第10話 「ムチとアメ」

 ノワールに案内される形で彼女の部屋や武器庫といった場所を回った後にやってきたのは、裏庭と呼べそうな人気のない開けたところだった。


「このへんならば誰にも迷惑は掛けないだろう」


 そう言いながらノワールは腰にある剣に手をかけながら振り返る。

 今のノワールは普段の子供の姿ではなく大人の姿になっている。もちろん衣服は子供用のメイド服ではなく、動きやすい大人用の私服を着ている。どことなく騎士のように見えるのは、彼女の発する凛とした雰囲気が影響しているのだろうか。

 ――……今のノワールは別の意味で長時間直視できないな。

 今のノワールは誰もがすれ違えば振り返るほどの美人であるため、俺も意識してしまっている。これでも人並みに異性には興味があるのだ。まあ吸血鬼を異性として見てしまっている俺は、この世界でも人間としては珍しい部類に入るのかもしれないが。


「残された時間も少ない。さっそく始め……なぜそっぽを向いているのだ?」

「いや……その、なんだ」

「別に先ほどのように目のやり場に困る格好はしていないぞ……もしかして私のことを意識しているのか?」

「……悪いか」

「いや、別に悪くはないさ」


 爽やかな笑みを浮かべながら言うノワールからは、子供の時にはなかった大人の余裕と言うべきものが感じられた。

 もしかするとノワールは、子供のときと大人のときでは多少なりとも性格が違うのだろうか。それとも俺が姿の違いから印象が変わって見えているだけなのか。


「さて……始めるとしようか」


 ノワールはそう言いながら腰にある二振りの剣を綺麗な動きで抜き放つ。彼女の手に握られているそれらは、煌びやかに光を反射していることから間違いなく金属製だ。斬れ味はさすがに分からないが、ただこれだけは言える。あれをまともに受けたならば確実に負傷する、と。


「どうした? 君も魔剣を抜け」

「抜けって……普通は木製の剣でやったりするものじゃないのか?」

「本来ならばそうする……が、君には時間がなさ過ぎる。それにさっき手荒にやると言っただろう」


 時間がないからといって手荒すぎるだろ、と思わなくもないが、ノワールは確かに事前にそのように言っていたし、それを俺は承諾した。

 加えて……数日後には実戦が控えている。

 木製の剣で練習していては、敵と対面し剣を見たときに体が言うことを聞かなくなってしまうかもしれない。実剣を使ってやるのはその対策も兼ねているのかもしれない。

 そんな風に考えてしまう俺は、深読みのし過ぎなのかもしれないが……いやノワールの考えがどうであれ、彼女は俺に生き残る術を教えてくれようとしているのだ。どこまで考えてくれているのかで多少の違いは出てくるだろうが、彼女への感謝は変わらない。

 感謝の言葉にするのは簡単だが、それは今ではなく数日後の戦闘で生き残って帰って来れた時に言うべきだろう。今はただその日を迎えるために全力で訓練についていくだけだ。

 そう思いながら俺は、魔剣達を引き抜いた。同時に左右の腕にとてつもない重量がかかる。

 怪我をしていた左腕には鈍い痛みが走ったものの我慢できないほどではない。バランスを取るために足幅を広げながら俺はノワールに話しかけた。


「剣についてはもう言うつもりはないが、せめて基本的な構えくらいは教えてほしいんだが?」

「あぁ、そのへんは気にせずに自分の振りやすいようにすればいい」

「……適当だな」

「今君に必要なのは身を守るための術だ。そこに優雅さは必要なかろう……まあそもそもの話、私の本来の獲物は剣ではないからな」

「…………」

「そんな顔をするな。仕方がないだろう、私しかあいつの剣を知っている者がいなかったのだから」


 それはそうだが……別に初代の剣術じゃなくてもいいんじゃないのか。伝統やらを大切にすることが悪いとは思わないが、人によってはもっと向いているものがあったのかもしれないわけだし。

 とはいえ、魔剣達に紋章を刻まれた俺は初代と同じことをするのが1番良いはず。それに過去の魔王達のことを俺は何も知らないし、今は知る必要もない。目の前のことに集中するべきか。


