第3話 「消える灯」

「シンクさん――ッ!?」

「姫様、急ぎお逃げください!」

「でもシンクさんが……!」

「あなたが死んでしまっては皆の死が無駄になるのです!」


 痛みに耐えながら顔を上げると、兵士に連れられて行くリーゼの姿が見えた。

 こちらを見ながら抵抗しているようだが、俺は内心で兵士に早く連れて行くように願った。俺のところに来て死なれては堪ったものではないからだ。

 負傷は地面を転がった際にできたかすり傷や打撲、左腕の傷口が開いたくらいで、爆発付近にいた割にはひどい怪我は負っていない。


「ッ……動けるだけマシだよな」


 急いでこの場を離れようと、体に鞭を打って歩き始める。

 耳には兵士達の雄叫びや悲鳴、金属同士がぶつかり合う音、爆発といったものが響いてくる。体が竦みそうにそうなるが、立ち止まってしまえば命の灯火が消えてしまうだろう。

 そんな死への恐怖が何よりも勝っていたため、俺は足を止めることなく歩き続ける。


「うおおぉぉぉッ!」


 突如として聞こえてきたこちらに近づいてくる雄叫び。

 振り返ると……そこには剣を振り上げている兵士の姿が見えた。身に付けている装備からして敵だとしか言いようがない。

 ――ここで……死ぬのか?

 死に直面したことによって思考が加速しているのか、次々と過去の出来事が蘇ってくる。生へと執着は強まるが、視界に映る凶器は徐々にだが確実に俺に迫ってきた。


 斬られる。


 そう思った瞬間。

 目の前にいる敵兵の背中から鮮血が舞った。倒れ行く敵兵越しに現れたのは、二振りの剣を持った黒衣の男――アスラだった。


「……とりあえず無事みたいだな」

「まあ……とりあえずは」

「リーゼはどうした?」

「兵士が先に連れて逃げましたよ」


 返事をしたのだが、アスラは無言のまま俺を上から下まで観察している。

 俺はところどころ怪我をしているが、昨日の戦場での言動を考えると優しい言葉が出るとは考えにくい。いったい何を考えているのだろうか、と思考を走らせているとアスラは小さく笑った。


「何ですか?」

「いや……リーゼに惚れたのかと思ってな」

「……こんなときに何を言ってるんですか」

「お前の行動はおかしい。戦の匂いがしない人間なのに、自分の身を犠牲にしてでも誰かを守る。それでも一度だけでなく何度も……」


 アスラの言いたいことは大体分かった。

 確かに俺の行動は異常と言えば異常だ。本来俺のような立場になった人間は、パニックを起こすなり誰にも構わず真っ先に逃げ出すのが普通なのだろう。

 ――この人の言うとおり、惚れてるのかもしれないな。

 リーゼは俺にとってここで最初に出会った人間で命を救ってくれた少女だ。それに俺なんかのことを気遣ってくれて話しかけてくれた。アスラがいるため惚れたとは言いがたいが、少なくとも守りたいという思いがあることは認めざるを得ない。


「まあ戦を知らないからできる行動なのかもしれないし、人助けが当たり前の場所で育っただけかもしれないが……何にせよ、リーゼを助けたことには礼を言う」

「そういうのは……あとにしませんか?」

「そうだな。お前に死なれてはリーゼから何を言われるか分かったものじゃない」


 アスラは顔つきを変えながら「行くぞ」と言うと、リーゼが向かったほうへと走り始める。

 戦場に戻るのではないのか、と思いもしたが、ルシフェルまでそう距離はないという話を思い出した。周囲の兵士達も応戦しながらも撤退しているようなので、各自隙を見て撤退するように指示が出されているのかもしれない。

