、ケガはないかな?」

 サカキは、自分を見つめたまま固まっている彼女たちの様子を怪訝に思いながら、ふたりの元へと歩いていく。

「…………あの、大丈夫?」

 返事のない銀髪の少女を不審に思い、再度声をかけた。

 銀髪の少女はその言葉でようやく我に返ったようだ。「はわっ!?」と肩を跳ね飛ばせ、「こ、このたびは助けていただいて申し訳ありませんでした!?」とギクシャクとした足運びでサカキの前へと駆け出し、

「がふっっ!?」

 地面の蔦に足を取られ、盛大にこけた。

「…………」

「…………」

 気まずげな時間が流れた。ミナは地面に顔を向けたまま、耳先まで真っ赤にして起き上がろうとしない。

「あー……とりあえず、詳しい話は道すがらお話しましょうか? 騒ぎを聞きつけて、ほかのヴィラルエネミーがきたら困りますし」

 助け船を出すように、フミコが刀を納めながら意見した。

「そ、そうしようか……」

 バツが悪そうな顔で同意して、まずはふたりでミナを介抱することにした。

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