「それと私の剣はあいつの見よう見まねだからな。魔剣の力を使った技などは教えてやれない。魔剣に触れることは出来るがな」

「……結果的に自分でどうにかしろってことだな」

「そうなるな。まあ深くは考えるな。あいつの剣も独学だったのだから、君は君の剣を作り上げればいい」


 それほどのレベルになるまで生き残れているのか、と不安の混じった疑問を抱いた矢先、ノワールが地面を蹴った。右の剣を上段に振り上げる。

 突然の展開に驚愕しつつも反射的に両手の剣を交差させて、振り下ろされた剣を受け止めた。耳障りな高い音が周囲に響き渡る。


「ふむ……反応は悪くない。だが初撃を防ぐだけでは生き残れないぞ」


 ノワールの浮かべる笑みは見惚れそうなものだが、胸元に突きつけられている剣のほうに意識が向くのは当然のことだろう。

 ――もしもここが戦場なら……相手がノワールじゃなかったら俺は死んでいた。

 剣を突きつけられるのは初めてではないが、恐怖心を煽られた俺は背中に嫌な汗を感じた。数日後の戦いで同じ状況ならば、目の前にある剣は俺の胸を貫いている。

 ここに来てから何度も死に掛けたことがあるだけにそれがリアルに想像できてしまい、吐き気がこみ上げてくる。


「安心しろ。ラヴィーネが相手ならともかく君にならば問題なく寸止めできる。とはいえ、直前までは当てるつもりでやるから出来るだけ防ぐのだぞ」


 ノワールは続けて「可能なら攻撃してきて構わんからな」と言うと一度距離を取った。彼女は振り返ると、ゆったりと剣を構える。

 防戦一方にしかならないほどに力量に差があるのに攻撃まで要求するなんて無茶苦茶な奴だ。

 しかし、無茶苦茶だろうとノワールの訓練についていくしかない。俺は左手のイグニスを前に、右手のナハトを後ろに引いて腰を落として構える。

 剣を構える自分自身にぎこちなさを感じるが、先ほど言われたとおり今の俺に優雅さといったものは必要ない。とにかくやりやすいようにやってみるだけだ。


「行くぞ!」


 軽やかな踏み出したノワールは一瞬にして距離を詰めてくる。本来の力は封印されていると言っていたが、並みの人間と比べれば化け物じみた速さだ。

 だが俺は無駄にハイスペックな人間を知っている。そいつと同程度ならば対応できないことはない。


「――ッ!」


 横向きに振られた剣に向かってこちらもナハトを思いっきり斬りつける。剣速で言えばノワールに分配が上がるが、剣の重量ではこちらが上のようで交わった刃はその場でほぼ硬直した。直後、彼女がやや右側面に回りこみながらもうひとつの剣を下方から振るう。

 ――このままじゃ横腹に剣を突きつけられて終わりだ。

 数日の戦いで生き残るために現状に精一杯抗おうと競り合いにあった右の剣を強引に押しながら、体を回転させてイグニスを襲い掛かってくる剣に叩きつけた。


「ほう……」


 と、ノワールは少しの驚きと共に感嘆の声を漏らしたが、すぐに笑みを浮かながら別方向から攻撃してきた。それにもどうにか対応する。

 舞うように剣を振るうノワールの姿は、煌びやかになびく金色の髪と相まって凛として華麗だ。誰もが彼女のことを魅力的だと言うだろう。

 だが今の俺には、彼女の魅力に酔いしれている暇はない。次々と向かってくる剣を捌くだけで一杯一杯なのだ。


「ふむ……身体能力はそれなりのようだな」


 そう冷静に呟くノワールに苛立ちを覚えなくもない。何せ息が上がっていっているのはこちらだけなのだ。同程度動いているはずなのに涼しい顔をされていれば俺だって思うところがある。


「ひとつ助言をしてやろう。その魔剣達は普通の剣に比べれば格段に重い。力だけで振ろうとせず、重心の移動を意識しろ」


 疲労もあって少しでも楽に振りたいという想いがあったのか、俺はノワールの助言を素直に聞いた。

 下半身にも意識が行ったこともあってか、わずかであるが力が連動して剣に伝わるような感覚を覚える。加えて踏ん張りも効くようになったため、腕だけで振るのとではかなりの違いを感じた。

