Scene45 二兎を追う者は二兎とも得る

❶ 

 北村ジュンは、額の汗を手でぬぐいながら時刻を確認した。

 23:26。

「どうやら、間に合いそうだな」


 予想通り、京都工業大学先端科学研究所の1階実験装置には、水素発生装置がある。

 こいつを電子盤に混入すれば十分な破壊力があるだろう。ほかにもリチウムが貯蔵されている。こっちに引火すればとんでもない大爆発が起こる。

 電話を使って葉を1階におびき出す。キーは開いているからと言って中に入ってもらう。その様子をモニターで確認する。葉が部屋の奥に入っていったタイミングでスイッチ・オンだ!

 ここまできたら、もうやるしかねえ!

 

 最終決戦の前に、身を清めておく必要がある。

 いったん自分のアパートに戻り、簡単に身辺整理をしておく。冷蔵庫と洗濯機と電子レンジ、それからパイプベッドだけしかない部屋に入る。

 いつ、どんなことがあってもいいように、余計なものは置いていない。情報はすべてパソコンの中にある。


 ずいぶんと久しぶりに帰ってきたような感覚に囚われながら、脱衣所で裸になり、熱いシャワーを浴びる。昨日の夕方からかき続けている嫌な汗をボディーソープでことごとく洗浄する。

 ジレットで髭をきれいに剃り、メントールの入ったシャンプーで髪を洗う。長く伸びた髪の毛をさっと切りそろえ、シャワーで流す。

 バスタオルで体中を拭き、洗濯をしたシャツとジーンズを履く。部屋の明かりを消し、玄関先で振り返る。いつ見てもがらんとした部屋だが、それなりの感傷がある。

 大丈夫だ。明日の夜にはまた戻ってくるよ。


 外に出ると、周囲はすっかり寝静まっている。2軒だけ部屋の明かりが付いている家がある。高校生が大学入試の勉強でもしているのかもしれない。あるいはスマホと向きあっているのかもしれない。

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 明日の夕刊には、大学の研究棟が爆発するというニュースが日本中に流れると思うと、そっちの方がはるかに重大だ。

 武者震いがする。真夏なのに寒気を感じる。敦賀の原発を爆発したときと同じだ。


 ビビるな。これは俺がやったんじゃない。すべてはヴァーチャルの世界の出来事なんだ! 

 今回の件については、俺は何も直接手をかけちゃいない。

 世界中の仲間が協力して、俺のプロジェクトに関わってくれたのだ。しかも彼らは人殺しを支援したわけでもない。俺という人間を信用して、俺の研究に必要なデバイスを調達してくれただけなんだ。もちろんそこには俺の努力もあるし、怜音による豊富な資金力もある。だがすべては俺への信用なのだ。

 深川明子といい葉傑偉といい、世界中に広がるネットワークの総体によって葬られるだけの話なんだ。

 誰も悪くはない。

 運がいいか悪いかだけだ。


 エルグランドのエンジン音が、真夜中の住宅地に響き渡る。

 足の裏全体でアクセルを踏み込み、高速道路へと向かう。予定では5時間余りで京都に着く。適当なパーキングエリアで仮眠を取ったとして、7時には大学に入れるだろう。

 向こうに着いたら、とにかく現場を見ておきたい。実験施設は電子ロックになっているが、解錠はこのパソコンを使ってできる。その辺りの事情を自分の目で確認しておく必要がある。


 実験施設の内部に入ったら、電子盤の近くに小型カメラを設置し、監視の体制を整える。もちろんカメラは施設と一緒に爆発して消し去る想定だ。

 カメラの設置が完了すれば、いったん外に出て、研究棟の入り口で張り込んで、葉を見つける。

 門番が定位置に付く7時半までは、校内への車の乗り入れはフリーだ。実験施設があるC棟のすぐ近くには30台ほど停められる駐車場がある。張り込みはこの車の中で行う。

 葉が研究室にいることを確認した後で電話を掛けて、1階のプラントに来てもらうように指示を出す。あの時、深川泰彦が原子炉に降りていったように、現場におびき出すのだ。

 そこまでいけば、計画は8割以上進んだも同然だ。


 すでにプラントの制御システムのコントロール権限は掌握してある。理系の大学のくせに、あっけなくネットワークに侵入されるあたり、どこまで油断しているんだろうとあきれるばかりだ。

 今回の事故によって、俺は、ネットワークの脆弱性を全国の大学に警告することになるんだろう。君たちの危機管理はざるだと。それこそ、社会貢献というものだ。


 マスコミが大騒ぎし、警察が現場に集中している間に、この車で萩に戻り、怜音と一緒にイスラエルに逃げる。深川明子へのリベンジ計画はイスラエルに行ってから練り直す。

 これで怜音の悲願も、俺の悲願もダブルで達成できるのだ。

 うおおおおおおーーーーっ!

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