Scene44 高校時代からの恋

「気多順一郎と面会させてもらいたいんです」

 19時を過ぎてから、透は怜音を呼び出した。

「でないと、明子が殺されてしまう」


 診察を終えて、すでにルームウエアに着替えていた怜音は、カウンセリングルームの入り口に立ち、冷酷な顔で透を見下ろした。心の中は依然として沸騰している。こんなところでリベンジを邪魔されるわけにはいかない。


「残念だけどね、そんな名前の人、うちにはいないわよ」

「ウソだ、調べは付いているんだ」

「なによ、その態度は。私はあなたが明子さんと一緒になるためにずっとサポート・・・・・・」

「ウソはもういい。あんたは気多と結託して明子を殺そうとしているじゃないか!」

 怜音は額に五寸釘を打ち込まれたように動けなくなった。

 すべてがバレている。いったい、どういうことなのか?


「ちょ、ちょっと、待って、もらえる?」

 怜音はショッキングピンクのケースに入ったスマートフォンを手に取る。心臓が凍り付いて正確に脈打っていない。


 北村ジュンは怜音からの着信に気づくが、出ない。

 待ってくれ、怜音。そのうちすべてが分かるから。

 バイブレーションが車内を揺さぶるが、そっちへは頓着せず、研究棟のネットワークに入るためのパスワードの解読を試みる。

「クソッ、昔みたいにすんなりと入れねえ!」


 2度目のバイブレーションが鳴り響く中、ディスプレイの時計を確認する。

 19:19。

 今日中にはネットワークに侵入して、1階の実験装置の制御システムに入り込む。 

 この施設ではキャパシタを製造している。おそらく燃料として水素ガスが使われているはずだ。LANによってつながれたシステムに入り込んで、電気盤内に大量の水素ガスを送り込めば、大爆発するだろう。

 葉を実験施設におびき出したところを狙い撃ちする。間違いなくあの世行きのはずだ。

 もう後がないんだ。

 一か八かの大勝負だ。

 0.01%でも成功の可能性があれば、そこにかけるしかない。俺にはそれだけの覚悟があるんだ。

 

「まあ、いいわ、あなたが何を証拠にそんなことを言ってるのか、私にはまったく分からないけど、とにかく身に覚えがないことだから、今日は帰ってちょうだい」

 カウンセリングルームの玄関先に立った怜音は、いかにも迷惑そうな顔を浮かべてスマートフォンをしまう。

「本当に、気多順一郎を知らないんですか?」

「だから知らないわよ、そんな人」

「あなたの高校時代の2つ後輩ですけど」

「え?」

 怜音はくっきりした二重まぶたの中の瞳を固まらせた。

「そもそも、あなたが私の高校時代のことを知ってるはずがないでしょう?」

「ご出身は青陵学園高校ですよね。あなたはその中の特別進学コースだった。千葉の実家から都心の名門高校に通い、そのまま指定校推薦で青陵学院大学に入学した。御主人である、アーロン・リーン氏は、あなたの家庭教師だった」

 怜音はセルロイドで作られた人形のように固まった。

「うそでしょ? あなた、何を目的にそこまで調べ込んだのよ」

 まさか、私と深川明子の関係まで知ってるっていうんじゃないでしょうね?


 怜音はカウンセリングルームの照明を付け、透を中に入れた。

 クライアント用の椅子に座らせ、自分はカウンセラー用の椅子に腰掛ける。

「思い出してください、気多順一郎です」

 怜音は真剣に記憶をたどる。依然として脳の奥が重い。

「分かりました。じゃあ、あなたの元で働いている人物がいるでしょう?」

 怜音は思わず背筋を伸ばす。北村ジュンの存在は一切公にはしていない。

「事務スタッフなら2人いるけど」

「違いますよ。いつも受付に座っているあの女性たちじゃありません。それ以外にあなたが雇っている人がいるはずだ。それが気多順一郎ですよ」

 怜音は後頭部に隕石がぶち当たったような衝撃を受けた。


 北村ジュンが、気多順一郎?


「高校時代からあなたのことが好きだった気多は、名前を変えてあなたを追いかけてきたのです」

「高校時代? 気多順一郎?」

 必死に記憶をたどるが、上手く思い出せない。なにしろ全校生徒が2千人を超えていたのだ。


「じゃあ、質問を変えましょう。どうして彼を雇うようになったのですか?」

 怜音は麻痺しかけた頭の中で、北村ジュンとの出会いの場面を思い出す。そういえば彼とどこで出会っただろう?


 そうだ、彼は最初のクライアントだった。

 アーロンを亡くした後、深川明子にリベンジするためにここに来た。

 臨床心理士の資格を持っていた私は、このビルを入手し、改装し、ここを開いた。クライアントなどなくても良かった。この本州の西の果てまで来て、リベンジのことだけを考えて1日を過ごすことは、それこそ精神を病むと思った。

 ただ、誰かと話がしたかっただけだ。

 自分と同じように心に闇を抱えた人となら話が出来ると思った。


 開業して1週間経ってもクライアントは現れなかった。

 次の週の月曜日に初めてドアが開いた。そこにいたのが北村ジュンだった。

 彼は高校を優秀な成績で卒業し、受験戦争を勝ち抜いて都内の名門大学に入った話を始めた。ところが学生時代にプライドをへし折られた。研究室の同僚Aに嫉妬し、自分の無力感を思い知らされた。自分は、偏差値は高いが、研究に必要なセンスと精神力、それにコミュニケーション能力やクリエイティビティが決定的に欠如しているという現実を、公衆の面前でAに指摘された。

 それからというもの研究室のメンバーから全く相手にされなくなっていった気がした。

 先輩でもあるAは、北村ジュンに説教じみたアドバイスをした。だが気多にはすべてが逆効果だった。己の不甲斐なさに絶望し、今後何をやってもうまくいかないことをはっきりと予見した。

 勉強するのが恐ろしかった。他の学生と比べられ、自分が著しく劣っていることを可視化されるのが耐えがたい苦痛だった。

 1年間休学したが、絶望感はますます増大するばかりで、結局大学をやめた。

 その後、アルバイトで生活をつないだが、同僚の土木作業員からもいじめをうけた。

 時が経つにつれてAへの怒りは募っていった。

 リベンジせずにはいられなかった。


 怜音は初めて現れたクライアントの話にすっかり聞き浸っていた。

 そうしてその精神は自分と共通すると思っていた。まるで、目の前の人物が地獄の同伴者のように思えた。


「その時、気多はすでに原発の事故を引き起こし、最初の目的を達成していたんですよ。知っていましたか?」

 怜音は思考能力を有さぬまま、透を見た。

 エングラム細胞のarea.Cから「知らなかった」という声だけが反響した。

「そうですか、あなたは何も知らされてなかったんですね。他にもまだ、あなたの知らないことがあるんです。じゃあ、まず、その原発事故の犠牲者からお話ししましょう・・・・・・」

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