Scene7 ハイエナハッカー

「遠隔操作って、もちろんできるわよね?」

「地球上どこにいても可能です。MaCはインターネットで操作しますから」

「それならよかった。いやね、あいつら、旅行に行くらしい。鎌倉に」

「ほお、それはそれは」

「悠長なものよね。人がこんなにも怒り苦しんでいるときに。まあ、でも、いいんじゃない、想い出に残る素晴らしい旅行にしてやりましょうよ」

 怜音は2階のソファに腰掛けて、湯船に浸かるような格好でワインを飲んだ。葡萄の深味が麻薬のように眉間を駆け上がる。

 ブラインドから垣間見ると、濃紺の水平線上には漁り火がぽつりぽつりと並んでいる。

 平凡だ。


「とにかくサングラスだけは外さないように言っとかなきゃいけないわね」

「それだけはくれぐれも徹底願いますよ」

 北村ジュンは言い、左手で鼻毛を抜いた。


「で、今後、攻撃の計画はいかようにいたしましょう?」

「旅行中に8割のダメージを与える。それから、こっちに帰ってきてから残り2割のダメージであいつをぶっ殺す、そんなイメージね」

「それはまた、なかなかのハードスケジュールで」

「できる?」

「できますよ。殺せって言うなら、今すぐにでもできます。ターゲットは今も律儀にサングラスを装着していますから」

 北村ジュンは首を伸ばし、パソコンのディスプレイを覗き込む。

「よほど怜音さんのことを尊敬してるんですね。もはや教祖様ですよ」

 怜音は鋭い眼光のまま赤ワインを唇に付ける。


「ところで、ジュン君?」


 北村ジュンはマウスを握ったまま目だけ怜音に向ける。

「いろいろと話をしてよ、あなたのこと。私はカウンセラーなんだからさ」

「いや、ないですよ、べつに」

「もしあなたがまともな人間なら、こんなところにはいない」

 北村ジュンは頬を緩め、パソコンをぱたりと閉じ、ソファにもたれた。

「そりゃ、怜音さん、いろんな意味で失礼でしょ」

「興味を持ってるのよ、あなたに」

「ただのハッカーですよ」

「気軽に人体実験ができるような友達を世界中に持っている人が、ただのハッカーだなんて、私の頭がおかしいのかしら?」

「いえ、怜音さんは、ある意味、まっとうな方だと思います」

「ある意味、か」

 怜音はそうつぶやいたかと思うと、いきなりホイットニー・ヒューストンのような声で高らかに笑った。


「ボクがまともじゃない人間だっていうのも当たってますけどね。ボクは、人を殺したことがある」

 怜音は口を開けたまま、コブラのように喉元を伸ばし胸を張った。

「面白いわね、それって、もちろん冗談よね?」

「マジですよ。ボクは噓とかおべっかとかは得意じゃないから」

「じゃあ、どうしてこんなところにいれるのよ?」

「どうしてですかね? 悪いことじゃなかったのかもしれないですね」

「ごめん、頭が悪い私にはよくわからない。ちゃんと説明してほしいんだけど」

「誰もボクを捕まえようとしないんです」

「それって、いつのこと?」

「いつでしたかね、もう、かれこれ5、6年経ちますかね」

「ちゃんと覚えてないの?」

「ここ何年かの間は、とにかくやることが多すぎて、頭の中がごちゃごちゃになってるんですよ」

 北村ジュンは、左手で、今閉じたばかりのノートパソコンの天板を褒めるようにさすった。


「何となく聞くのが怖いんだけど、どうやって人を殺したのよ?」

「とあるプラントの制御システムに入り込んで、燃料を大量に流入させたんですよ」

「制御システム? 入り込んだ?」

「この社会は、ほぼネットワークシステムによって成り立っていますからね。それらをコントロールするための基幹システムに侵入したんです」

 怜音の眼光は依然として鋭い。


「最初は、役所とか、中小企業とかで試してみました。役所のシステムなんて、楽勝で入れましたね。職員の方々は皆さんご親切なんで、メールの添付ファイルを何の疑いもなく開いてくれるんです」

「コンピュータウイルスってこと?」

「そうです、あれです。フリーパスで内部に入ることが出来て、いろんな情報が手に入りましたよ。けっこう重要なものとか、しょうもないものとか。で、そうやって徐々に手応えをつかんでから、大規模プラントのシステムに入ったんです」

「何かを爆発させたとか?」

 北村ジュンは表情をほとんど崩さず、口角だけわずかに引き上げた。


「プラントの制御系も、サーバから現場までがLANによってつながれていて、それらは外部のインターネットと接続してるんです。だから、最初のサーバの認証さえ通過すれば簡単に侵入して、あとはやりたい放題という、おそろしくシンプルなシステムだったんです」

「普通はそんなところに目を付けないわよ」

「世界中のハッカーたちは、今この瞬間にも、ハイエナみたいな目をしてあらゆるチャンスを狙ってますよ」

「何のために?」

「ひとつは、自分のスキルを試したいんです。ハッカーって、基本、とんでもなく孤独な人間だけど、やっぱり誰かを驚かせたいですから」

 北村ジュンは怜音に注いでもらったワインで喉を潤した。

「もうひとつは、カネ目当てですかね。銀行から他人の預金を下ろしたり、今ではビットコインなんかが流行ってますから、そこのシステムに入り込めば何百億というカネを自由に動かすこともできるわけです」

「なんだか、恐ろしい時代になったわね」 

「世の中のすべてがネットとつながる時代になったんですよ。ハッカーたちにとっては夢を叶えるチャンスがものすごい勢いで広がってるっていうわけです」

 怜音は両手の指と指とを組み合わせて、テーブルの上に置いた。

「それで、ジュン君はどっちだったの?」

「ボクは、カネにはあまり興味がありません。カネを持ったまま棺桶に入るわけじゃないですしね」

「じゃあ、スキルを試したかった?」

 北村ジュンは唇をきゅっと結び、ワイングラスを置いた。

「ボクの場合は、事情がちと複雑かもしれません。が絡んでますから。他のハッカーたちみたいに、遊び半分じゃないです」

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