第6話 「金髪紅眼のメイド」

 リーゼと話していると扉を叩く音が聞こえた。彼女が先ほど頼んだ付き人が戻ってきたのだろう。


「どうぞ」

「失礼する」


 中に入ってきたのは、メイドらしき服装をした小柄な少女。足元近くまで伸びている金髪と俺よりも鮮やかな赤い瞳が印象的だ。彼女の手には黒衣が持たれており、無駄のない動きで近くまで歩いてきた。

 ――……何でこの子は、俺のことを凝視しているんだ?

 こちらを真っ直ぐに見つめる少女の瞳には驚きのような色が見て取れる。

 しかし、俺は別にアスラに瓜二つというわけではない。驚かれる理由は……あったとしても、このような男が魔王になるのかといったものしかないだろう。


「えっと……どうかしたか?」

「いや……懐かしい知り合いの顔を思い出しただけだ。それより……リーゼミレア、大丈夫と言っていたが彼の衣服には血が染み付いている。嘘は良くないぞ」


 懐かしいという言葉にも疑問を抱いたが、リーゼと対等に話しているほうが気になった。メイドが主にそのような口を聞いても問題ないのだろうか。


「ノワールは怪我の具合はどうなのかと聞いたじゃありませんか。だから大丈夫です、と答えたのです」

「……こちらにも落ち度があったことは認める。しかし、もう少し気を利かせてもいいだろう」

「ふふ、すみません……シンクを置いてけぼりにしてますね。シンク、こちらは……」

「自己紹介くらい自分でする」


 と、リーゼの言葉を遮った少女は黒衣をテーブルに置いてから再度俺に顔を向けた。


「はじめまして、新たな魔王。わたしはノワール・ドラボルグだ」


 スカートを摘みながら挨拶する少女には、年不相応な淑女さが感じられた。

 彼女から漂う雰囲気も何故かリーゼよりも年上のように感じる。身長があまり伸びなかっただけの可能性があるため、すでに彼女は成人しているのかもしれない。


「こちらこそはじめまして。俺は……シンク・ルシフェルってことになるのかな?」

「そうですね。今は式が行える状態ではありませんので厳密には違いますが、そう名乗っても構わないでしょう。それと、ノワールにはシンクの身の回りの世話を頼んでいますので困ったときは何でも言ってください」


 にこりと笑うリーゼに礼を言うべきなのかもしれないが、身の回りの世話というのがどこからどこまでなのかが非常に気になってしまう。

 部屋の掃除くらいならばありがたいが、着替えまで手伝われるのは堪ったものではない。これまでの習慣から言って着替えくらいは自分だけで行いたい。

 それに……小学生くらいの背丈の子に世話をしてもらうというのは、何というか申し訳ないというか情けなく思ってしまう。


「あっ……でも、その……如何わしいことはダメですよ」

「は……?」

「そこは聞き返さずに理解してほしい。リーゼミレアも年頃の娘だ。色々と興味がある」

「ノ、ノワール、そういう言い方はやめてください。変な誤解をされるじゃありませんか!」


 顔を赤くしながら怒るリーゼと、何事もないように聞き流しているノワール。

 何というか……はたから見ていると妹にからかわれて怒っている姉のような構図に見える。主従以外の関係に思えるだけにふたりの関係は実に気になるところだ。


「シンク、変な誤解はしないでくださいね!」

「ああ、それは大丈夫だから落ち着いて。……ところで、ふたりはどういう関係というか、ノワールって一体何者なんだ? 普通はリーゼにそんな態度はできないと思うんだけど」

「それは……」

「あぁそれはですね――」


 ノワールが口を開こうとした矢先、落ち着きを取り戻したのかリーゼが口を開いた。少しだがノワールの顔が不機嫌になったように思える。


「ノワールは私が生まれる以前からここに仕えてくれているんです。言うのは恥ずかしいですが、私も小さい頃は彼女に世話してもらっていたんです」

「……歴代の中でもリーゼミレアは手間のかかる子供だったな」


 仕返しなのかノワールは何かを思い出しながらしみじみと言った。リーゼが再び顔を赤くして小言を言うまでもない。

 ノワールの言い方からして長い間仕えているように思えるが、どう見ても彼女は子供だ。大人だとしても何代も仕えてきたならば老婆と呼べる年齢のはず。さすがにこの容姿はありえない。


