Scene34 明子のシルエット

 眼前に架かる半円の橋から始まる参道の両側には、大きな松たちが手を広げて威嚇するかのようにそびえ立っている。遙か先に浮かび上がっている朱色の建物が本殿だ。

 本殿は、静かに、それでも何かを言いたげに、こっちを見下ろしている。


 早朝の参道をまっすぐに進む。風はひんやりと冷たく、木の葉のこすれ合いが緑の香りを運んでくる。明子の姿はない。


「流鏑馬馬場」と記された砂利道を過ぎると、目の前は左右に開け、いくつかの朱塗りの楼閣が姿を現し始める。

 手水舎を過ぎて、石段を半分ほど上ったところで、左手に巨大な切り株があることに気づく。ふと足を止めると、そばには看板が立ててあり、こう記してある。


長年の間鎌倉の歴史を見守ってきた大銀杏は、このたびの台風で倒れてしまいました。千年の樹齢を数え、関東大震災でも倒れなかったのに非常に残念です。現在は移植を済ませ、新たな芽が出てくるのを祈るばかりです


 これは、公暁くぎょうが実朝の首を取るために隠れていた銀杏の切り株にちがいない。

 立ち止まったまま、石段の上の本殿を見上げる。

 予感がある。明子はこの石段の先にいる。


 だが、本殿にたどり着いても彼女の姿は見えない。

 そんなはずはないと、必死に見回してみる。明子はここにいなければならないのだ。

 本殿に朝陽が差し込み、朱色がますます鮮やかになり、周辺の様子がはっきりとしてくればくるほど、そこに人の気配はないということも明らかになってくる。

 ため息をつき、きびすを返し、今上ってきた石段の上から風景の全体を見下ろす。

 

 視線の先にはついさっき浜辺歌男がタクシーを停めた大鳥居があり、そこを起点として、若宮大路がまっすぐに南に向かって続いている。そのはるか先には、由比ヶ浜が顔を覗かせている。昨夜、ホテルNAGISAの部屋から明子が眺めていた海だ。


 その時、由比ヶ浜から吹く潮風が耳元でささやく。誰かの気配を感じる。

 もう1度、本殿の方を振り仰ぐ。


 ほっそりとした明子の姿が現れたが、たちまち、幽霊のように消えていった。

 今まで彼女はここにいたのだ。結婚式を挙げたこの場所に立ち、もう2度と戻らない過去に思いを馳せた。


 明子のはこの場所にまだ残っている。

 彼女にはいろんな人の声が聞こえるのだ。

 だが、彼女は、迷いを引きずったまま、次の場所へ移動してしまった。

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