 しかし、魔剣の重量に加えて寸止めとはいえ凶器が迫ってくる恐怖の中での無酸素運動に俺の体力は尽きようとしている。

 学内では上のほうだったとしても、平和な世界で生きていただけに実剣を持って長時間戦える体力はないのだ。


「……もう……無理だ」


 掠れた声で言うのと同時に、俺は盛大に地面に倒れこんだのだった。

 体中が酸素を求めており、自然と呼吸を早める。心臓もノワールに聞こえるのではないかと思うほどにうるさい。


「何を寝ている。君は戦場でもそうするつもりか?」

「はぁ……はぁ…………」

「ふ、冗談だ。そのまま寝ていて構わん」


 性質の悪い冗談はやめてもらいたいものだ。

 そう思っても今の俺は体を休めることを最優先に望んでいたため、文句を言う気力はなかった。

 完全にへばっている俺をノワールは両手の剣を鞘に納めて覗き込んでいたが、何を思ったのかこちらに歩み寄り始めた。彼女が浮かべている笑みから嫌な予感がするが、今は抵抗できそうにない。

 もうどうにでもなれ……。

 と、目を瞑っているとノワールに頭を触れられる。少し浮かされたかと思うと、すぐに彼女の手からは力が抜けた。

 ――いったいこいつは何を……おかしい。

 頭の位置が先ほどよりも高くなっており、後頭部には柔らかな感触がある。

 これはまさかと思いつつ下ろしていたまぶたを上げると、すぐ近くにノワールの綺麗な顔と豊満な胸があった。疲労がなかったならば、確実に飛び起きていたことだろう。頭をぶつけることになったかは、彼女の反射神経を考えるとどちらにせよなかったように思えるが。


「……何……やってるんだ?」

「膝枕、というやつだな」


 そんなことを聞いているんじゃなくて、なぜ膝枕をしたのか聞いているんだが。


「君としてもこのほうが寝心地が良いだろう?」

「別に…………寝たいわけじゃないんだが」

「そのへんは気にするな」


 気にするし、というか頭を撫でるな。

 と言おうかと思ったが、恥ずかしさはあれど別に不愉快ではない。むしろ心が落ち着く。今は少しでも体力の回復に努めようと思った俺はノワールの好きにさせることにした。


「嫌がると思ったがさせてくれるのだな」

「……疲れてるからな」

「ふふ、そうか。まあ存分に味わっておくといい」


 頼んだわけでもないのに上から目線で言われることに思うところがなかったわけではないが、おそらく今の言葉には「君は数日後にはこの世にいないかもしれないのだからな」といった隠されているような気がした。そのため言葉を呑みこんでおくことにした。


「それにしても……汗ばんだ首筋というのもなかなか」


 少しだけ目を開けてみると、頬を赤らめたノワールの顔が見えた。呟かれた言葉と表情を見る限り性的興奮を覚えているように思える。

 大人の姿になってからは多少まともになったような気がしていたが、やはりノワールはノワールのようだ。


「…………欲望に素直になってみたらどうだ?」

「ん? はは、確かに君ほど私好みの男は滅多にいないからな。近いうちに死ぬかもしれないと思うと魅力的な提案ではある」

「……さらに縁起の悪いこと言うなら眷属にでもしてくれ」


 眷属になれば生き延びる可能性が格段に高くなることから言ってみたのだが、ノワールは数回瞬きすると俺の頭を軽く叩きながら笑みを浮かべる。


「眷属になるということは人間をやめて、私と共に永い時を生きるということだぞ」

「魔国は別に人間じゃなくても問題ないんだろう?」

「それはそうだが……君は私ではなくリーゼのものだろう?」


 別に俺はリーゼのものではない。

 だが俺自身としては、俺の命は彼女のものだと思っている。

 リーゼが望むならば命だって投げ出す覚悟はある。それがアスラを奪ってしまった俺の償いと罰だ。

 といっても、あの子はきっと俺に生きることを望むだろう。死んで詫びるという道は選べそうにない。それにアスラとノワールにリーゼのことを頼まれている身としては、簡単に死ぬわけにはいかない。

 アスラが成すはずだった事を成すまでは……。


「それに眷属になれば血を欲するようになる。下手をすればリーゼを襲いかねない。君はそれでいいのか?」

「……いいわけないだろう」

「なら……眷属の話は終わりだ」



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