「あのさ……ノワールって何歳なんだ?」

「シンク、女性に年齢を尋ねるのは失礼です」

「別に構わない。わたしの今の見た目を考えれば当然の疑問だ。初対面の相手がなおさらな。わたしの年齢は……確か」

「や、やっぱり具体的な数字はいい」

「そうか? まあ、いいというなら答えないでおくが。……そうだな……この国が出来た頃から仕えているから最年長の部類に入るとだけ言っておこう」


 この国が出来た頃……それって初代魔王から仕えているってことだよな。俺で何代目になるのかは分からないけど、少なくともノワールの年齢は3桁に上っているはず。

 魔法なんてものが存在していることから覚悟はしていたし、兵達の中には人間以外も混じってる感じだったから分かってたけど、彼女は人間じゃないのか。


「ノワール……さんは、人間じゃないんですか?」

「ああ、わたしは吸血鬼だ。その証拠に……」


 ノワールが口を開くと、確かに吸血鬼の特徴でもある牙があった。彼女が小柄なため牙と呼べるほど大きくはないが、人間のものより鋭いのは確かだ。嚙まれれば肌は軽く破られるだろう。


「それとわたしのことは呼び捨てでいいし、タメ口で構わない。そちらは魔王でわたしは使用人なのだから」

「分かった……にしても吸血鬼か。だからさっき血がどうのって言ってたんだな」

「そうなる。ずいぶんと長く生きているから若い吸血鬼のように衝動的に血を吸うことはないに等しいが、君は初代によく似ている。血の匂いも実にわたし好みだ。さぞ味もわたしの好みだろう」


 ノワールの顔を見る限り冷静さはあるようだが、どことなく恍惚さがあるように見える。リーゼがいるのでいきなり血を吸われるということはないだろうが不安は消えない。

 というか……俺はどのように反応すればいいのだろう。血の匂いだとか味がどうのとかこれまでに言われたことないんだが。


「とはいえ、襲ったりするつもりはないから安心するといい。君はリーゼミレアの夫になる予定があるしな。まあ君のほうから来た場合は……立場的にも受け入れるが」

「ノ、ノワール……ななな何を言っているんですか!?」

「別におかしいことは言っていないだろう。歴代の魔王の中には側室を持った者はそれなりにいたのだから。それに……わたしとて女だ。人肌が恋しくなるときもある」


 見た目とは裏腹に色気を出しながら放たれたノワールの言葉に何を想像したのか、リーゼの顔は茹でたタコのように真っ赤になる。いつもこんな風にからかわれているに違いない。

 それにしても、年頃とはいえここまで反応する人間は極稀なのではないだろうか。というか、リーゼは清純そうに見えるだけにむっつりだったのが意外だ。

 ――……きっとアスラとの将来も考えたことがあるんだろうな。

 つくづく俺はリーゼにふさわしくない。魔剣の問題と迫りつつある危機などから魔王になる他ないわけだが、夫婦として振る舞うのは最低限の時だけにしよう。そのほうが彼女を苦しませることはないはずだ。


「それよりリーゼミレア、君は部屋から出て行け」

「この流れで出て行けるわけないではありませんか!」

「着替えてもらうから出て行けと言ったのだが……裸が見たいのか? いやまあ、異性に興味があることは知っているが」

「だから誤解を招きそうなことを言わないでください!」


 と、ノワールに怒声を浴びせたリーゼは足早に出て行った。

 扉の閉まる音の余韻が消えると、部屋内はわずかな時間静まり返ったが、ノワールの視線が俺に向くのと同時に無音は消える。


「あまり時間をかけると誤解されかねないから手短に済ませよう。脱げ」


 異性(しかも見た目は小学生)から脱げと言われたのは人生で初めてだ。

 ここですぐに脱げる奴は脱げるのだろうが、あいにく俺は使用人がいるのに慣れている御曹司でもなければ、体を自慢できるマッチョでもない。脱げと言われて反射的に脱げるわけがない。


「腕も一応動かせるし……できればひとりで着替えたんだけど」

「……分かった」


 身の回りの世話をするのがわたしの仕事だ!

