潮風のMemory

スリーアローズ

Scene1 まるで映画のシーンのように

「とりあえず、これで、よし、と」


 北村ジュンは猛禽類もうきんるいの目でノートパソコンのディスプレイを凝視しながら、髪を耳の上に掛けた。慎重な手つきでマウスを動かし、ある1点だけに狙いを定めて慎重にカーソルを合わせる。


「それじゃ、そのサングラスをしたまま、海を見てもらえませんかね」

 怜音はサングラスをきちんとかけ直し、細長い息をゆっくりと吐き出しながら、いつもの海に目を遣る。

 

 8月も半ばを過ぎた砂浜には人影はまばらだ。盆を過ぎるとクラゲが出るらしい。

 砂浜に沿って作られた遊歩道では雑種犬を連れた初老の男性が散歩している。犬は暑さでくたばっているが、男性の歩みは驚くほど軽やかだ。

 砂浜から突き出ている細い防波堤の上では子どもたちがはしゃぎ回っている。日傘を差して見守る母親の身なりを見ると、都市から帰省してきたの家族のようだ。


「何か、違和感とかあります?」

「特にないわね」

「何も感じない?」

「感じないわ、何も」

「オッケー」

 北村ジュンは土木作業員のような景気の良い声を上げ、這い回る蜘蛛の手つきでパソコンのキーボードを叩く。

 ディスプレイ上には、Python ―パイソン― によって書かれたソースコードがアリの行列のように次々と生み出される。


「じゃあ、何か、頭の中でイメージしてもらえないですかね」

「何でも良いの?」

「何でも良いです」

 怜音は、すぐにある記憶が思い浮かぶ。


 憎らしいくらいに青い空、海から運ばれてくる潮風・・・・・・

 車を降りた2人が松林の中をゆっくりと歩く。黒い眼鏡をかけたブロンズヘアの西洋人男性と、黒髪の日本人女性。

 身長差のある2人は、浜辺へと続く石段を不器用に下りる。日本海を前にした、白くて長い海岸だ。

 砂浜に打ち上げられた流木に腰をかけて、しばらくすると、2人はだんだんと打ち解けていく。

 まるで映画のシーンのような男女の光景に、嫉妬が爆発する。斧で2人の仲を切り裂きたい衝動に駆られるが、もう少し様子を見る必要があるのだと、思いとどまる。

 証拠エビデンスをつかまなければ次に進めない。

 どうせなら、最後まで見届けてやろうじゃないか。

 心拍は、スリリングな管弦楽のごとく、じわじわと駆け上がっていく。

 

 長いこと話し込んだ後、ついに男は女の肩に手をやる。少し躊躇している仕草が初々しく、見ているだけで喉元が焼け焦げそうになる。

 空の青をそのまま映し出したような海面は、2人を絵画的な世界に誘っている。

 すべては忌まわしい方向へと進んでいく。


「いいですよぉ、その調子だ・・・・・・」

 後ろで北村ジュンの声が聞こえる。

「じゃ、いくとしますか」

 彼は右手の中指でEnter keyをカチャッと弾く。

 すると、怜音の記憶の奥で、これまで聞いたことがないような不自然な音がした。同時に、重点的な脳しんとうを受けたような衝撃に襲われた。

 その音と衝撃は、確実に何かの潮目を変えた。


 次から次へとわき出てくるプログラムのソースコードが、北村ジュンの眼鏡のレンズに映り込む。

 怜音の胸の中には、自力では決してコントロールできない異様な感情が急激に膨れあがってくるのを実感する。


「パーフェクト、アメイジン!」

 北村ジュンがオーケストラの指揮者のように興奮した時、怜音は思わず瞳を凝らした。水平線の上の太陽が鉄のごとく真っ赤に燃えている。今まで穏やかだった水面はたちまちマグマの海へと変化した。

 何者かが心臓のビートを意図的に激しくしている。だが、目の前の光景だけは自分のものだ。頭の奥にこびりついた決して忘れることのできない記憶が目の前に広がっている。


 海はついに爆発し、すべてを吹き飛ばした。


「想像以上だ」

 北村ジュンがつぶやいた瞬間、砂は竜巻のように舞い上がり、そこにいた2人の男女も粉々に砕け散った。

 海も、砂浜も、半島も、対岸の街も、すべてが真っ赤なマグマの中に燃え上がった!

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