 詳細は分からないが、逃げることしかできない俺が考えても仕方がないことだ。俺が今すべきことは、アスラに何が何でもついていくことだけだろう。

 痛みに耐えながら走っていると、後方から敵兵の声が聞こえてきた。耳に届いた内容からして、どうやらアスラの首がほしいらしい。


「お前は立ち止まらずに走れ」


 それだけ言うと、アスラは方向転換して敵兵へ向かって行った。

 大丈夫なのか、と思い首だけ振り返って確認してみると、一瞬にして数名の敵を斬り伏せる彼の姿が見えた。どうやら杞憂だったらしい。

 アスラに守られながら進んでいると、道らしい道が見当たらない森に到着した。

 兵士達が通って出来た獣道は何個もある。全てが正しいのかもしれないし、どれかはフェイクなのかもしれない。

 迷っている場合ではないが、間違った道を選ぶわけにもいかない。

 そう思った俺は、アスラが来るまで待つことにした。のだが――


「何ぼさっとしている! こっちだ!」


 ――と、撤退中の兵士に声をかけられた俺は反射的にそちらへと向かった。進んでいると、妙に開けた場所へと出た。

 先行していた兵士は立ち止まると、腰にあった剣に手をかける。

 その姿に強烈な違和感に襲われた俺は周囲を見渡した。すると……茂みの至るところから血で赤く染まっていたり、人の腕などが姿を覗かせている。

 身の危険を感じ、先ほどの場所まで戻ろうと動き始めようとした矢先、鈍色の刃が眼前に迫ってきていた。


「くっ……!」


 紙一重で回避に成功することが出来たのは運が良かったとしか言えない。少しでも怪我の具合がひどかったり、身体能力が低かったならば俺の命の灯火は消えていたはずだ。

 攻撃を避けられた兵士は驚きの顔を浮かべたが、それはすぐに気持ち悪い笑みへと変わった。弱いくせに楽しませてくれる、とでも思っているのだろうか。


「あんた……ルシフェルの兵士じゃないのか?」

「ケケ、ルシフェルの兵士だがそれがどうした?」

「俺はともかく……周囲の兵士までやったのなら裏切りなんじゃないのか?」

「裏切って悪いのか? かつては魔国の中でも大国だったって話だが今では小国。国の頂点はあんな小娘だ。そんなに長くは持たねぇだろう」


 言っていることは人間らしいとも言えるが、その一方で人間性を疑うものだ。

 とはいえ……そんなことを考えている暇はない。べらべらと会話してくれている間にこの場を切り抜ける方法を考えなければ。

 ……相手は鎧を着ている。走って逃げれば……いやダメだ。普段の俺ならまだしも、今は負傷している。いつものように走れない。となると……俺に味方してくれる人間が来るのを待つしかないか。


「諦めたらそこで終わりだと思うが?」

「世の中には努力だけじゃどうにもならないことだってあるんだよ。あんな小娘のために死ねるかってんだ。まあ……顔と体だけは良いから、ヤらせてくれるんなら考えてやらないわけでもねぇが」


 下品な笑みを浮かべながら発せられた言葉に、強い怒りの炎が湧き上がる。

 他人に対して強い感情を抱くことは少なかった俺だが、目の前にいるこいつには反吐が出る。このような男がリーゼを好きにしていいはずがない。


「何だよその反抗的な目は? お前だって似たようなこと考えたことあるだろうが。お前の場合、あっちから尻尾振ってきてたんだしよ」

「お前みたいなクズと一緒にするな」

「アァ? ……殺したところで何の価値もねぇし、度胸あるみてぇだから仲間してやろうかなって思ったが、やっぱ……殺す!」


 怒りを顕わにして襲い掛かってくる兵士。戦闘の経験なんて皆無ではあるが、あのお人好し会長に巻き込まれる形で強盗を逮捕したことがある。

 兵士の手に持たれているのはそのときのようなナイフと違って剣だが、怒りで大振りになっているため見切れないことはない。


「ちょこまかと……さっさと死ね!」


 そう言われて死んでやるバカがどこにいる。

 と、内心で毒を吐きながら必死に迫ってくる剣を避け続ける。だが身を捻って避けたとき、負傷していた左腕から強い痛みが走り、体が硬直してしまった。

 時間にしてみれば一瞬のことだったが、この一瞬がまさに命取りだった。


「グヘヘ……」


 下品な笑みと共に振り上げられ、まさに今振り下ろされようとしている凶器。避けようとしたところで、斬り口が頭から肩に変わる程度だろう。

 ――ここまでなのか……。

 恐怖から目を瞑った俺の脳裏に、星也達や両親の姿が浮かんできた。出会って間もないリーゼまで浮かんできたのは不思議ではあったが、それだけここに来てからの彼女の存在は大きかったのだろう。できることならば、最後にまた彼女の笑顔を見たいものだ。


「うぐっ……!」


 聞こえたのは俺――でもなければ兵士の声でもない第3者の声。

 誰なのかと思い確認しようと思ったが、俺の体は声の主に抱きとめられる形で横方向に飛んでいた。地面を何度も回転、ようやく止まったかとまぶたを上げるとアスラの姿があった。