 などと言われたらと不安だったが、どうやら筋金入りのメイドではないらしい。いや長年務めたメイドだからこそ、主の意思を尊重しているのか。まあどちらにせよ、これで心置きなく着替えられ……


「……何でそんなにこっちを見てるんだ?」

「ちゃんと着替えられるか見届けるためだ」

「俺はそこまで子供じゃないんだが」

「わたしからすればそのへんの老人でも子供と変わらん。まあ本音を言えば……目の保養だ」


 この合法ノリ的な吸血鬼は何を言っているのだろう。先ほどのリーゼのときのようにからかっているのだろうか。

 しかし、吸血鬼の目は真剣……これもブラフという可能性も否定できない。考えてないで言葉で気持ちを伝えよう。


「出て行ってもらえると助かるんだけど」

「出て行ったら部屋の外にいるであろうリーゼミレアから何か言われるだろう。ただでさえ、今でも扉越しに聞き耳を立てているかもしれないというのに」


 そんなことしてません!

 と、聞こえるかと思ったが……どうやらリーゼは俺達の会話を聞こうとはしていないようだ。普通に考えれば、そのようなことをする子ではないと思うのだが、ノワールとのやりとりを見たせいかイメージが揺らいでしまっている。


「じゃあ、せめてこっちを見ないでくれ」

「……ダメか?」

「上だけならともかく、下も着替えるんだからダメだ」


 というか、何で上目遣いで可愛い声を出したんだ。見た目はあれだけど、落ち着きのある女性だろあんたは。もしも今みたいにして人を騙しているのなら悪魔認定するぞ……ノワールは吸血鬼だから、俺の感覚で行くと悪魔みたいなものだけど。


「魔王は恥ずかしがり屋だな。まあ、機会は今後いくらでもあるから今回は従ってやろう」


 こちらに背中を向けてくれたが、その際に言った言葉が言葉だけに全く信用できない。

 俺との関係を魔王と使用人だと言う割にこの吸血鬼は俺のことを兵達が思っているものとは別の意味で魔王扱いしていない気がする。

 とはいえ、いつまでもこのままというわけには行かないため、様子見として上から着替えることにした。現状のような変な緊張感を感じるくらいなら、恥ずかしさを我慢して手伝わせたほうがマシだったかもしれない。


「む……音だけというのも、想像力をかきたてられて興奮してくるな」


 呼吸がやや荒くなっているだけに言っていることは真実である可能性が高い。見た目は子供くせに考えることは大人過ぎる。というか、発情でもしてるんじゃなかろうか。

 冷ややかな視線を送っていると、ノワールが少し慌てながら「いかん、性的興奮は1番血が吸いたくなってしまう」などと危険極まりないことを口にした。

 そのため俺は着替えるのを中断し、数歩後退しながらノワールをしばし観察する。


「おい何をしている。さっさと着替えろ」

「だったら黙ってじっとしててくれ」


 普段よりも強めの口調で返事をした俺は、覚悟を決めて速やかに着替えを終わらせようと動き出す。

 ノワールに気を取られていると着替えるのが遅くなりそうなのだが、リーゼがむっつりに育ったのは彼女が原因ではないのかと思ってしまった。俺は無意識に手を止めて、視線を彼女の方へと向ける。


「……着替え終わったのか?」

「い、いやもう少しだ!」

「今の状態のわたしに見られると思って慌てるとは……可愛いところがあるじゃないか。……っと、また興奮してきてしまった」


 急いで着替えながらノワールが振り返るのではないかと確認していると、何やらもじもじしながら独り言を言っている。

 先ほど興奮するといった発言をしてだけに、今にも血を吸いに来るのではないかと不安で仕方がない。

 魔剣用と思われる剣帯やロングコートは身に着けていないが、とりあえず見られても問題ない状態になった俺は不安を掻き消したい思いでノワールに終了を告げた。


「……まだ途中じゃないか」


 こちらを見たノワールは、落胆した顔を浮かべた。

 確かにまだ身に着けていないものはあるが、そこまでがっかりされることではないと思う。そもそも……ノワールはいったい何を期待していたのだろうか。スタイルが良いと何度か言われたことはあるが、着慣れていない感が溢れているので栄えてはいないと思うのだが。

 まあ渡された衣服が基本的に黒色だから栄えないといえば栄えないのだが……。


「……なるほど。魔王はこう言いたいのだな。残りはわたしに着せて欲しい、と」

「どうやったらそんな解釈になるんだ……」

「ほら、ぼさっとしてないで袖に腕を通せ」


 着せて欲しいと言った覚えはないのだが、抵抗するのも面倒臭かったので素直に腕を通すことにした。

 他人から着せてもらうということには、慣れていないだけに何とも言いがたい感覚に襲われる。

 単純にノワールとの身長差があるために着づらいだけかもしれないが。ただそれも言わないでおくことにした。



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