「……平気か?」


 急激な感情の変化から上手く言葉を発せられなかった俺は、首を縦に振ることで返事をする。アスラは一瞬だけ笑みを浮かべた後、意識を兵士の方へと向けた。


「まさか隣国だけでなく、兵からも裏切りに遭うとはな……」

「よりにもよってアスラ様に見つかる……いや、好機か。これまでの疲労だってあるだろうし、何より今出来た傷は深い。立ってるのだってやっとのはずだ」

「何をぶつぶつ言っている?」

「ああ……あんたの首を頂くって言ってたんだよ」


 一段と気持ち悪い笑みを浮かべる兵士。強さで言えばアスラのほうが遥かに上だと思われるが……。

 ふと視線をアスラへ向けると、背中が鮮血で染まっていた。転がってきた地面にも赤く染まっている部分がある。出血の量で言えば俺の比ではない。

 声をかけようという思いに駆られるが、アスラの瞳には怪我人とは思えない力があった。加えて、すぐに彼が動き出したこともあって声をかけることはできなかった。


「寝言は寝てから言うんだな」


 一瞬にして距離を詰めたアスラは、右の剣で敵の剣を弾き飛ばし、左の剣で兵士の首を断ち斬った。悲鳴さえ上がることなく終わったことから、まさに瞬殺。

 生き永らえたことに安堵を覚えた直後、力強く立っていたアスラの体から急に力が抜けた。それを見た俺は、体の痛みを忘れて彼のほうへ走る。


「大丈夫か!?」

「大……丈夫とは、言えないな」


 それが偽りでないことを、背中に回している右腕に感じる血の感触が証明している。

 血が止まりそうにないこと、命の灯火が急激な速度で消えかけていることも直感的に分かった。


「何で……何で俺なんか助けたんだ」


 俺が死んだところでここで悲しむのは星也達くらいだ。リーゼも悲しんでくれるかもしれないが、結局のところ数人悲しむだけ。問題がないといえばないに等しい。

 だがアスラは違う。

 リーゼにとって大切な人であり、兵からも信頼されている。今後のルシフェルという国にとって必要不可欠な人間なのだ。無力な俺とは違う……。


「俺なんか……何もできない人間なのに」

「お前は……何もできない人間なんかじゃない。何度も……リーゼを救った」

「そんなのも偶々で運が良かっただけだ! 俺は……俺は無力な……!」


 最後まで言えなかったのは、頬にアスラの手が触れたからだ。彼の顔にはとても優しげな笑みが浮かんでいる。まるで最後の力を振り絞っているかのように……。

 俺は頬に触れているアスラの血に濡れた力のない手を力強く握り締める。傷が痛んだものの、そんなものは些細なことでしかなかった。


「シンク、お前は……無力なんかじゃない」

「何で……そう言えるんだ。俺は……」

「黒い髪に……紅い瞳。この二振りの魔剣の……最初の持ち主。ルシフェルを築き上げ……歴代で最強と謳われた初代魔王と…………お前は同じ特徴をしている」


 アスラは俺から視線を外すと自分の力だけで体を支え、震える手で二振りの剣を握り締め、こちらに差し出してきた。

 そんなことをしている暇があるのならば、生き残るために何かするべきだ。

 と思ったが決して言うことはできなかった。死が迫っているというのに……いや迫っているからこそなのかアスラの瞳には有無を言わせない迫力があったのだ。

 右手に漆黒の剣、左手に真紅の剣を受け取ると、それぞれの手に凄まじい重みがかかる。

 次の瞬間――。

 左右の剣から何かが発せられたかと思うと、体の中を探られるような感覚に襲われる。胸辺りに到達すると、何もなかったはずの空間をこじ開けられ、今まで感じたことがないものが体中に溢れ出した気がした。


「――っ!?」


 直後。

 右の剣から漆黒の闇が、左の剣からは紅蓮の炎が巻き起こった。

 それらは俺の両手を包み込んできたため、反射的に剣を手放しそうになったが一瞬で消滅してしまう。

 いったい何だったのか、と疑問を抱いていると両方の手の甲に紋章のようなものが刻み込まれていた。より謎が深まる俺だったが、そんな俺を見てアスラは嬉しそうに笑う。


「魔剣に認められるだけでなく……紋章も刻まれたか。やっぱりお前は……ぐっ」


 表情が歪んだかと思うと、アスラは大量の血を吐いた。それとほぼ同時に彼の体から力が抜けていく。俺は両手の剣を投げ捨てるように地面に置くと彼の体に手を回した。


「アスラ……!?」

「もう……時間がないようだ」

「何か方法はないのか。ここには魔法みたいなものがあるんだろ!」

「治癒魔法……があったところで、どうせもう助からない……シンク」

「諦めるなよ! お前だってまだ……!」

「シンク……頼む、聞いてくれ」


 アスラの声はとても弱々しいものだったが、真剣さを感じさせるものだった。

 おそらくだがこれがアスラの最後の言葉になる。そんな風に悟った俺は黙って意識を彼に集中させた。


「何……だ?」

「リーゼを……頼……む」


 それを最後に……アスラからは完全に力が抜けてしまった。

 無駄だと分かりつつも呼吸や脈も確認してみたが、何度も確認してもそれらは止まってしまっている。間違いない。アスラは死んでしまったのだ。


「……頼むって」


 リーゼはお前の女だろ。人任せに……するなよ。

 俺は嗚咽を漏らしながらアスラの体を強く抱き締めた。何で……何で……と、考えている間に彼から伝わる温もりはなくなっていった。



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